第6話

十月一日

 

何度繰り返しアラームが鳴っても全くベッドから起きられない。うつである。


倦怠感が蛇のように身体にまとわりついて蝕んでいく。このまま蛇の化身として現れて、私を食べてくれたらいいのに。


戸建ての家は周りをマンションに囲まれて日が差さず、いつも暗い。日が当たるのはこの時期は午後の一時間半程度だ。余計に気が滅入る。


『ごめんなさい。今日はやっぱり行けません。起きられなくて。ごめんなさい』


アラームを止め、千歳にLINEを送る。


約束を早速破った。これで見放されるかな。約束破りの常習犯で友達からは誰からも声をかけられなくなった。行くといった短大の時の友達の結婚式にも出席することができなかった。


しかも三人。本当は行きたかった。だけど、あの時はもう声すら出せなくなっていたから、却って失礼だと思ったのだ。


ハレの日に一人暗くなっている、しかも薬漬けで死ぬことばかり考えている女が結婚式や披露宴にいたら雰囲気もぶち壊しだ。心を患っていたからという理由はあっても、やはりそのせいで溝はできた。


今友達は誰もいない。いや、友達は昨日できたか。 


千歳からはOK、というLINEスタンプが来た。


明日も待っていると続けてLINEが来る。まさかずっと待っているというのは、私が来られるようになるまで待ち続けているという意味だろうか。まるで黄色いハンカチみたいだ。


それにしても・・・・・・動けない。


もう少しだけ眠ることにした。まどろむ中で、心療内科、どうしようと考える。あそこは薬のみを処方する場だ。


もう薬も飲みたくない。飲んでよくなったためしがない。だが、もし少しよくなったら、手帳を取得して、障がい者枠で働くという魂胆もないわけではなかった。


そうでもしなければ経済面で生きていけない。五年間正社員として働いたときは、親に生活費を毎月三万渡していたくらいでほとんど使っていなかったから、貯金はある。だがその貯金も、切り崩していけばすぐなくなる。


親にも少しずつ一人暮らしの期間のお金を返していかなければ。



やっぱり生きていても、生きる価値なんてないのではないか。障がい者枠で働いたところで、迷惑をかける。企業がそうした取り組みをしていたところで仕事を教える現場では快く思わない人だっているだろう。負担が誰かにかかるのだから。



死んだほうがよくね? なんで生きているのだろう。やっぱり死んじゃおうか。死んだら楽になれるのかな。死んだら、私は消えてなにもなくなる。無になれる。



嗚呼、死ね死ね死ねよと延々自分の中で囁く声がずっとやんでいたのにまたループし始めている。以前もそうだった。



「あんた、いつまで寝ているの!」


突然部屋のドアが開き、母親が怒鳴って起こしに来た。まどろみタイムは終わった。


枕元に置いてあるスマホの時計を見ると十時半になっている。


「起きられない・・・・・・」


ごめん、いつまでも親不孝な娘で。


「またうつになったって本当なのか。一人暮らしをしていた間によくなったんじゃないのかい。私たちがあんたを一人暮らしさせるため、よくするために出したお金は無駄に終わったのか」

「よくなって、また悪くなった」

「ああもう、どうして!」


苛立った声に小さな子供のように身をすくませる。


母は鉄分とカルシウムが足りていないのではないかと思うほどいつも苛々している。


言葉遣いも悪い。幼い頃からずっとだ。


キンキンした声も、苛々しているのも怖くて、そんな母の性格もうつに影響しているのだろう。


幼い頃からのいくつもの小さなストレス。それが風船のようにパンパンに膨らんだあと、受験の日に起こったことと学校生活が引き金となり、破裂して病んだのかもしれない。


「ごめんなさい」

「それでまた無職なのか! 辞めてくれ。もう結婚でもなんでもいいからしてちょうだい」


うつ女と結婚してくれる相手などいるのだろうか。母は自立して欲しいのだろう。


生きるなら お嫁に行けよ ホトトギス?


頭の中でどうでもいい一句が浮かぶ。



「もう少し待って。ちょっとまた悪くなりそうだから」

「なんでこんな子になっちまったんだよ、馬鹿女」

 死ねるなら 死んでしまえよ ホトトギス

 母の言葉に、頭の中は生と死が揺らめいている。昨日賭けて生きると決めたのに。

 母はなにかまくし立てそうな勢いで口を開いたが私の顔を見て黙った。

「顔色、悪い。もういい。寝ていろ」

「起こしに来たんじゃないの」

 私は目だけで母を見る。馬鹿女。突き刺さる言葉だ。どうしてこういう言葉を使うのだろう。

「あんたのその顔色見ると、今にも死にそうで胃がおかしくなるんだ。本当にいやになるよ!」

 母は泣きそうな顔をして部屋を出て行った。

元々母は、十代から五十代前半くらいまで茶道を学んでおり、許状も持っている。日本的なものが好きらしい。時々和服を着ているのも、私が高校に上がるくらいまではよく見ていた。

だが私がうつを発症してからは茶道をやめ、和服を着ることもなくなった。茶道を習っていたわりに言葉遣いが悪いのはなぜなのだろう。母の問題? それとも私のせい?

でも私がいるからお弟子さんも取れないのかな。

 親にとってはいつまで経っても自立できない娘がいるのと、娘がこの世からいなくなって食いぶちが減るのと、どちらがいいのだろう。

誰かと結婚して孫の顔でも見せて幸せに生きたり、生きがいを見つけてキャリアウーマンとしてバリバリ働いたり、そんな生き方をしていれば両親も安心なのだろうけれど、それができない以上は、どうすれば一番負担をかけずに生きていけるのだろう。

 やっぱり多少の迷惑がかかっても障がい者枠で働く、かな。心療内科を予約しよう。

そういえば、食欲も湧かない。

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