第27話
十二月一日
朝早く起きて、三人分のお弁当を用意した。街ではクリスマスの飾りも目立つようになっている。
スーパーの中にも大きなクリスマスツリーがあった。聞こえてくる音楽は全てクリスマスソングだ。そういえば、男性とクリスマスを過ごしたこともない。
それは中学生の時からの夢だったけれど未だ叶わずにいる。
お弁当箱に食べ物を詰めて、手提げ鞄に入れる。三人分だとずっしりと重い。それからブルーシート。千歳にも半月ぶりくらいに漸く会える。風邪はもうほとんどよくなって、十一月の終わりからいつもの仕事に戻ったらしい。
既に空気は冬に変わりつつある。風が冷たく頬を刺す。それでも、今日も天気が味方をしてよく晴れていた。待ち合わせの駅に着くと、二人は既に先に来ていた。
「久しぶり、亜紀ちゃん」
「久しぶり。風邪、治って本当によかった」
手と手を合わせて、微笑みあう。
「さあ、紅葉見に行きましょうか」
楽しそうに千歳が歩き出す。空君もそれに続いた。
駅からどう行くのだっけ。お弁当を作ることに気をとられて行き方を調べていなかった。自分で新宿御苑に行きたいと言ったのだから私が先頭を歩かなきゃいけないんじゃないの?
焦ってスマホを取り出すと、どうしたのと千歳が振り返り訊ねる。
「ごめん、駅からどう行くのか調べてなくて」
「大丈夫。すぐだから」
きっと初めてじゃないのだろう。
あれ、と思う。頼もしく思えるはずの千歳の背中が、少しふらついて見える。病み上がりで本調子じゃないのかもしれない。
「ほら、着いた」
本当に、十分も歩かないうちに「新宿御苑 新宿門」という立て札が見えた。
入園料を支払い、中へ入ると、空気がすっと透明感のあるものに変化する。
外国の観光客も結構いる。赤や黄色の紅葉が目に入る。
「どこから見て回る? 一日じゃ全部回りきれないし」
地図を貰い、広げて千歳が訊ねている。
「あ、下ノ池が綺麗だとネットで評判でした。行ってみませんか」
「いいわね」
カエデはどこも赤く染まっている。赤に緑に黄色に。色とりどりの植物たちが、グラデーションを装い、香りを放ちながらどうぞ見て下さいといわんばかりに風に揺られている。
シャッターを切る音が早速聞こえてきた。
気づけばあちこちから音が聞こえてくる。私は数々の音を目を閉じ聴いていた。
紅葉を心待ちにしていたと思える観光客が結構いるのだ。みんなどんな晴れやかな気持ちで写真に納めているのだろう。
景色に心を奪われた人たちの声が、シャッターの音と共に聞こえてきそうだ。
「私も撮ろうかな」
スマホのカメラで色とりどりの木々を撮影する。写真の腕は下の下だ。
時々ピンボケして、あまり上手く撮れない。千歳もデジカメで写真を撮り始めている。
「下手くそ」
空君がスマホをのぞき込み、笑いながら言った。
「あ、酷い」
「肘をもう少し上げて、固定して。被写体をカメラ越しによく見て下さい」
肘を挙げただけで、少しはまともな写真が撮れるようになった。だが裸眼とカメラで見る写真は異なるし、相変わらずピンボケする。
まあ、いいや。私は千歳や空君とのひとときを楽しみにしてきたのだし。
写真を撮り、モミジ山のモミジに囲まれながら一時間をかけ目的地付近まで辿り着く。
ここでも、既に何人もの人たちが写真を撮っている。
木々には光が差していて、紅い色をより艶っぽくしている。
眩しさに目を細める。午前の光はこんなに美しいものだっけ。そう思って下ノ池を見ると、三角に伸びた大木や周りの木々が青い空とのコントラストをなして池にくっきりと映り込んでいた。
吸い込まれそう・・・・・・。
どこまでも透明な水に、身を預けたくなる。まるで異世界の扉がそこにはあるかのようだ。
「東京の中にあるのに非日常的な空間を味わえるのがここの醍醐味よね」
千歳が言う。空君は写真を撮るのに夢中だ。ひとしきり撮り終えてから私たちのところへやって来る。
「いろいろ回っているとここの景色が撮れないで終わっちゃう人も多いそうです。初めにここへ来て正解でした」
時間はあっという間に経っていて、もうお昼を過ぎていた。
「一旦お食事処探しましょうか。食べたらまたゆっくり回りましょう」
「あ。それなら私、お弁当作ってきたよ。三人分」
「俺たちの分、作ってきてくれたんですか」
二人は同時に私を見る。私は手提げ鞄を持ち上げる。
「いつもお世話になっているからせめてものお返しにと思って。ブルーシートも持ってきたよ」
二人は顔を見合わせ、更に同時に笑顔になる。
「亜紀ちゃんの作るお弁当ってどんな味がするんだろう。楽しみになってきた。じゃあ、芝生広場で頂きましょう」
地図を広げる。芝生広場。読めない。昔は読むのが得意だったくちなのだ。本当に、うつになってからはなにもかもがわからなくなった。その後遺症は今も残っている。
うつの人って脳が変形すると聞いたことがあるけれど、私の脳ももしかしたら変わっているのかもしれない。
耳と尻尾が垂れ下がった子犬のように、また千歳や空君のあとをついて行くことにした。
日が大分高くなってきた。
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