第51話
二月十三日
二月に入ってから、お参りは五分程度して帰るようになった。
千歳とは会っていない。お互い寒さが身に応えるためだ。
ふらつくことが多くなってベッドで寝ていることも増えた。うつではなくがんのせいだ。
それでも調子のいいときは週一回のペースで通っている北野総合病院で杖を借りて、
杖をついて街を歩く。抗がん剤を服用したところで、症状は進行しているようだった。
まだ目標を達成していない。誰一人として笑わせていない。悲しませてばかりいるのは嫌だと思うから、誰かを笑わせたい。誰かの幸せホルモンを出したい。
今日はどこへ行ってなにを見ようか。
二月中旬の陽気は全身を刺すような寒さがある反面、少し春の香りも混ざっている。
実家から徒歩二十分ほどのところにあるショッピングモールエスリアへ、バスを使って行くことにした。そこの芝生広場のベンチに腰をかけて、燦々と日の照る中で、いつかのように人々の様子を観察していた。
平日なだけあって人は少ない。子供達は、まだ生まれてから四年か五年程度のピチピチの細胞を持って、元気よく走り回っている。
子供はどこへ行ってもいるし、見るたびに走っている。そんな姿が微笑ましい。元気を貰えるような気がして、ここを選んだ。
だが、寒い。走れば暑いのだろうけれど。
五分座っていたけれど流石に寒さに耐え切れなくなり、芝生の奥にあるエスカレーターを上がってショッピングモールの中へ入ることにした。
いきなりゲームセンターが目に入る。
こんなところにゲームセンターなんて併設されていたんだ。数年前に来たときはなかったから、最近になって改装されたのかもしれない。ゆったりとした空間に、大人でも子供でも楽しめそうな健全な雰囲気が漂っている。
クレーンゲームの台が並んでいる。わりと広い。
ゲームセンターなんて中学生の時以来だけれど、随分趣が変わった。
台を見て回る。ガラスの向こうには、数本の鉄のバーの間に箱が置いてあるものばかりでとりかたがよくわからない。
通りかかった店員に聞いてみると、橋渡しといって、アームを動かしてバーとバーの隙間に景品を落とすのだそうだ。
ゆっくりと歩いていると、台のひとつに誰もが知っているテーマパークの景品が置かれているのを見つけた。
縦十五センチほどの箱の表面に、ランドのプリンセスのとっても可愛い花嫁衣装の絵が印刷されている。両手にはブーケを抱えて。
私がこのようなドレスを着られることはもうないけれど、見るとちょっと欲しくなった。
必要ないかな、と思いつつ杖を台の脇に置いて百円を入れ、アームを動かしてみる。箱が思わぬ形で手前の二重になっているバーの上に垂直に立った。
これ、どうすればいいんだろう。
数十秒考え、閃いて、もう一度百円を入れて立った箱の隅を爪で押してみることにし
た。すると景品が回転して橋の間へ落ちる。
「おめでとう! プライズゲット!」という機械音声の明るい声と拍手音が聞こえて、呆然とする。
取り出し口をのぞくと、景品はちゃんとそこに落ちていた。初めてなのになんと、二回で取れてしまった。
嘘。なんかやみつきになりそう。
調子に乗って隣の台に移動し、別のカラーの同じ景品をもう一度取ろうとしてみたが、今度は箱がバーとバーの間に斜めにはまってどうやっても動かなくなった。
千円使っても取れなかったので諦めて帰ろうとすると、先ほど芝生広場で走り回っていた五歳くらいの女の子がいつの間にか私の隣に立っていた。
おおかた、走り回るのに飽きたかお母さんが体力を使い果たして中へ入って休もうとしたのかもしれない。そこに、このゲームセンターがあったから来たといった様子か。
「これ、とれる?」
女の子はガラスの向こうを見たままそう言う。振り返ってみたが母親の姿が近くにない。
「お母さんは」
「トイレ。かってにでちゃダメっていわれたけどこっちがきになってきちゃった」
女の子はにこりと笑った。天使のような微笑み。
「ここ、好きなの?」
「うん。よくここくるよ。ここ、だいすき。ねえ、これとるのたいへん?」
お母さんのもとへ戻りなさいと注意するべきかとも思ったが、女の子は既にガラスの向こうの景品に夢中で言っても聞きそうにない。変に泣き出されても困る。
「結構むずかしいよ。時と場合によるかな」
「ときとばあい?」
「運良くとれるときと、何回やってもダメなときがあるってこと」
「そっかぁ。ママならとれるかな」
私は手にした景品を一瞬だけ見る。あちこちでプライズゲット! の声が聞こえてくる。
こんな平日の昼間にクレーンゲームをやりに来る人なんているのか。私もだけど。
「このプリンセス好き?」
私は女の子に、先ほど取れた景品を見せた。
「だいすき。ママとよくえいがみているの」
「じゃあ、あげる」
「いいの」
私は笑顔で屈み込み、景品を渡した。女の子の表情は一気に明るくなる。
「ありがとう、うれしい」
「大事に飾ってくれたら嬉しいな」
「うん! かざる! やった、やった」
笑顔でいっぱいになる。スマホで写メをとりたかったけれど、犯罪になりかねないのでやめておく。
来年にもなれば、この子は今日ここでプリンセスの景品をもらったことなんて忘れてしまうのだろう。でも、それでも、少しの間だけでもいいからこの子にも、「プリンセスのフィギュアをくれたお姉さん」として私のことを覚えていて欲しかった。
「リサ、なにをしているの。トイレで待っていなさいと言ったでしょう。探したじゃない」
女性の声が聞こえて振り返ると、若い母親らしき人物が立っていた。
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