第19話 回避が成功したと願って



 私の言葉は予想外の返しだったようで、お母様は衝撃を受けていた。


 推し活。それは「押して駄目なら推してみよう!」という言葉と共に始まった。だがこれは、元をたどれば母オフィーリアの死を、心中を阻止するためにした最初で最後の策でもあった。


 ここまで来るのに、私はお母様という人をどうにか闇に落ちないよう引き上げるために努力を続けたと思う。だけどその日々は決して楽なものではなかった。特に、気持ちが。


 ……ずっと怖かった。死というものと隣り合わせなんじゃないかと。実感が湧かなくても、あの日のお母様は本当に全てを失った目をしていたのだ。そこからわずかな光を宿せたのは、私は未だに奇跡だと思っている。


 お母様がこの先心中をしないとは断言できない。もしかしたら、十回目の記念日だったあの日。それを止められたなら、私はこの先ずっと生きていけるのかもしれない。


 ではお母様は? 一度死のうとしたお母様なら、またーー。


 私は何があってもお母様の娘だから。それ以上に、大好きだから。

 だから、生きていて欲しい。これから先もずっと、ずっと。私の成長を見届けてほしいと思うのはわがままなのだろうか。


 抱いていた小さな苦しみが、どんどん大きくなっていったが、お母様の一言は、私にそれ以上の希望を抱かせた。


 ――もう、お母様は死なない?


 そんな希望を。


 私が夢見た未来が、実現できるのかもしれない。いや、できないかもしれない。自分でもぐちゃぐちゃな感情になりながら、涙は収まることを知らなかった。


 少しの沈黙の後、お母様は私を強く抱きしめた。小さな体は、お母様の中にぎゅっと収まった。


「……約束するわ。絶対にイヴちゃんを置いて死のうだなんて、二度と考えないと」

 その声は、今まで聞いたどんな声よりも力強く意思のこもった声だった。

 そう答えを聞いた瞬間、安堵からか、ため込んでいた涙が一気にあふれ出た。


「ううっ、うっ……」

「約束するわ……!」


 お母様の抱きしめる力は少しずつ強まった。


「ごめんねイヴちゃん。本当にごめんね」


 涙が消えるまで、お母様は私にずっと謝り続けるのだった。




 ようやく落ち着くと、お母様は愛おしそうな眼差しで私を見つめていた。馬車の窓からは穏やかな光が差し込んでおり、お母様がかすかに照らされている。いつの間にか向かい合っていた座り方は変わり、私はお母様に寄りかかるように座っていた。


「……イヴちゃん。ごめんなさいね。気が付いていると思うけど、ケーキを作ったあの日……二人の会話を聞いてしまって」

「……そうだったんですか?」


 ゆっくりと体を起こしてお母様の方を見る。


「あれ。気付いてはーー」

「ないです。初耳です」


 あの日顔が赤かったのは推しに会ったから。そう思っていたこともあり、聞かれていただなんて微塵も思わなかった。


「そ、そうなの……でもね、あの時の言葉が凄く嬉しくて」

「あの時の言葉……」

(駄目だ、ジョシュアが何を言ったかはわかるけど自分が何を言ったかまでは覚えてない!)


 必死に思い出そうとすれば、その様子をお母様に察されてくすりと笑われてしまった。


「ふふ。いいのよ、私が覚えていれば」

「そ、そうですか……?」

「えぇ。……イヴちゃんの言葉のおかげで、キャロラインに立ち向かおうと思えたし、批判できる材料ももらえたから」

「……あ! ドレス!」


 キャロライン様から紹介されたドレス店の様子がおかしいことはジョシュアから聞かされていた。今思えば、そこでお母様も事実を知ったことに気が付いた。


「盗み聞きのようなことをしてごめんなさいね」

「……いえ、お母様は悪くありません。部屋に入りにくくしてしまった私に問題が」

(お母様の部屋で話してたんだもの)


 ということは、お母様はケーキを持ったまずっと待機をしていたことになる。それに気が付くと、申し訳ない気持ちが込み上げてしまった。


「そんなことないわ」

「ですがケーキを持ったまま」

「あぁ、ケーキね。廊下は寒かったから、悪くならなかったと思うけど」

「寒かったんですか!? そんな中待たせてたのは本当に」


 私とジョシュアの話はそこそこ長かったはずだ。それを思い出して、申し訳ない気持ちが濃くなってしまった。


「えっ、ち、違うのイヴちゃん! 全く寒くなかったわ! ほ、程よい寒さ?」

「でも寒かったんですよね……もしかして、顔が赤かったのは体調が悪かったからでは!?」

「あれはユーグリット様にお会いしたのに加えて、イヴちゃんの言葉に泣いていただけなの!」

「私何か酷いこと言いましたか!?」

「凄く嬉しい言葉だけしか言ってないわ!」


 謝罪を始めたかと思えば、不安がどんどん上塗りされて謝り続ける結果になっていた。


「ほ、本当に……?」

「えぇ、本当によ!」

(……それなら良かった)


 お母様の力強さに私の不安は安堵へと変化し、思わず小さな笑みがこぼれるのだった。


「……どちらも悪くないってことにしましょう」

「賛成です」


 先程まで泣いていたのが嘘のように、私とお母様は穏やかな雰囲気に包まれ始めた。


「あとでシュアちゃんとトーマスにもお礼をしないと」


 その呟きにそっと頷いた。お母様の方を再び見つめれば、色々と思うことがあるような表情だった。少しの沈黙が馬車に流れる。


(あれだけ勇気のある行動をしたとしても、お母様からすれば長年友人だと思っていた人に裏切られたようなもの。……当然、複雑よね)


 裏切られたのだと知ったのなら、お母様は一体どれほど悲しんだことだろう。きっと、心は深く傷ついているはずだ。そう思いながら、背筋を伸ばした。


「お母様。何か文句はありませんか」

「え?」

「キャロライン様です。あるのなら聞きますよ」

「…………」

「娘だからという気遣いは不要です。今更ですから」


 娘に愚痴るなんて。お母様の頭の中にはそう浮かんだに違いない。ただ、考えてみてほしい。お母様は既に、私にキャロライン様との縁切りの場面を見せているのだ。もっと言えば、死のうとした眼差しも。


「た、確かに今更だわ……!」

(……チョロいのは健在、なのかしら?)


 凄く納得したような眼差しでこちらを見られたので、にこりと微笑み返すのだった。


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