第16話
十一月一日
よく晴れて、空気の乾燥も感じるようになった。
千歳と城宮高校の最寄り駅で十一時に待ち合わせをした。たまにはお洒落をしようと思って、会社勤めの時に買った茶色に黒い花柄模様の長袖のワンピースに、白い厚手のカーディガンを羽織って化粧もした。
化粧をきちんとするのはどのくらいぶりだろう。
駅に着くと、千歳が先に来ていた。
「待たせた?」
「ううん。今来たとこ。亜紀ちゃん、綺麗」
いつもの笑顔にほっとする。千歳はクールな服装だ。ハイネックにグレーのセーター。黒いブーツカットのパンツ。着こなしていてかっこよく思える。
駅周辺には、城宮高校の制服を着た子達や文化祭に誘われたと思われる人たちがどこか浮ついた様子で通り過ぎていく。
「文化祭なんて高校生以来だ・・・・・・・」
千歳に高校の場所を案内されながら呟く。短大の文化祭はどこのサークルにも所属していなかったし体調不良で欠席していたので、経験がない。
「空君のおかげではつらつとしたエネルギーを毎年貰っているの。亜紀ちゃんも今日は、一杯元気なエネルギーを貰えるといいわね」
感情が揺さぶられている。ちっとも楽しくなかった高校生活でも、十代というみずみずしい時代は私にもあったのだ。
あの時はノイローゼでもうつでも、将来は明るいものだと信じていた。時間はまだたっぷりあるのだと、希望だけはいつでも持っていた。でも実際はそうじゃなかった。
あっという間に時間は経つのにうつはなかなか治らなくて気がつけば三十超え。希望もなくなっていた。私、なにをやって来たのだろう。
「こっちよ」
千歳が声をかけてくれる。いくつかの角を曲がると、正門が見えてきた。
正門の内側からいろいろな人々の声が聞こえてくる。校庭に屋台が並んでいるのも見える。
屋台・・・・・・そういえば夏のお祭りにも長いこと行っていない。
「あ。亜紀ちゃん、ちょっといい? 正門の前に立って」
人の邪魔にならないようにずれて脇に立つ。すると千歳はデジタルカメラを私に向けた。
「え。写真撮るの」
「空君の影響で、私も特別な日にはよく写真を撮るようになったの。笑って」
笑顔が引きつる。千歳のおかげで前向きな考え方、というものを学んでいるけれどそういえば笑うことを忘れている。
お笑い番組を見ても無表情だと自覚できるほど、口角は上がらない。
「もう少し笑って」
益々笑顔が引きつる。私は無理に笑うことを辞め、口を閉じて微笑む感じにしてみた。
「あ、それいい。じゃあいくよ? はいチーズ」
涼やかな空気の中を千歳の声が通り抜ける。私はなんとかピースを作った。
「じゃあ次は千歳を撮るね」
デジタルカメラを借りて千歳の写真を撮る。
自然体の、綺麗な笑顔が撮れたので、カメラを返す。
「さ、入りましょう」
千歳も心なしか楽しそうだ。
正門を入ったすぐ両脇に、腕章をつけて座っている生徒が何人かいたのでチケットを渡す。
するとパンフレットをもらったので、中を開いてみる。
演劇にお化け屋敷に、バンド。コスプレ喫茶。見ると全部回りたくなってくる。
写真部は、教室のひとつで写真を展示しているらしい。
「空君に挨拶しに行きましょうか。それとも他回ってからにする?」
「空君のところでいい。展示物も見たいし」
校舎は白く大きな建物がコの字を描いている。スリッパに履き替え中に入ると、生徒達が作ったであろうカラフルな輪飾りがあらゆるところに垂れ下がっていた。
高校の時、こういうのも禁止されていた。壁に画鋲をさしたらいけない、テープを貼ってはいけない、というよくわからない決まり事があったので、それはもう殺風景な文化祭になったものだ。
けれどここは華やかだ。廊下を歩いていると、いろいろな子がお客さんを呼んだりチラシを配ったりしている。女子生徒のスカートは短く、若さが眩しい。なにより楽しそうだ。
階段を上り三階まで行くと、突き当たりの奥に写真部があった。中に足を踏み入れると、そこには廊下の騒がしさが嘘のように、静けさが漂っていた。
「あ。こんにちは」
空君と女子生徒が二人、ちょうど受付をしていた。立ち上がって会釈をする。
「こんにちは。今年もお招き頂きありがとうございます」
千歳は頭を下げる。私も小さく挨拶をする。
「どうぞ、ゆっくり見ていって下さい。見たら窓際にあるノートに名前と感想をお願いします」
「部員は何人いるの」
なんとなく気になって空君に訊ねる。
「五人・・・・・・少ないです」
早速展示物を見て回ることにした。
一人五、六毎程度の写真が額縁に入れられ教室の壁に飾られており、写真の下には名前が書かれている。
人物メイン。風景や動物メイン。何気ない日常の街角。セピア色の写真。どれもみな淀みがなく、純粋さが伝わってくる。
空君の撮った写真は人物と背景画像。顔のわからない人物のシルエットが上手い具合に背景と融合されている。
いつ、どこで誰と撮ったものだろう。想像するだけで少しだけ、空君の青春を垣間見られた気もする。
私はセピア色の写真の前で止まった。一面に広がる海と、空の写真。そこに色はなく、そこはかとない哀愁がある。
どこか寂しさや切なさを感じさせるこの写真に共感できるのはなぜだろう。雲は分厚い。これを撮ったのは夕方だろうか。
「その写真、気に入ったの」
千歳が隣に立つ。
「なんとなく。セピア色なのが綺麗で。撮った人の心理は、楽しい一日が終わって寂しくなってきたんじゃないかって、そんな気がして」
「あ、その通りです」
女子生徒が受付から離れて近づいてきた。眼鏡をかけた、大人しそうな子だ。
「あなたがこれを撮ったの」
私が訊ねると頷く。写真の下には神戸美加、と名前があった。
「今年の夏休みに家族で海へ行って、とても楽しかったんです。それで、夕方になって終わっていくその一日がとても寂しくなって・・・・・・。そんな心理も映っちゃっていますね」
恥ずかしそうにうつむく。
「でも、去年とは全然違うわよ。とっても素敵」
知り合いかな。私は千歳と神戸さんを交互に見た。
「はい。私も気づきました。去年撮った写真は、もっと暗かった。枯れた花なんか撮っていたし。亡くなった祖母が棺に入った写真まで撮っていたんですよ。自分でも今
見たら去年撮った写真は痛々しいって思うんです」
会話から察するに、うつ状態になって千歳が助けたというのはこの子のことだろうか。
振り返って空君を見る。空君は私がなにを言いたいのか察したのか、黙って頷いた。
「去年の写真も味があったけれど今年はもっと輝きに溢れているわ」
「あ、ありがとうございます。セピアは辞めようかなって思ったのですが、やっぱり好きで。でもカラー写真も撮って、コンテストに応募しようかなとも考えています」
「すごく頑張っているのね。賞、取れるといいわね」
「はい」
神戸さんは笑顔で会釈をすると、もとの持ち場へと戻っていった。
うつはそもそも完治しない。だから寛解という。
でも、だからこそ私はこのセピア色の海と雲の写真に共感できたのだろうと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます