第4話

「あそこに行くまでちょっと手伝って下さると助かる」 


言ってブーケを一旦私に預け、折り畳み式の机と椅子を二脚畳むと、両手で重そうに抱えながら歩道を渡ってシャッターの閉じられた敷地内まで持って行く。


一階のお店は喫茶店で、六十代の店主が孫と一緒に二階と三階に住んでおり、路上占いの仕事をしていないときは庭に机と椅子を置かせてもらっているのだそうだ。


閉じられたシャッターの裏側に回ると、千歳は塀の脇に机と二脚の椅子を置く。

門灯が点いていた。普通の民家の玄関になっており呼び鈴を鳴らすと、本当に六十代くらいの男性が出てきた。


細身で白髪、銀縁眼鏡をかけた穏やかな雰囲気の男性だった。貫禄もある。


玄関先にはすぐに階段の側面が見える。


「おや、千歳ちゃん。占いの仕事は終わりかな。早いね」

「はい。今日も机、置かせて頂きます」

「構わんよ。お疲れ様。そちらのお嬢さんは。初めて見ますが」


ふと、男性の目が私に向いた。咄嗟に言葉が出てこなくて、会釈だけした。


「先ほど占いをほんのちょっとだけ見させて貰った遠山亜紀さんです。今日はその、そら君に写真をお願いしようかと。そのために早く切り上げました」


「店、今開けるから入り口のほうへ回ってください。空を呼んできます。特別にただでコーヒーを淹れましょう」


空、とは先ほど聞かされたこの人の孫だろう。


見せたいものって写真? なんの? まあ、そのうちわかるか。


「ふふ。コーヒーただで淹れて下さるって」


千歳は微笑む。私は花束を返すと思考を停止させたまま喫茶店の入り口まで戻る。

シャッターが開いた。


お店のドアを開け、男性は私たちを招き入れる。「CLOSE」の札をかけてシャッターを半分閉める。


中には既にコーヒーの香りが漂っている。何年も経営をしていて染みついた香りだろう。


「適当に腰をかけて。空はもう呼んだので」


男性はカウンターの奥に立つと、豆を挽く。カウンター席は五つ、ボックス席も五つ。


小さな喫茶店だ。千歳は入り口から三番目のボックス席に腰をかけたので、私はドアを背面に向き合う形で座った。カウンター席とボックス席は並行しており、奥にはのれんがある。のれんの奥に階段が三段ほど見える。


階段を登ったところが男性とお孫さんの生活拠点なのだろう。


高校生くらいの男の子が顔を出した。靴を裏の玄関口から喫茶店側に持ってきて履いている。この子が空君か。


「ちっす」


身長は百七十五センチくらいあるだろうか。健康的な色白で、あどけない顔立ち。


爽やか可愛い系男子といったところだ。


「お邪魔しています」


千歳は私を軽く紹介し、空君に言う。


「お願いしたいの。ポラロイドの写真をこのかたに撮って頂けないかしら」

「ああ。はい、いいですよ。ちょっと待って下さい」


のれんの奥に引っ込み階段を駆け上っていく。



十六、七歳くらいかな。空君と同じくらいの年齢の時は既にノイローゼになっていた。

できることなら返して欲しい。私の青春。酔っ払いと痴漢が私の人生の明暗を分けた。

女子校は校則がとても厳しかった。そして家庭環境も厳しかった。だからうつになった。

なんてくだらないことでうつになったのだろうかとも思うが、なってしまったのだから仕方がない。そうして高校を卒業してもまだ苦しみから逃れられない。

「お待たせ。オリジナルブレンド」

 コーヒーを差し出された。

「あ。えっと」

 私はぼんやりと男性を見上げた。

「このかたは田辺俊夫さん。トシさんと呼ばせて頂いているの」

「トシさんと呼んでくれて一向に構いませんよ」

「はあ」

「ごゆっくり」と言って、トシさんはカウンターの奥へと戻る。

 熱いコーヒーをブラックで一口飲む。砂糖もミルクも入れるのが面倒くさい。味覚も鈍っているから味がわからない。一旦溺れ始めると味覚もなくなるのが私のうつだ。美味しいのかまずいのか、その判断すらできない。

「持ってきましたよ」

 空君が階段から降りてきて私達の前に立った。持っているのはいかついポラロイドカメラだ。

「彼、高校二年生でね、写真部なの」

 千歳がカップを受け皿に置き説明をする。すると空君も軽く自己紹介をした。

「新橋から乗り換えて地下鉄から二つ目の駅にある城宮高校に通っています。一応写真を撮るのが趣味でして。両親ともに、写真家なんです。一年中海外を飛び回っていて、その影響で俺も写真を少しやっています」

「それはすごいですね」

 なんの感情も湧かずにただ、社交辞令の如く言った。

「いえ。そんなことは」

 空君は照れたように笑う。鵜呑みにしてしまうところが十代だなぁと思いながらも、その初々しさが羨ましい。

初々しさをいつからなくしたのだろう。私の表情はおそらく酷く曇っており、目は死んだ魚のようになっている。だから会社も辞めたのだ。もちろん、頭が働かなくなって正常な判断ができなくなったということもあるけれど。

「遠山さんでしたっけ。通路のほうまで出て下さい」

 言われたとおり通路に突っ立つ。笑うことさえ今はしんどい。空君は距離をとると「行きますよ」と言ってシャッターを押す。すぐに一枚の写真が出てくる。空君はそれを千歳に渡した。

 千歳はしばらくそれを眺め、座った私にすっと差し出す。

無表情で不細工な私の写真が写されているのだろうと思い見ると――。

「あれ。え?」


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