第三話 アイエス

 マネージャーを始めて一週間くらい経った。

だんだん仕事にも慣れてきて、陸上部員たちとも少しずつ話すようになった。

岡本が言っていた通り、皆俺の年齢など気にしない様子で話してくれる。

クラスではさくらしか話し相手がいない俺にとっては、とても有難い。

ひとつ気になることがあるとすれば、副部長の倉野だ。

相変わらずこちらには無関心というか、話しかけるなというオーラを醸し出している。

どうしたもんかね。


 今日は道具の準備なんかも早く終わったので、グラウンドの端で皆が練習するのを眺めていた。

部に入ってから知ったのだが、さくらはかなり有望な選手らしい。

短距離でインターハイに出るのも夢ではないとか。

実際、練習を見ているとよく目立っている。

足は速いし声は大きいしな。

一年生ながら、部を引っ張っているような存在だ。

そんなさくらに、俺は昔の自分を重ねていた。


 さて、次の仕事まで結構時間が空きそうだな。

ブログでも書くかね。

携帯を開き、ブログの執筆を始めた。

ブログを始めたのは、一度高校を中退してから半年くらい経った頃だ。

ペンネームはアイエス。

当時は中退のこともあってかなり落ち込んでいたから、青臭い人生論なんかをよく書いた。

高校の勉強は独学で続けていたから、勉強法なんかについてもよく書いていた。

それが少しずつ人気になって、今ではブログである程度の収入を得られるようになった。

この間は「『学校』に入学しました」という記事を書いた。

高校に入学しましたと書いたら身バレしそうだからな。

幸い、読者は大学か専門学校に進学したものだと思ってくれているらしい。

さてと、今日は数学の勉強法でも書くかね。

度々教えを乞うてくる生徒様がいるおかげで、ネタはたっぷりあるからな。


 ブログを書いていると、倉野がやってきた。

委員会か何かで遅れてきたらしい。

「……」

「……」

一人で携帯をいじる俺と、準備体操をする倉野。

特に会話もなく、ただ時が過ぎていく。

しかし、準備体操を終えた倉野が珍しく話しかけてきた。

「相原くん、お仕事は終わったの?」

「はい」

「あら、そう」

サボってるとでも思われたのだろうか。

「さっきから携帯で何をしてるの?」

「ブログですよ」

「……ブログ?」

「えぇ、趣味なもんで」

「……そう」

それを聞いた倉野は、他の部員たちのところに走って行った。


 執筆に夢中になっていると、いつの間にか練習が終わっていた。

俺は片付けを始めた。

両手いっぱいに練習道具を抱えて部室に入り、所定の場所に片付けていく。

ふと部室の片隅を見ると、冊子とノートが積まれていた。

懐かしいな、部誌と練習ノートだ。

歴代のものを丁寧に保管してあるらしい。

練習ノートは、毎日の練習内容を記録するものだ。

練習が終わると部長が責任を持って書くことになっている。

それに対し部誌は、伝統的に夏の大会が終わる頃に発行されるものだ。

前年の新人大会やその年の夏の大会の記録を書いて、各部員に配る。

記念にもなるし、良い伝統だと思う。


 俺は片付けを終えると、積まれてあった部誌を手に取った。

何年か分をぱらぱらとめくって読む。

なんだか懐かしい気分だ。

だが次の年のを読もうとした瞬間、一年抜けがあることに気づいた。

ああ、なるほど。

俺が中退した年の分か。

「厄年」のものは置いておけないってことか。

それまでの懐かしい気持ちが一気に消えた。

部誌を積み直していると、倉野がやってきた。

「何やってるの?」

「いえ、ちょっと部誌を読んでたもんで」

「部室のカギを閉めるから早く出てくれる?」

「はい」

相変わらず冷たい対応だ。

ふと思い立ち、俺は倉野にある質問をした。

「倉野先輩、部誌に抜けがある理由って知ってますか?」

「部誌?いや、分からないわ。私も不思議に思っていたのだけど」

「そうですか」

どうやら、あの年に何が起こったのかを知らないらしい。

副部長ですらそうなのだから、皆もそうだろう。


 倉野が部室に鍵をかけ、俺たちは帰宅の準備を始めた。

他の部員たちは既に帰ってしまっているようだ。

倉野が俺に話しかけてきた。

「相原くん、質問をしていいかしら?」

「いいですけど」

「あなた、今まで高校に入っていたことはある?」

……なぜそんなことを聞くのだろう?

まあ、「若野木高校に」入っていたことを言わなければ大丈夫か。

「ええ、そうです。中退しましたがね」

俺は倉野に向かって、そう答えた。

「……そう」

倉野は静かにそう言った。


 家に帰って、今日書いたブログ記事の反応を見ることにした。

既にコメントがついている。

俺はコメントには基本的に返信することにしている。

そういうことを疎かにしていると、読者ひとりひとりが見えなくなるからな。

最新のコメントは……「こべ」さんか。

こべさんは数年前からよくコメントをくれる人だ。

どれどれ、なんて書いてあるかな。


こべ:今日も面白かったです。私は最近、素敵な出会いがありました。アイエスさんはどうですか?


ふむ。こべさん、恋でもしたのかな?

結構なことだ。

俺は返信を書いた。


アイエス:それは良いことですね!こべさんの人間関係が上手くいきますように……!


まあ、こべさんは俺のような失敗はしないだろう。

それを願い、エンターキーを押した。

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