第14話
「ええ。なにを食べても、なんの味もしなかったんです。でも戻ったのは千歳のおかげかも。どうして彼女はあんな魔法みたいな言葉が次々出てくるんでしょうか。きっと、生きているのが楽しいんだろうな」
いつになく饒舌になっている。きっとこれは滑らかな味のコーヒーのせいだ。
使用したサイフォンを片づけていたトシさんが急に私を見た。
「あの子は、どんなに辛いことがあっても生きていかなきゃなりませんから」
それを聞いた瞬間、指先が跳ねた。
トシさんを見る。トシさんは目をそらし、しばらく黙り込んでからゆっくりと口を開いた。
「千歳ちゃんのご両親と私は古い付き合いでしてね。お父さんのほうは結婚前から知っております。私が会社の上司でした。彼が結婚して千歳ちゃんが生まれて。だけど千歳ちゃんが四歳くらいになったとき、心臓に穴が開いているっていうことがわかりましてね」
「そう、だったのですか・・・・・・」
持病があった。その事実に少し動揺する。
「千歳ちゃんも隠しているわけじゃないし、いつか亜紀さんに話すと思うからここで言ってしまいますが。当時は心臓移植の法整備もネットの環境もまだ整っていない時代でした」
のれんの奥から空君の「ただいま」という声が聞こえる。トシさんは私が来ていることを話し、「話があるそうだぞ」と伝えていた。
「じゃあ俺にもコーヒー入れて。着替えたら行く」
声が聞こえて二階へ上っていく足音がする。
静かになったあとで、コーヒーを淹れる準備をしながらトシさんは続きを話した。
「千歳ちゃんの手術ができる名医を探して一年かけてアメリカで見つけました。私も随分手伝ったなぁ。費用もバカにならず、寄付を募りました。人の力を借りて、今でいうところの『救う会』みたいなものを設立しました。寄付は本当に大勢の人のおかげで集まりましたよ・・・・・・手術も成功しました」
「なら今は健康なのですね」
「定期的に病院には通っているらしいですよ。後遺症として不整脈があるらしいです。激しい運動も制限されているようで。無理はできないみたいですよ」
手術しても、千歳の心臓は完治したわけじゃない。うつと一緒なのだろうか。
「日本では入院や退院を何度も繰り返していました。こちらからすればとても可哀想に思えましたよ。何度も同じくらいの年齢の子が同じような心臓の病気で亡くなっていくところを見ていたんです。それが今の千歳ちゃんを作ったのだと私は思うのですよ」
うつと一緒じゃない。
人は誰でも生まれたら死に向かって歩いて行く。そこは共通であるものの、生きている間はみんな生きようと必死だ。
反面、うつは死が根底にあって、生きたいとは思わない。けれど千歳の場合はたくさんの人に支えられて生かされたという事実があるから生が根底にある。
亡くなった子を見たときはどんな気持ちになっただろう。そうして自分が助かったときは。
きっと想像を絶するほどの心理状態の中にいたのかもしれないと思うと私も胸が締め付けられそうになる。だからこそ千歳は、きっと、死ぬことなど考えないで生きているのだ。
もともと千歳は、私とは対極に位置する人間だった。
「だから多分、死にたいっていう人を助けたいって千歳さんは思っているんじゃないかな。俺に心象風景が映るポラロイドを使わせているのもそのためです」
空君が私服でやって来て話を聞いていたのか、そう言いながら私の隣に座った。
咄嗟に立ち上がり姿勢を正してこの前のことを平謝りする。
すると空君は両手を顔の前で振って笑った。
「大丈夫です。気にしていませんから。薬が効いていたことくらい、俺にもすぐわかりましたよ。目の前で飲んでいましたし亜紀さん自身がそう言っていましたし。去年同じ部活の女の子もうつっぽくなっていて。一時薬に頼っていて様子がおかしかったんです。あの時の亜紀さんはその子と似ていたから。でも、千歳さんはその子の面倒も見てよくして下さったんですよ。今は元気です」
「そうなんだ」
千歳はひょっとすると死にたいという人に生きることの某かを知って欲しいと思っているのかもしれない。だからこそ彼女なりのやり方でそういう人たちの力になろうとしてくれているのだ。
「こちらこそ、奢って頂いてありがとうございました」
空君はぺこりとお辞儀をする。いえいえ、と私も頭を下げる。
これでもう空君とのわだかまりは消えた。
「亜紀さんがよくなっているのも、多分千歳さんの計らいですよ」
空君はコーヒーカップを持って笑顔で言う。
「計らいって?」
「二十一日参りを知っていますか」
トシさんがポツリ、と言った。
「二十一日参り?」
私は訊ね返す。
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