第39話

初めて占って貰ったときに千歳がそう言っていたことを私はすっかり忘れていた。


どんなに優秀な医師でも、血液検査の数値を出す機関でも機械かなにかにかけるとはいえ、正しくない数値を出すこともあるのかもしれない。


だから時と場合によってはなにかを見落としてしまうこともある。あるいは本当に検査後に発症して急速に腫瘍が広がっていったのかもしれない。


数値を測定する機械が壊れている確率のほうが低いから、タイミングが悪かった可能性のほうが高い。


千歳に見て貰う前の占い師の言葉がショックすぎて、千歳の話も半信半疑であの時は聞いていた。言われてもピンときていなかったし、あの時は死にたいとさえ思っていた。それに血糖値が高いと言われてもなんの対処もしなかった。


だから最終的に、病院選びを怠ったのと食生活の習慣を直さなかったせいで、発見が遅れた可能性がある。


「じゃあ、この子は。私の娘はどうなるんですか」


いつもの母のキンキンした声が病室に響く。医師は一呼吸置いてから言った。


「大変言いづらいのですが、その」


その、のあとで杉本先生はまた考え込む。


そうして、もうこれ以上言えることはないと判断したのか口を開いた。


「若いかたの膵臓がんは進行が速いです。それにあちこちに転移も見られる。余命あ

と三ヶ月と思って下さい」


母が小さく悲鳴を上げた。


「あと三ヶ月も生きられるんですか」


私は思わずそんなことを言っていた。内心では酷く動揺しているのに。


三ヶ月。三ヶ月は命を与えられている。


「ただ、それ以上長く生きる人もいますし、天命までは私たち医師にもわかりません。生命力の強いかたはたくさんいらっしゃいますからね」


確実に言葉を選んでいる。


「やめて。うつ病だったのに、次はがんだなんてもうやめて」


突如、母の泣き声が響いた。自分の余命よりもその泣き声に胸が締め付けられる。医師も看護師も、黙り込んでいた。


私も言葉を失ったまま、目を伏せた。診察室は静まり返り重い空気が流れている。


なんとなく、二十代の時に思っていたことがある。


私は生きたいと思えるようになったときに、死ぬんだろうな。


それだけ運の悪さも自覚していた。


そうして今、本当に思ったとおりになった。


これは私がこれまで身体を粗末にしてきたことへの罰なのかもしれない。受け止めたくないけれど、必死に抵抗したところでもうどうにもならない。現実は現実として受け入れるしかない。


いつもそう言い聞かせてきた。


絡まれたり痴漢に遭ったりしたときも、志望校に落ちたときも、星が見える時間になるまで学校から帰してもらえなかったことも、うつになったときも、うつの症状が悪化したときも。


泣きたいことをすべて現実に起こったことなのだから仕方がないと受け入れてきた。だから今回も、受け止めなくてはならない。現実と感情は相反するから、理性でそれを補わなければ。


心の中でひととおりの動揺が通り過ぎると、案外冷静になっていた。


「それで、あと一週間ほどは様子を見ようと思います。あまりに痛みがあるようでしたらモルヒネを使いますが・・・・・・」



モルヒネ。それを使ってしまったら最後のような気もする。もちろん、モルヒネは痛み緩和に有効で怖いものではない、ということも知ってはいる。でもそれはみんな専門家が言うことで、患者にとってはやはり辛いものだ。副作用は抗うつ剤以上にあるだろう。


「あまり痛みは感じないのですけれども」


本当だった。倒れる前はすごく痛かった。でも今は、意識すればなんとなく痛い、気がするだけだ。痛みに鈍感なのは悪いことばかりじゃないのかもしれない。


「なら、抗がん剤で様子を見ましょう。うちの病院、三ヶ月まで入院ができますが、その・・・・・・」


杉本先生の目は語っている。


三ヶ月間を病院で生きるか、それともあと一週間様子を見て大丈夫そうなら退院して残りの命を過ごすか。そう言っている。


やっぱり嫌だな。受け入れなくてはいけないのに、心は嫌だと言っている。認めたくない。けれどこれが運命だ。


「退院、もっと早くていいですよ」


千歳や空君に会いたい。話をしたい。一日でも、一分でも長く。


「ご希望なら五日程度に短縮することもできます。あとは通院という形になります。症状が悪化すればまた入院になりますけれど」


「はい。まだ動く身体があるので大丈夫だと思います」


私は手足を大きく動かして笑顔で言う。すると、杉本先生は戸惑った様子で微笑んだ。


余命を宣告するほうも、いくら医師だとはいえ嫌なはずだ。なるべく暗い雰囲気にならないように、私はずっと笑顔で居続け、母をなだめた。

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