第48話

「そりゃあ、そうですよ。俺、写真部ですし。写真好きですし」

 

私は一枚の写真を手にした。文化祭の時高校の正門で撮った写真だ。


「千歳や空君と出会って、これが一番初めに撮った写真だね」


「そうね。なんかまだ、昨日のことのように感じられる」


千歳が写真をのぞき込む。私の笑顔は堅くて引きつっている。


そういえば、がん細胞って笑うと消滅する場合もあるんだっけ。


うつのせいで何十年も笑うことがなかった。私の場合はもう手遅れだけれど、みんなには両親も含めてがんにならないためにもずっと笑っていて欲しい。


文化祭の時も思ったけれど空君の撮った写真は、素人目にもわかるほど上手かった。


「空君流石だね」


「そうでもないですよ、親に比べたら」


「比べない、比べない。空君は空君なんだから」


「そうよ」


千歳と私で言うと、空君は頭を掻く。


「なんか責められているみたい」


「責めてなんかいないって」


海の写真。紅葉の写真。初詣の写真。三人で思い出を語りながら見ていく。見てきた景色が鮮明に思い出されて、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じる。


そして、そのときがもう二度と戻ってこないことがなんだかとても切なく、儚い。


「そういえば空君、コンテストにはどの写真を送ったの」


訊ねると、空君は机の上の数多の写真の中から一枚取り出す。


私はそれを見て「え」と呟く。


その写真は、海へ行ったときにあれこれ空君に指示を出されて撮られた写真だった。


「これなの?」

「亜紀さんに無許可で送っちゃいました。でも顔は映っていませんし」


逆光だから、私の全身は全てシルエットだ。


ロングスカートに、髪を耳にかけて貝殻を見つけたように前屈姿勢になっている仕草。なびいている髪。背景には青い空と雲と太陽があり、海が広がっている。


手入れをしていなかった髪もシルエットのみで見ると、それなりに味がある。


「顔が映っていなくてもちょっと恥ずかしいなぁ」

「すみません。でもとても綺麗だと思ったので」

「タイトルは?」

「いろいろ考えたのですが、『光へ』にしてみました。『遠くへ』と迷ったのですが」


私は本当に遠くへ行くけれど、「遠くへ」と「光へ」は、どちらがふさわしいのだろう。


「どうして『光へ』なの」


「亜紀さんあの時本当に、美しかったから。光に吸い込まれていきそうなほどに」

「ええっ、美しいなんて言われたのは、初めてかも」

「あら初詣の時にも言われているわよ」

「そうだっけ」


褒められるのは、相手が高校生でもちょっと嬉しい。


空君もちょっとだけ少し恥ずかしそうな顔をしている。女性に美しいというのはやはり言いづらいものなのかもしれない。


「でもさでもさ、亜紀ちゃん、本当に最初の文化祭の時の写真に比べてどんどん綺麗になっているよ」


千歳が写真を見比べながら言う。


私は写真をじっと見た。笑顔は増えているけれど綺麗かと言われると個人的にはそうでもない。


「そうかな。変わらないよ・・・・・・」

「ううん、文化祭の時と海の時で全然違うし、海と新宿御苑の時も違う。紅葉の時と誕生日の時も。笑顔にね、どんどん磨きがかかって、輝いているの」


一枚ずつ私の映っている写真を時系列順に並べていく。本当に文化祭の時の硬い笑顔から柔和な表情に変化しているのがわかる。だが誰も触れないけれど、時系列で見るとはっきり痩せていっていることにも気がつく。


本当に、いつがん細胞が生まれて進行しだしたのだろう。どうして時間って戻せないのだろう。やり直したいことってたくさん、誰にだってあるはずなのに。


喫茶店の中にはビーフシチューの香りが薄らいで、染みついたコーヒーの香りが強くなっていた。


トシさんと空君は顔を見合わせそしてなにかを示し合わせたように頷く。


「あのですね」


空君は静かに切り出した。


「喫茶店に亜紀さんの写真を飾ろうと思うんです。おじいちゃんと話し合って。この喫茶店が閉鎖するときまでずっと」


私はゆっくりとトシさんと空君を見た。そして、千歳とも目を合わせる。千歳はその話を知っていたのか笑って頷く。聞くまでも、返事をするまでもなかった。私はその裏に込められた想いを汲みとって、胸が一杯になる。


「額縁に入れて。いいですか。希望されるならいくつでも飾ります」


生きた証が残る。


大切な人たちが覚えていてくれる。大切な人の心の中で私は輝き続けることができる。


そうしてここへ来るお客さん達も、多分こんな人がいたのだと、少しだけ目に留めてくれるのかもしれない。 


私は空君の両手を握った。一瞬だけ引っ込めかけた空君の手を、私は強く強く握る。

「ありがとう・・・・・・本当にありがとう。トシさんも。こんな私の写真なんかをお店に飾ってくださるなんて」


こらえきれずに頬に涙が伝った。嬉しくて泣くのは何回目だろう。


「私なんか、とか言わないで。亜紀ちゃんだから飾って下さるんだよ」


千歳の言葉に、更に熱いものが流れていく。


「それで、どれがいいかなと思いまして。顔がはっきり映っているものにしましょう」


一枚一枚丁寧に写真を並べる。涙を指で拭き、笑顔で言った。


「なら。なら、一人じゃなくてみんなで映っているのがいい」

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