第36話

子供の頃は、目に映るもの全てが新鮮に思えた。


道ばたに生えている雑草やタンポポの色さえ私の目には鮮やかに映り込んで、摘んでは母にお土産として持って帰った。


それで母が喜んだことはないのだけれど、私は花を摘むたびにお母さん喜んでくれるかなと期待に胸を膨らませて帰った。


春の青空も春の嵐も生暖かい風も好きで、雨の降る日はよく雨を眺めていた。雨があがると、水たまりに映る鈍色の雲をのぞき込み、美しいと思っていた。


雨上がりに反射するアスファルトもキラキラと光っていた。雨が降っても雪が降っても、世界は様々な彩りと輝きに満ちていて、毎日毎日色あせることがなかった。


色は四季を通じて色々なところに編み込まれていて、楽しいことがたくさんあった。

小学生の時には線路沿いに家がある友達の家にお邪魔しては、窓を開け、電車が通るたびに車掌さんに「バイバーイ」と大きな声で友達と一緒に叫んでは手を振る。



すると車掌さんが気づいて手を振り返してくれる。何時間か経って同じ車掌さんが通ると、車掌さんは様々なポーズを作って笑わせてくれることもあった。


日の暮れるまで、友達と車掌さんに向かって叫んでいた。今はそういうことって許されるのかな。


映画のワンシーンのような一コマ。なんで忘れていたのだろう。


忘れていた幸せも色彩も、今とようやく繋がって、あらゆるものがまた輝き始めている。


 


心地よい思い出の中から覚める。白い天井が目に入った。


「気づきましたか」


白い服を着た女性がそう言って私の顔をのぞき込む。あれ。なんだか頭がふらついて

いる。私はどうしたんだっけ。初詣に行って写真を撮って。それからあまり覚えていない。



ただたくさんの人の声が聞こえたような気がする。あ、そうか。熱を出して倒れたんだ。



あれから何日経ったのだろう。状況は?


「今、何日ですか」


ゆっくりと瞬きをして、私は言った。点滴が打たれている。ここは病院だ。


「四日です」


「え、そんなに寝ていたのですか」


「ええ。元旦に救急外来に運ばれて、熱が四十度以上あってなかなか下がらなかったんですよ。それで、ちょっとこんなに熱が下がらないのはどこかに異状があるのではないかと医師が疑問に思ったらしくて、救急外来のほうからこちらの総合病院に朝、移されたんです。詳しい検査が必要でしょうって。病院も今日から本格始動ですよ」


お正月は病院でずっと熱を出して寝ていたのか。四十度以上なんて初めて出す数字だ。


もしかしてインフルエンザ? でもそれなら医師がもうとうに結論を出しているはずだ。


「ここはどちらの病院ですか」

「北野総合病院です。起き上がれますか? 熱はかりましょう」


私はうつとは異なるだるさを感じながら身を起こすと脇に体温計を挟んだ。


北野総合病院は、実家から東のほうに歩いて二十分くらいのところにある。


徒歩一分の小さな病院では入院もできないから、酷い怪我をしたときや、感染症などにかかったときはこちらの病院に通っていた。


救急外来もあったはずだから、多分最初からここに運ばれたのだろう。 


ピピッと音がして体温計を取り出す。


37.5度。


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