【書籍発売中】薄命聖女と不死の狼騎士の呪われ婚(Web版短編)【コミカライズ】

ゆちば@「できそこないの魔女」漫画原作

薄命聖女と不死の狼騎士の呪われ婚 Web短編

「大嫌いよ」


 ぎゅんっ

 起床直後、何者かに心臓を鷲掴みにされたかのような冷たい痛みがフェルマータに走る。


 息が苦しく、床と天井がぐるぐると回り、ベッドにしがみつくように床に膝を着いてしまう。


 これは、【死】がすぐ背後に迫っている感覚だ。

 そう思ったフェルマータは、息も絶え絶えにネグリジェを脱ぎ捨てると、なんとか姿見の鏡の前に背中を映し出した。


(あぁ……。やっぱり、死にかけてた……)


 背中に刻まれているのは、血のような紅色の砂時計――【砂時計の刺青】だ。

 ただし、上部にある砂はほんの一粒ぽっち。残るすべての砂は、たんまりと下部に溜まっている。


(まだ二日くらいは大丈夫だと思ったのに……。くそっ)


 忌々しい刺青を見て、フェルマータは唇を噛み締めながら、床にぺたんと倒れ込む。

 もう、起き上がる力などない。


【砂時計の刺青】は、生きた刺青だ。

 ここナギアス王国に巣食う怪異【死神】が呪いを与えた対象に刻まれる刺青で、砂が下に落ち切ると呪いが完成すると云われている。


 フェルマータがかけられた呪いは、「死の呪い」。

 砂がすべて落ちた時、フェルマータは命を落とすのだ。


 そして、それが今日――。


(死にたくない! 私、まだ生きたい……!)


 意識がふぅっと途切れそうになったその時だった。


「フェルマータ!」


 バンッと乱暴に寝室のドアが開かれたかと思うと、黒髪に金の隻眼の騎士が勢いよくフェルマータを抱き起こしたのだ。


「ひゃっ?!」


 騎士はフェルマータの背中を見ると全てを察したらしい。

 フェルマータをぎゅっと抱きしめ、蜂蜜色に輝く長い髪に口づけを落とすと、耳元で優しく囁いた。


「我が妻よ、愛している……。愛している愛している愛している愛している愛して……」

「うぉぉいっ! あんたは壊れた魔道音楽器かぁぁっ!」


 まさかの「愛している」のリピート再生に、フェルマータは怒号をあげた。

 そして燃え上がる蒼い炎。これは怒りの炎ではなく、呪いが少し解けた証の炎だった。


「良いぞ。俺の刺青にも解呪の炎が見られる。今、愛し合っているということだな!」


 騎士は、自身の右手の甲の刺青が蒼く燃える様を満足そうに眺めている。


「こんなの愛じゃないわよ! 助けてくれてありがとうって思っただけ! ただの感謝!」


 フェルマータが叫ぼうが喚こうが、【砂時計の刺青】の砂が少し上部に戻り、命が繋がれたことは事実だった。

 だが、納得がいくわけがない。


「愛してるって言った回数だけ、呪いが解けるわけじゃないから! 朝からホラーやめなさいよ!」

「そうなのか。恋愛指南書3巻には、『愛してる』と言われるたびにとろけて淫らになっていく女が描かれていたのだが」

「だから、そのいかがわしい本を参考にしないで」


 フェルマータがこれ以上の抱擁を拒否した騎士の名は、ヴォルフ・ブレンネル。王国の北の領地を治める辺境伯であり、「不老不死の呪い」により二百年もの時を生きる男であり――。


「俺は貴様の夫だ。素直に愛されろ」


「なんでスパダリ気取ってんのよ。ヤダ、もう妻やめたい……。死にたくないからやめないけど」


 フェルマータの「死の呪い」とヴォルフの「不老不死の呪い」は、愛し愛されることで解けていく。

 フェルマータの二十歳の誕生日に出会った二人は、死神学者によるその仮説を信じ、契約結婚をするに至った。

 フェルマータは生きるため。

 ヴォルフは死ぬために。


 けれど、いきなり愛し合えと言われたところで、「はい喜んで!」とはなるわけがなく。

 フェルマータは偉そうに「貴様」呼ばわりして、ズレた恋愛知識を盲信しているヴォルフを愛するどころか、彼をできる限り避けていたのだった。


 その結果が、先程の「死にかけ」なのだが。


「貴様が死ぬと、俺の呪いを解く術が失われるのだ。貴様もうっかり死にたくはないだろう。前向きに取り組め」


 愛は仕事じゃない!


 そう叫ぶ前に、自分がネグリジェを脱ぎ捨てていたことを思い出したフェルマータは、真っ赤になって神聖術ビンタを夫に繰り出したのだった。



 ◆◆◆

 フェルマータは【死神】の呪いを受ける前は、守護聖女という聖職者だった。

 ランクでいうと、上から二番目。教会のトップである大司教の次に高位な職だ。

 フェルマータの才能と修行の賜物である神聖術は、王国ではもはや大司教以外敵う者はおらず。


 そして磨きに磨いた美貌によって、フェルマータは王子ケビンの婚約者にまで上り詰め、ワールドイズマイン秒読みだったのだ。


(薄命聖女は、お役御免で追放されちゃったけど)


 今思い出しても腹が立つ。

 呪いを理由に婚約破棄を決めた王子、除名処分を言い渡してきた教会、死人扱いしてきた王国民……。

 たっぷりの未練や憎しみを残したまま死ななくて本当によかった。


(生きてこそ……。死んじゃったら、あいつらをギャフンと言わせられないもの)


 だから死んでも死なないのよと、フェルマータは日々を必死に生きているのだが、正直もう誰も愛したくない。裏切られることが耐えられないのだ。

 ヴォルフが勝手にフェルマータを愛し、フェルマータの呪いが解けていく分にはかまわない。けれど、こちらが彼を愛し、彼の呪いを解いてあげる未来など想像ができない。


 そもそもヴォルフは二百年も生きているせいか、人間味に欠ける部分が多い。

 死にたい故に食べない、寝ない、致死傷大歓迎。普通に怖い。

 しかも、愛や恋とは無縁の生活を送っていたようで、アプローチがいちいちおかしい。


 時折【砂時計の刺青】の炎が燃え上がるのを見ていると、些細な親愛の情にも反応している気もするが、おそらくそんなペースでは永遠に呪いは解けないのだろう。


「はぁぁぁ……。契約結婚つら……」


 とある昼下がり。

 フェルマータが息をつきながら屋敷の廊下を歩いていると、食堂から何やら甘い香りが漂ってきた。

 ヴォルフの臣下に料理が得意な騎士がいるので、彼が手作りおやつを作ってくれているのだろうと、フェルマータがご機嫌に厨房を覗くと――。


「今日のおやつはなぁに?」

「ケーキだ」


 ケーキだ……、ケーキだ……、ケーキだ……。

 フェルマータの脳内でエコーする声は臣下の騎士のものではなく、夫のヴォルフだった。


「ななな、なんであなたがいるのよ! 普段何も食べないくせに!」

「食べずとも作ることはできる。厨房に入るのは二百年ぶりだが」

「どういう心境よ。……っていうか――」


 厨房の惨状を見て、絶句する。

 こぼれた材料や使い終えた調理器具が散らばっているというだけでなく、肝心のケーキがえらいことになっていたのだ。

 ぺしゃんこのジェノワーズ、緩すぎたクリーム、美的センス皆無の配置の苺……。日指で軽くつついたら雪崩が起きそうなソレは、一言で表すと“可哀想な何か”だ。


 これを見せられて、とても黙っていられなかった。

 先日の誕生日(命日予定だった日)に自作したくらい、ケーキが好きなフェルマータだ。目の前の“可哀想な何か”をこのまま完成と認めることなどできなかった。


「私が再生させるから。こんなのもらう人が気の毒よ」


 髪を後ろで結わえながらそう言うと、フェルマータはヴォルフからパレットナイフを奪い取り、ケーキのリメイクに取り掛かった。


 ヴォルフはというと、始めは「俺がやる」と抵抗していたのだが、フェルマータのデコレーション技術を見て諦めたようだった。


「上手いものだな。王子にもよく作っていたのか?」

「全然。ケビンは宮廷パティシエが作ったお菓子しか食べなかったから。『僕は素人の作ったものは口にしないと決めているんだ』って。失礼すぎるわよね? 私、婚約者だったのに」

「一国の王子ともなれば、仕方ない部分もあるだろう」

「でも作った人の気持ちを蔑ろにしてる感じが悔しいじゃない」


 フェルマータは当時を思い出し、ふつふつとした怒りを覚えそうになるが、苺を美しく飾ることによって心を無にした。


(たしか東方の国のことわざで……。心頭滅却! 火もまた涼し!)


 そして数刻後。

 フェルマータのケーキへの熱意により、ヴォルフ作“可哀想な何か”は生まれ変わったのである。


「見なさい! このビューティフルなスコップケーキを!」


 どや顔のフェルマータとリメイクされたケーキを見て、ヴォルフは「ほう」と感嘆の息を漏らす。


 平たい皿からガラスの器へと移動したケーキは、多少クリームが緩くても、器に入っているおかげで問題なし。苺が器の内側と上部に綺麗に並べられ、とても華やかで豪華に見えた。同じ材料でも魅せ方で激変したわけだ。


「たいしたものだ。アレがこうなるとはな」

「そうよ。工夫と技術でアレがこうなるのよ」


 ふふんと得意げなフェルマータは、自信たっぷりにスコップケーキをヴォルフに差し出した。


「はい。これなら相手も大喜びよ。で、誰にあげるわけ?」


 ヴォルフに仕える騎士かメイドか。彼のそばにいる人間は限られているため、それくらいしか名前が思いつかない。

 もしや、亡き兄上に捧げる的な感じかもしれないと、フェルマータが想像を巡らせていると――。


「貴様だ。貴様に贈るケーキだ」


 聞き間違いだろうかと、フェルマータは目を丸くした。


「貴様って誰。えっ、私?」

「他に誰がいる。これはフェルマータの誕生日ケーキだ」

「私の誕生日、あなたに初めて会った日だけど?」

「知っている」


 真面目なイケメンフェイスで見つめられると、ついうっかり照れてしまう。

 フェルマータは顔を赤くして、「えっ、えぇっ?」と戸惑いを隠せなかった。


「なんで私に……?」

「出会った日は、貴様を屋敷に招くだけで終わってしまったからな」


(招く、じゃなくて拉致だったけど)


 その言葉はグッと飲み込んで。


「貴様は菓子を作った者の気持ちを蔑ろにはしないのだろう? 愛する妻の誕生日を祝いたい俺の想い、受け取ってくれるか」

「え……っ」

「思い出を上書きさせてくれ。フェルマータ」


 嬉しい、と思ってしまう。

 呪われてから、誰にも祝われなかった誕生日。

 死ぬまでのカウントダウンだった誕生日。


 誕生日が寂しくて悲しい日じゃなくなるんだ……と、フェルマータの胸は意図せずきゅんとなってしまう。


 けれど、いらぬプライドが邪魔をする。


「な……、なにかっこつけてんのよ! どうせ、あなたの恋愛指南書に『イベントは大事にしろ』とか書いてあったんでしょ? っていうかデコレーションしたの私だし! 喜んで食べるわよ!」

「うむ。豪快に食え」


 満足そうに頷くヴォルフの顔がちょっと可愛くて、ずるいと思ってしまう。


(あぁ、ヤダヤダ。素直じゃない自分が大嫌い……!)

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