第52話
「ママ、あのひとにこれもらったの」
女の子は母親のもとへ走って行き、一生懸命説明をしている。
母親は怪訝そうな顔で私を見ると、お辞儀だけして子供を連れて去って行った。
なんとなく釈然としなかったけれど、これで一人、偶然にも誰かを笑わせることができた。
目標達成、したのかな。ううん。まだ誰かを笑わせられる時間は残っている。
しかし、意外にもクレーンゲームは集中力を必要としたせいか疲れ切っていた。
杖を持ち、同じフロアにあった甘味処で休む。大して歩いていないし、走ってもいないのに息が切れていた。少し遠出して動いただけで心臓の鼓動が耳に聞こえてくる。
遠出といっても江ノ島や新宿御苑ほどじゃないのに。
コーヒーは胃への刺激が強いので、リンゴジュースを頼む。もうコーヒーも飲めない。
リンゴジュースも飲めて三口程度。血糖値を上げないためだ。今更下げたところで仕方がないのだけれど、もう治ることはないのだから好きにしていいのだと思うけれ
ど、それ以上飲んでしまうことにも罪悪感がある。
できなくなることが増えていく。ならもっとできることを探そう。
運ばれてきたリンゴジュースを飲む。不意に、スマホから音が鳴った。
空君からLINEだ。
『亜紀さん、十一月に出した写真コンテスト、佳作を受賞しました。神戸は審査員特別賞です!』
思いがけないトーク。
すごい。すごいすごい。空君の夢が一歩近づいた。
自分のことのように喜んだあとで、あ。と思った。
空君が出した写真って私がシルエットで映っているやつだよ。
一層嬉しさがこみ上げてきた。私のシルエットも誰かの目にとまったのだ。
『おめでとう。よかったね。これはお祝いしなきゃだよ。千歳には言った?』
『はい、千歳さんにも今伝えたところです』
文章から空君の興奮が伝わってくる。
授賞式とかあるのだろうか。あれば見に行きたいけれど、きっと先なんだろうな。
なんのコンテストに出したのかを空君に聞いて、スマホで調べてみる。
全国写真コンテスト。
有名なカメラを製造している会社が毎年行っているコンテストらしい。
サイトのトップにはコンテストの受賞者発表と太字で書かれておりリンクも貼られている。
どうやら自由に撮った写真の中から大賞を決めるらしい。被写体は人でも風景でも建物でもいいそうだ。
加工しないことと、家族や家庭の中の風景はNGという条件になっている。
大賞発表のところをタップしてみると、確かに高校生部門の佳作受賞者のところに田辺空、と名前があった。特別審査員賞に、神戸さんの名前も。
写真はサイトには掲載されておらず、五月に行われる東京の写真展で展示されるようだ。高校生部門の佳作は五万円分の旅行券、審査員特別賞には二万円分の旅行券が副賞として授与されるらしい。
大賞は三十万円分の旅行券だ。旅行へ行ってまた素晴らしい写真を撮ってこい、という意味でも込められているのかもしれない。二十歳以上の一般の部では、もっといい副賞が用意されている。
神戸さんはどんな写真を撮ったのだろう。
私はリンゴジュースを口の中で温めて飲みこむと、息を吐き出す。
今日もいろいろなものを受け取れた。
五月の展示会、行けるかな。そこまで生きていられるかな。そのときにもう私がいなくなっても、あの海のシルエットはそこに飾られる。空君や千歳との思い出と一緒に。
それを見てくれる人が大勢来る。それって私にとっても空君にとっても、みんなにとっても幸せなことだ。
『空君から聞いた?』
今度は千歳からLINEが来る。
『聞いた。お祝いしようよ。都合はいつならつきそう』
『明日大丈夫よ。一日休みなの。どこがいいかな。亜紀ちゃんの無理のない場所で』
明日は二月十四日だ。
『バレンタインだよ』
『あ、忘れていた。じゃあバレンタインもかねて空君を強制的に呼んじゃいましょう』
『私が連絡とるね』
お祝いの場所はどこがいいだろう。しばらく考えて、なら今ここにいるショッピングモールにしようと思い千歳に商業施設の名前を伝えた。もう、遠くへは出かけられない。
でも嬉しいことが起こった場所だから、ここはもう私にとっては大切な場所となった。
甘味処を出てエスカレーターでひとつ上の階へ行き、飲食店の並ぶお店を見てまわる。
予約をしようと考えたのだ。
和食、イタリアン、中華、フレンチ。空君はどれがいいだろう。
チョコレートも買って帰らなきゃ。トイレの近くのソファに座り、LINEを送る。
『空君、明日お祝いするから午後五時半にエスリアショッピングモール五階で待ちあわせね。なにが好き』
『え、そんなに急に? でも大丈夫っす。行きます。なんでもいいっす』
舞い上がっているのかテンションが高めだ。時々ふらつきを覚えながら倒れないように頑張りつつ一周する。
高校生が好きそうで、センスがいいお店は、イタリアンかな。一際お洒落に見えたイタリアンのお店に入ると、一応店員に話をして、明日の予約を取る。店員は親切に対応して下さった。
戻って地下の食品売り場へ行くと、エスカレーターを下った五十メートルほど先にチョコレートを売っているお店がたくさん並んでいた。女性達が並び、楽しそうに選んでいる。色とりどりの包みにたくさんのチョコレート。
見るとクラクラしてくる。
空君は高校で誰かにもらうのかな。そういえば、父親以外の人にあげるのは初めてだ。
中学までは男女間がギスギスしていて女子からイベントを起こそうとした子は誰もいなかったし、高校は女子校だったし、前の勤め先ではそういうのはナシ、という社長命令があった。
だからあげていたのはずっと父だけ。もしかしたら中学の時も会社にいたときも影であげていた人はいたのかもしれない。けれど、私にとってはこれが初めてだ。
初めてで、そして最後のチョコレート。本命にあげてみたかったな。本命と呼べる人に出会えたことはないけれど、そのときめきみたいなものを一度でもいいから感じてみたかった。私、恋をしたこともない。
上品な茶色い包みに入った八個入りのチョコレートを二個買い、帰路へ着いた。
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