第31話

空君は慣れた手つきで脚立にカメラをセットすると、靴音をたててこちらへやって来た。


「はい、そろそろ光りますのでみんなレンズを見て笑って下さいせーの」


私はにっこりと笑顔を作った。初めて自然に笑えたような気がする。


カメラが光る。空君はこだわってそれからもう二枚撮影をする。


「はい。大丈夫でーす」


そう言っててきぱきと脚立をのれんの奥にしまっている。


「じゃあ早速祝うとするか」


トシさんが喫茶店の電気を消す。


ケーキに一本の大きなろうそくと五本の小さなろうそくに火がともされる。


「ハッピーバースデー・トゥーユー」


三人が歌い始める。


恥ずかしい。恥ずかしいからやめて。


内心でそんな風に思ったが、嬉しさも同時にこみ上げてくる。


こんなことをしてもらったのは、否、誕生日を祝ってもらったのなんて小学生の時以来だ。三人が歌い終えると、拍手をする。拍手も小学生の時作文が全校生徒の前で読み上げられたとき以来だ。


「ありがとう」


言ってろうそくに息を吹きかけ一気に消す。


「はい。これプレゼント。空君と私から」


照明がついて、赤いクリスマス仕様の紙袋を渡される。なんだかちょっと重たい。


「え、なんだろう。開けてもいい? 楽しみ」

「どうぞ」


袋から丁寧に包装された長方形の物体を取り出す。包みを綺麗に外すと、箱が出てきた。外箱には、メタリックな丸い写真。パッケージの裏を見ると、「家庭用プラネタリウム」と書かれていた。


「嘘、私この前一人でプラネタリウム行ってきたばかりだよ。そのとき家庭用のも欲しいなってちょっと思って。なにこの偶然」


「この前新宿御苑で太陽の話をしていたじゃない? なら星はどうかなって思って」


「これでいつでも星空が見られる。ありがとう。今日から早速使わせてもらうね。すごく嬉しい。でも、高かったんじゃないの」


大事に抱え空君を見る。一万は軽く超えていそうだ。


「大丈夫です。千歳さんと折半ですし、俺、来週にはお年玉もらえますから。親も帰ってきますし。少なくともおじいちゃんと親の二人からもらえますからね」


「額はあまり期待するなよ」


トシさんが口を挟み、三人で笑った。私も無職ではあるけれど、ちゃんと勤めていたときの貯金から出して、空君に僅かながらあげよう。



クリスマスの音楽が喫茶店の中で流れてきた。千歳がケーキを切り分ける。


「どうぞ、遠慮なく食べて下さい」


色々してもらってばかりじゃ悪い。私は千歳がケーキをお皿にのせている間に、紙コップにみんなの分のジュースを入れた。それから乾杯をして、食事に入る。


食べるもの食べるもの、全てが美味しく感じられた。


九月の終わりからいいことづくめ。三十六歳という年齢が重くのしかかってくるけれど、幸福をこれほど感じたことは今までにない。


「なんだか今、すごく幸せ。幸せだよ。本当にありがとう」


心からそう言うと、千歳は天使のような微笑みを浮かべた。


「今日は亜紀ちゃんからたくさんのありがとうが聞けている」

「ありがとうって言う数増えたかも」


空君は推薦が取れるかもしれないという話を千歳にしていた。


千歳は自分のことのように喜び盛り上がった。まだ伝えていなかったのかと思う反面、空君は千歳がすっかり元気になるタイミングを見計らっていたのかもしれない、とも考える。


ひととおり食べ終えると、トシさんがコーヒーを淹れてくれた。


「あれ、亜紀ちゃんまだたくさん残っているよ?」


私のお皿を見て、千歳が言う。


「少量ずつ全部口につけて食べたから。もう、お腹いっぱい」


「俺なんかピザもポテトもチキンもケーキも、全部食べちゃいましたよ」


見ると空君は本当に綺麗に残さず食べている。流石食べ盛り。


千歳の皿にはちょっとだけ残り物があった。


「そうだ。ポラロイド、撮ってみない? 亜紀ちゃん今どうなっているのかな」


千歳が言い出した。木の折れた砂漠の白黒風景の写真。今なら変化しているだろうか。


「撮ってみようかな・・・・・・」


空君は「いっすよ」と言って、二階からポラロイドカメラを持ってくる。


通路に立ち、今度は笑顔でレンズを見つめた。


「はい、じゃあ撮りまーす」


映らないけどピースサインもしてみる。シャッター音が聞こえて、一枚の写真が出てくる。


出てくる風景をしばらく待ってから、空君は千歳に渡す。千歳はそれを見て声をあげる。


「すごい変わっているわ。ほら」


写真を見ると、砂漠はなくなり鮮やかな色がついていた。折れた枯れ木は幹を太くして真っ直ぐに伸びており、萌黄色の葉を茂らせている。


背景は、藤色や赤や白の花畑に変化しており、青い空も、太陽もそこには映し出されていた。 


「これが今の亜紀ちゃんの心象風景」

「おお、本当に美しい」


トシさんも写真を見て驚いている。


「こういうのを見ると、俺もこの摩訶不思議な能力で写真を撮影することができてよかったと思います。未だ、なぜ人の心象風景が映るのかわからないのですけれど」


びっくりするくらい変わることができた。人との出会いでこんなに変わるものなのだ。まだ危うい部分もあるけれど、色彩を感じなかった私の世界は千歳や空君と出会って以来、明るい花が咲くようになった。


「こんなに綺麗に変化したのはみんなのおかげだよ」


この三ヶ月でたくさんのものをこの目で見られて、それが心の隅々にまで染みこんだ証拠だ。


千歳にあの時声をかけていなかったら今もまだ、砂漠の中にいたままだ。


「この写真、もらっていいかな」

「どうぞ」


思い出の一つ。私は大事に手帳に挟んでバッグにしまった。


「ちなみに千歳のはどんな感じ?」

「撮ってみましょうか」


千歳が立ち、空君はポラロイドを撮る。


「どれどれ」


写真をのぞくと白砂青松の海が、そこにはくっきりと広がっていた。


「綺麗だよ」

「私はずっとこれなのよね・・・・・・」


背景が海なのは、やはり幼い頃小春ちゃんと約束した思い出があるせいかなとも考える。


海の青さも真っ白でさらさらとした様子の砂も、千歳の心の美しさを物語っている気がする。


「いや、千歳さんの場合、撮るたびにくっきりした色に変わっていくんですよ。それで海も心なしか広くなる」


「広い海はやっぱり、千歳の心なんだ。器が大きいってやつ?」

「私、そこまで器は大きいほうじゃないわよ」

「またまた、謙虚にそんなことを」


千歳はなおも否定している。出会ったばかりのうつ病の人間に朝早く起きて二十一日参りに付き合うくらいなのだから、器は大きいに決まっている。普通の人はそんなことはしない。


甘いケーキを食べたので、コーヒーをブラックで飲もうとして思った。ポラロイドから生まれた写真が、こんな風に真っ黒じゃなくてよかった。そうなることも一時は予期していたのに。


コーヒーを半分まで飲むと、胃酸が逆流してきそうになった。食べ過ぎたかな。


「空君は自分の心象風景は撮れるの」


不思議に思って訊ねてみる。

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