第54話

「大丈夫、気にしないで」

「でも」

「朝からずっとこうなの。なんか震えている人がいる、みたいに思って話進めていいからね」


千歳がなにか心配そうに言いかけたが、空君が構わず続けてくれた。


「俺、本当は悔しいんですよ。大賞とれなくて」

「佳作でも十分すごいよ」


言うと空君は少しだけ渋い顔をした。


「俺にまだまだ力がなかったこともあります。両親に認められたかったこともあるけれど、なにより亜紀さんのシルエットと一緒に大賞をとりたかったんですよ」

「どうして」


メインが運ばれてくる。魚のイタリア風ムニエル。


空君は意外そうな顔をしていた。本当にメニューがよくわからなかったのだろう。イタリア料理はなにもパスタやピザだけではない。


海外へ行く気があるのなら、こういうことも増えていくからこれも勉強だ。絶対叶わない願いが芽生える。三人で海外へ行きたい。


「亜紀さんに自慢したかったんです。一緒に大賞取ったと喜びたかった。亜紀さんのあの輝きを、俺も前千歳さんが言ったように一番星にしたかったんですよ。佳作と大賞じゃ喜びの大きさも異なるし」


今度は心が震えた。海外へ行けなくても、喜びも奇跡も、まだまだ続いてくれている。


「十分だよ。空君は悔しいかもしれないけれど幸福をみんなで分かち合えるのって、とってもいいことだよね。今度は別の作品で大賞とろう」

「はい・・・・・・」 


空君が大賞を取るときには、私はもういないのだろう。


しかし今、本当に全てのものが輝いて見える。千歳も空君も、店員も、お店の壁や天井、お皿のひとつでさえも。


たくさんの色彩が私の目の中に入ってきて、その一瞬一瞬が徒花の如く煌めき、散ったあとも残像の光が私の中に残る。私の目も、写真と同じ役割を果たしてくれているのだ。


「神戸さんはどんな写真で特別賞を受賞したの」


とても気になったので訊ねる。あの子も今、一番嬉しい時を過ごしているのかもしれない。 


空君は本物の写真が目の前にあるかのように目を寄せる。


「森の中の月、というタイトルでそのまんま森の中から月をとっています。九月の連

休の時に、山へ行ったとかで。フィルターを通して、彼女の個性が出ていました。なんか見ているともの悲しくなるんですよ」

「サイトに写真、載らないの」

「載るそうですが、展示のあと、来年の受賞作が決まるまでの期間限定です」


見られるかな、それ。見られるといいな。


言ってしまうと気を遣わせてしまうから、黙っていることにする。 


ムニエルは、やはり三分の一も食べられなかった。


デザートのアイスが運ばれてくる。


「ああ、あともうひとつ、ふたつ伝えたいことがあって」

「なに」

「うちの喫茶店に、写真飾りましたから見に来て下さい。いい具合に飾っていますよ」

「あ、それは見られるね。やった」


思わず言うと、また妙な空気が流れた。だから、気を遣わなくていいのに。


「他は?」


変な空気にならないようにすぐに会話のボールを投げる。


「今年の夏に行われる両親の個展の片隅に、俺の写真も飾って貰えることになりました」

「それってすごいことじゃない」


千歳と全く同じタイミングで同じ台詞が出た。


二人で顔を見合わせ、シンクロしたねと笑う。同じ時間、気持ちを共有しているとこういうミラクルも起こるのだ。ほら、また奇跡がひとつ。とっても嬉しい。


「それってご両親から認められたってことじゃない?」


千歳がいつもの柔和な口調で言う。


「そうなるんですかね。でもほんの、二、三枚ですよ」

「二、三枚でもすごいことよ」

「うーん、もう少し飾って欲しいけど我儘かな」 


二人の話を、笑顔を絶やさず聞いていた。


全部未来の話。私が辿り着くことができない未来の話。


でも夢と希望に溢れた、いいことだらけの未来。空君の前途は開けている。みんな次のステージへ進んでいく。


アイスを一口だけ食べると身体に異変を感じた。なにか、どこかおかしい。でもそれがどこかわからない。


食べたらいけなかったのかな。急激に冷たいものを口にしたから身体が反応したのかもしれない。でも、悟られないようにしなくちゃ。尿意もある。


「親に自分の気持ちをぶつけてみたら? たまには俺にも海外行かせろって」

「なかなか言えないんですよね・・・・・・」


千歳と空君の話を邪魔しないようにごめん、と小さく言ってお手洗いに行く。


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