第5話
とうとう幻覚まで見えるようになった。
その写真は無愛想な私の顔でも全身でもなく、砂漠の中に半分埋もれている一本の折れた木が白黒で映されていた。
「これが亜紀ちゃんの心の風景」
写真ってそんなものを映せたっけ。私の知らない間に世の中が進化したのだろうか。
混乱しているのを察したのか空君が説明をする。
「あ、そのですね。俺がポラロイドで撮る写真だけ、なぜか不思議なことに心の景色が映ってしまうんです。チェキもなんですが」
横に立っている空君を見上げた。
「なんで」
「俺にもわからないんです。親父の使っていた八十年代のポラロイドも、親父が撮れば見たままを映し出すのに、俺が撮ると心象風景みたいなものが撮れてしまうんです。それが人の心の風景だとわかったときは気味が悪くてもう触らないでおこう、このポラロイドも捨てようと思ったんですが、千歳さんがいつか人のためになるからと言ってそのまま・・・・・・」
「もしかしたら超能力なのかもしれないわ。写真を通してのみ人の心を映し出せる、空君の素敵な超能力」
「千歳さん、やめて下さいよ。俺、人の心なんてわからないし」
空君は彼女の隣に腰をかけた。親子くらいの年齢差はあるのに仲のよい姉弟にも思える。
見せたいものってこの心の風景のことだったのか。
「それであの、この写真が私の心の風景だとして・・・・・・どうしてこれを見せたいと」
「占いで伝える言葉よりも、写真としてあなたの状態を見たほうが早いだろうと思ったから。それを見てどう思う」
「どうって」
占いの延長線上みたいなものだったのか。
折れた木に砂漠の白黒写真。確かに的を射ている。目で見えている景色に色がついているのは認識しているけれど、心で感じる色は目で見たものに染みこんでいかずに白黒に見えるのだ。
いや。目で見える景色も、黒いセロハンでもかけられたかのように全体が暗く見える。これも私の経験してきた、あるいは今している症状の一つ。
そうして症状が悪いときは本当になにも目に入らなくなる。音や声も聞こえはするけれど、これも酷くなると頭には入らなくなる。多大なストレスがかかれば、声も出なくなる。
二十代の時の一人暮らしをする前には最終的にそうなっていて、親に土下座をしたときは既にひらがなだらけの筆談だった。
「完璧に私の心です。きっとこのままだと、写真は真っ黒になります」
「真っ黒?」
「ええ。ただ呼吸をしているだけの人間になります。精神の瀕死状態になると、その超能力で映し出される私の心象風景は多分このコーヒー以上に真っ黒になるでしょう。今も見えているものがぼやーっと黒みがかっていて」
占ってもらうまでもなく、私は自分の将来を予言していた。
なんだ、私も自分のこと占えるじゃん。推測と経験則からの占いだけれど。
「見える景色を明るくするためにはどうしたらいいかな」
千歳は頬杖をつき親身に考えてくれている。先ほどから厭な気分に全然ならない。
少なくとも傷ついてはいない。なら自分に課した賭けは生きるほうだ。
もう少しだけ生きてみようか。
「年齢が近そうですし友達になってみるのはどうですか。そうすればこの枯れ木の白黒写真も変わると思います」
「それ、いいわね」
千歳は上目遣いで私を見る。
どう? 友達にならない? そんな視線を向けてくる。
友達。今更友達を作っても、離れていくのではないだろうか。
「うつですよ?」
「ええ」
「迷惑かけまくりますよ」
「ええ。大丈夫」
大船に乗ったつもりでなんとやらという言葉があった気がするけれど、本当に溺れた私を拾い上げて大きな船で包みこんでくれるような口調だ。
千歳と友達になったら、本当に変わるの? 自分のことしか考えていないようで嫌になるけど、でも。友達になってくれるという人がいるのならなってみようかな。
「じゃ、じゃあ、お恥ずかしいけれどよろしくお願い致します」
私はぺこりと頭を下げて、バッグからスマホを取り出す。
「LINEかメールアドレスを交換しましょう」
静かな喫茶店の中で私たちはLINEとメールアドレスの両方を交換することにした。
するとすぐに千歳からLINEが来た。
「花束、どうもありがとう。あなたと友達になれてよかった」
文章を読んで千歳を見つめる。ただ微笑んでいた。この人の微笑みには、人を癒す力があるな、などと考えながら、私は白いディスプレイになにを書いていいのかわからず、ただ、よろしくお願い致しますとバカのひとつ覚えみたいにさっき言った言葉を文章にした。
「じゃあ、明日から早速会いましょうか」
「明日?」
「朝八時にこの近くの花守神社。場所は知っている」
「え、はい」
八時。八時。起きられるだろうか。明日は眠りたいだけ寝ようと思っていた。
うつは朝が酷く辛いのだ。
「来られなかったらそれでもいい。でも私はずっと待っているわね」
「あの。仕事は。夜に占いをずっと?」
「占い師と家庭教師をね。空君の勉強を十歳くらいの頃から見ているかな。今は週三。占いは保険会社との契約で、新宿のデパ地下で不定期に月七回から八回くらい。
たまに関係者から呼ばれて占いのイベント会場に赴いたり、メール鑑定を家でしていたり。今日みたいな路占いも不規則だけどやらせて頂いているの。それでなんとか生活をしている」
「そうなんですか」
不規則で不安定な職業だけれど、本人がいいと思っているのならいいのだろう。
「二十代の頃は企業に勤めていたんだけどね、オフィスビルに朝から夜までこもっている日々になにか違和感があって会社勤めだけが人生じゃないと感じて辞めてしまったの。それで三十から古くからの付き合いであるトシさんの頼みもあって割と好待遇な家庭教師に転職、あとは好きに生きようと決めたの」
千歳は言って微笑んだ。
「なぜ占い師になろうと?」
「小さい頃から興味があってね。トシさんのお父様も占い師だったの。トシさんが私のことをお父様に頼んで占って下さったこともあった。そこに感化されたのかな。十五歳から七年ほど専門の先生に師事して学ばせて頂くことになったの」
私は頷き聞いていた。
色々な人が色々な生き方をしている。色々な能力を無自覚に持っている。
私はなにを持っているのだろう。
そして、どんな生き方をしていけばうつから解放されるのだろう。
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