第30話
十二月二十三日
夕方まで散歩をして、一息ついた夜九時に空君からいきなりLINEが来た。
『緊急事態です。大変困っていますので明日、十二時にうちの喫茶店まで来て下さい』
なにが起きたの。
文章を見てほぐれたと思った気持ちがまた固まっていく。
なにか大変なトラブルがあったのだろうか。
千歳に? 空君に? それともトシさんに? 空君のご両親に?
あるいは千歳の心臓に新しく不安なことができたとか、トシさんが倒れたとか?
空君は・・・・・・こうしてLINEができるくらいだから多分大丈夫だろう。
でも私みたいな人間を呼ばなければならないほど、空君一人では片づけられない問題が発生したのだ。
『誰に、なにが起こったの?』
『とにかく明日、お話ししましょう』
みんなが心配になって部屋の中をうろうろとした。トラブルがあったとき、冷静さを保って対処できるほどの精神力がまだない。こういうの、豆腐メンタルって言うんだっけ。
なにかがあるとすぐ不安になる。すぐ崩れ落ちそうになってしまう。
『教えて。本当になにがあったの』
既読になっているのに、空君から連絡が全然来ない。
電話をしようかとも考えたが、逆に迷惑になるかもしれないしやめておいた。
本当に緊急事態だったら向こうから電話が来るはずだ。だからひょっとしたら緊急性の低い問題なのかもしれない。
布団に入る。かけがえのない日々を、かけがえのない人たちを誰一人失いたくない。
いつもはすぐに眠れるのになかなか寝付けず、思い切って寝酒をしてしまった。
十二月二十四日
朝、神社へ行って必死に千歳やトシさんの無事を祈ってから、十二時に喫茶店に向かう。
定休日ではないはずなのにCLOSEの札がかけられている。中に入ってもいいのだろうか。
ためらう。この先にはなにが起きているのか。
覚悟を決めてドアを開いた。
鈴が鳴ったかと思うと、なにかが炸裂する音が聞こえて心臓が口から飛び出そうになった。
「メリークリスマス&ハッピーバースデー!」
三人からそのような声が聞こえて私は理解するのにしばらくの時間がかかった。
炸裂したのはクラッカーだ。心臓がまだ脈打っている。
「え。え? なにか緊急事態だったんじゃないの」
「亜紀さんへのサプライズですよ。驚かせようとしてやりました。ごめんなさい」
空君はあまりに目を丸くしている私を見て笑っている。
そうか。そうだ。今日は私の誕生日。
「トシさんと空君に話を持ちかけたのよ。亜紀ちゃんを驚かせようって」
そこには元気そうな千歳やトシさんの姿もある。誰も、なんともない。
「なんだ、びっくりした。本当に何事かと思ったぁ」
腰が抜けていきそうになるのをなんとかこらえながら、私は引きつった笑顔を浮かべる。この年になると自分の誕生日さえ時々忘れる。
「座って座って。今日はトシさんのご配慮で貸し切りにして頂いたの」
「え。いいんですか? ちょっとそれは申し訳ない気が」
「遠慮しないでいい」
トシさんが答える。千歳に促され、ボックス席に座った。
「もう、体調はいいの」
「すっかり」
貸したスカーフが綺麗に折り畳まれて返ってきた。
テーブルの上には既にショートケーキやサンドイッチ、サラダ、ポテト、チキンやピザなどが並べられている。
「ケーキとサンドイッチ、サラダは手作りです。昨日から仕込みをして腕によりをかけました」
トシさんが側に立って言う。
「チキンとピザとポテトは注文ですけどね」
言って空君は肩をすくめる。
「今日は亜紀ちゃんが主役なんだから。笑って」
ああ、笑顔、まだ足りていなかったのかな。私は笑うことにした。
「あ。じゃあ、写真撮りましょうか」
言って空君は既に用意していたいつものカメラを私に向ける。
「それならみんなで撮りたいな。トシさんに空君、千歳も一緒に」
私の大切な人たちだ。思い出の一枚を撮っておきたい。我儘、少しくらい言ってもいいよね。
人生って大切な思い出があってこそ成り立つものなのだと、最近はよく考えている。
「オーケー、じゃあ、脚立を用意してきます」
階段を上る足音と下る足音が聞こえた。
入り口付近に集まりトシさんと千歳の間に立つ。
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