第2章 26話 風花の名前

 だんだんと、風花は鼓動が速くなっていくのに気がついた。


 頬が熱くなる。

 隣にいる夏澄の気配が近すぎて、なぜだか逃げたい気持ちになった。


 風花が体を左にずらそうとしたとき、夏澄が身じろぎした。


 風花でなく、彼のほうが距離を取る。彼は右寄りにすわり直し、風花との間の距離が開いた。


 落ち着かない様子の夏澄は、林のほうに視線を彷徨わせる。やがてうつむき、ぽつりとつぶやいた。


「ねえ、風花」


 消え入りそうな声だった。


「前から聞きたいことがあったんだけど」

「なに?」

「風花の名前は、前から風花だった?」


 意味が分からず、風花は視線を返す。


「他の名前で呼ばれていたことはない? そんな記憶は残っていない?」

「他の名前って……」


 夏澄はなにかを探るように、じっと風花を見つめている。鼓動が更に速くなり、風花を言葉が出なくなる。


 夏澄くんは、なにか大事なことを訊いている。ちゃんと答えなきゃ。そう思うのに、頭が働かなかった。


 かなり時間が経ったとき、土を踏み締める足音が聞こえてきた。


 飛雨くん?

 風花は心底ほっとした。


 足音のほうに身を乗り出す。乗り出して、風花はびくっと動きをとめる。


 歩いてきたのは飛雨ではなかった。


 一瞬、気配を消した、さっきの精霊かと思った。


 それも違った。

 夏澄が風花を背中に回す。


 見慣れた人影に、風花の体の力が抜けていった。


「つ、つ、……」

「つ?」

「月お兄ちゃん?!」


 霊泉のほうに歩いてくるのは、風花の兄の月夜つきよだった。

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