電話

Meg

電話 ショートショート

 高校から家に帰ろうと駅の近くを歩いていたら、急にスマホが鳴った。電車のガーガー走る音や、周囲を歩く人の声や足音がうるさかったけど、その日に限っては呼び出し音がやけにくっきり聞こえたから、すぐに取れた。

 スマホ画面に表示された番号は、非通知。出るか迷うが、まあ、イタズラ電話ならさっさと切ればいい。

 スマホに浮かぶ、赤く丸い電話のマークに指を当て、横にスッとスライドさせた。

 

「はい。どちら様?」

『やあ広樹くん、久しぶり……』

 

 口の中でわざとくぐもらせたような、ボソボソと籠った声。気遣うような、気弱な口調。

 懐かしい、よく知っている声だ。急速にテンションが上がり、歩きながらウキウキとしゃべる。

 

「もしかして石田くん? 久しぶりじゃん! なんで俺の番号知ってるの?」

『まあ人ヅテに。キモかった?』

「めっちゃうれしい! 君が転校した時はめっちゃショックでさー」

 

 電話の向こうの石田くんは、口をつぐんだ。

 彼にもいろいろあるのはわかっている。余計な心労をかけさせないため、ありきたりな質問をした。

 

「元気してた?」

『うん。まあまあかな。広樹くんは?』

「俺はめっちゃ元気。あとさ、あの時はごめん」

 

 立ち止まって、ずっと言いたかったことを吐き出した。

 ふとした時に思い出しては、何度も後悔している過去。また思い出して、胸が締めつけられる。

 石田くんは無言だった。

 当たり前だ。許してくれるわけない。謝って済む話じゃない。わかってる。わかってるけど。


「ほんとごめん」

 

 

 

 高校生になる前まで、石田くんとは同じクラスにいた。

 彼は大人しかったけど、話すと面白い。一緒にいると楽しかったから、学校で一番仲良しだった。

 でもある日、彼はクラスのカースト上位者に目をつけられてしまった。

 

「石田ってキモくね?」


 石田くんは大人しくて反撃しなさそうだし、攻撃されるとあからさまにオロオロしてしまう。向こうからしたら、いじめがいがあったのだろう。

 取り囲まれて笑われたり、小突かれたり、悪口を言われたり。

 

「学校来んな」

「死ね!」

「バイ菌」

 

 エスカレートして、殴られていることもあった。

 俺は怖くなった。石田くんがいじめられて傷つくことに、ではない。

 彼と仲良くしていたら、自分も標的にされるのではないか?

 だから逃げ出した。石田くんには近づかず、いじめられても見て見ぬふりをする。

 しばらくして、彼は遠くの学校へ転校した。

 

 


「俺、最低だよね。友達なのに」

『もういいんだ。僕も君を……』


 電話越しの石田くんは、不意に言葉を切る。少し含みがあるような。


『ともかく、話せてよかった。また電話してもいい?』

 

 願ってもない提案だった。

 

「もちろん! 俺からも時々……」

 

 電話するね、と、言おうとした時。

 雑踏から鋭い悲鳴が上がった。

 汚れきったみすぼらしい人がヨタヨタと、追いかけてくる数人の少年たちから逃げている。ゲラゲラ笑う少年たちは、鉄パイプを振り回していた。

  

「ホームレスが!」

「キモいんだよ!」


 いわゆるホームレス狩り、というやつだろうか。あの少年たちの表情は、野獣みたいで普通じゃない。

 その場から離れようとした。


「広樹くん!」

 

 急に呼びかけられたようで、振り返る。

 少年たちに捕まり、殴打され、うずくまって泣いている見知らぬホームレスが、石田くんとそっくり被って見えた。


「助けて!」

 

 あの人は他人。危ない。自分も殴られる。

 理性の叫びは全部頭から吹き飛び、駆け出した。

 彼のところへ。

 今度こそ助けるために。

 

『もしもし、広樹くん?』

 

 落としたスマホからも、石田くんの声がしたような気がする。

 

 

 

「もしもし? もしもし?」

 

 何度呼びかけても、応答はない。

 通信は切れてしまったようだ。

 真っ白な部屋は、消毒液の匂いが充満している。目の前のベッドには、頬がこけ、皮膚が弛んだ老人が、体を横たえていた。

 目を半分だけ虚に開き、表情は弛緩している。腕も足も胴体も、肺のある肋骨の辺りもぴくりとも動かない。

 白くパサパサとした髪の中からは、長い管が伸びている。管を目で辿っていくと、そのラッパ状の終端は僕の手元に行き着いた。

 ウィーンと機械音を立てて、小さな看護ロボットが近づいてくる。

 

「精神ホットラインノ時間ハ終ワリデス。コレ以上ハ患者様の体ヘ負担デス」

 

 ロボットの説教には答えず、ただ彼を悲しく見下ろした。

 五十年前だ。僕が転校してほんの数年後。広樹くんは見知らぬホームレスを庇い、頭を殴打され脳に損傷を負った。以来、この病院で寝たきり。


「でも科学が発達した時代になってよかった」

 

 おかげで、植物状態の人の精神と話せる装置と巡り合った。開発されたばかりだから、長時間の使用はできないなど、まだまだ制約はあるが。

 

「またお見舞いに来るから」

 

 そう言うと、広樹くんの乾燥した口角が、わずかに上がった気がした。

 僕も少し彼に笑い返し、病室をあとにした。

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