第18話 お母様が変化しています



 ーーーー誰にも知られたくない、最高の方法だから。


 お母様のその言葉は、私に衝撃を与えると共に大きな感動と喜びで胸を震わせた。だが喜ぶ暇もなく、私は目の前で行われ続けている糾弾を見守っていた。彼女は自分なりの方法でキャロライン様達への批判を続けていた。


(……それにしてもお母様は凄い。反論の余地も与えなかった)


 お母様は終始堂々としていた。その言葉選び、作法はとても洗練されたおり、完璧な淑女としての振る舞いだった。お母様がお辞儀をするのと同時に、私も真似るように頭を下げたのだった。


 キャロライン様は反論する言葉が見つからないまま、ただ怒りの形相でこちらを睨みつけていた。


 お母様が頭を上げるタイミングに合わせて、私も一緒に上げる。


「さぁ……帰りましょうか、イヴちゃん」

「……はい、お母様」


 そう名前を呼ぶ声は、先程までの冷ややかな声が嘘と思えるほど穏やかで優しいものだった。温かさに応えるように、私もお母様に微笑んだ。


 キャロライン様達に背に向けると、お母様のすぐ隣を歩きだした。


「!」


 気が付けばお母様は私の手を取っていた。初めて繋ぐ手は凄く温かかった。お母様の顔をちらりと見れば、満たされたような笑顔をしていた。それを見て私もまた、胸がいっぱいになるのだった。清々しいまでに青い空が、お母様の成功を演出するかのようだった。


 私は、今日みた母の勇姿を一生忘れない。


 お母様は御者に指示を出すと馬車に乗り込んだ。

 するとふにゃっと体の力を抜いて座り込み、大きく息を吐いた。


「はあぁぁぁぁぁ…………緊張した」

「緊張されてたんですか?」

「凄くしていたわ! 震えていたでしょう?」

「全然わかりませんでした。堂々としていて、世界で一番カッコよかったです」

「イヴちゃん……!」


 本心を告げれば、お母様は嬉しそうに、でも照れたように微笑んだ。


「ありがとうイヴちゃん。イヴちゃんが隣にいてくれたから勇気が出たわ」

「私は何も……」

「一緒に怒ってくれたでしょう。しっかりと見ていたわ」


 そう言われてみれば、確かにあの場では終始毛に力を入れていたかもしれない。浮かんだもしもの考えを決定づけるように、お母様は私の手を取った。


「……まだこんなに小さいのね」


 そう呟くお母様は、じっと手を見つめていた。反射的に私も母の手をまじまじと見てしまう。


「……お母様は意外と大きいんですね。羨ましいです」

「そうなの?」

「はい。小さいとグッズ製作をする時、手が疲れちゃって」

「確かに……私でも疲れるのだから、イヴちゃんはもっとでしょうね」


 お母様小さく微笑んでいたが、突然泣きそうな声を出した。


「私……イヴちゃんの、娘の手の大きさを知らなかったわ」

「お母様……」

「それに、あんなに上手に挨拶ができて、綺麗なお辞儀ができることも」

「れ、練習しました! たくさん……」

「…………」


 ゆっくりと顔を上げたお母様は、涙を流した。


「……ごめんね。何も知らない母で」

「お母様……」

「ずっと、ユーグリット様のことだけを。本当に言葉通り彼だけを見てきて。イヴちゃんとの時間をおろそかにしてしまったわ。こんなに可愛くて、強かで、聡明で、優秀な、私の最愛の娘なのに」

「!!」


 お母様は涙を流しながら、私の頬をそっと撫でてくれた。確かに、お母様が私の頬に触れたのは凄く久しぶりの……いや、もしかしたら初めてのことかもしれない。


「イヴちゃん……大好きよ。私の自慢の娘。でも私はまだイヴちゃんの誇れる母ではないわ」


 お母様が今何を想って、何を考えて、こんなに震えている声なのか。私は一つ一つを必死に汲み取ろうとした。

確かなことなのは、母オフィーリアは確実に変化し、成長したということだった。


「で、でも。今日のお母様は会場で一番輝いておられました」

「ありがとう。でも。まだまだ汚名返上には足りないわ」

「お母様……」


 まさかこんな方向にお母様の心が成長するだなんて思わなかった。

 でもよく考えてみれば、お母様は変わり続けていた。少しずつ、確実に。

 本人も無自覚で努力重ねた結果、いつの間にか彼女は世間知らずではなくなっていたのだ。


 その事実を、私は目の当たりにした。


 そして今も変化の片鱗が見えている。父ユーグリットだけを見てきたあの母が。今は私、イヴェットという娘のことだけを見てくれているのだ。けれども、この事実が、嬉しいはずなのに何故か実感が湧かなかった。


「ずっと、今まで誰かの言葉を聞いてその通りに生きてきたわ。でもこれは自分の意思よ。必ず、私はこれからイヴちゃんに誇れる母になるわ。自分の言葉で、考えで生きていくわ」

「お母様……」

「だから……これからも私に教えてくれない? 推し活を。推すことを」


 その言葉を聞いて、今度は私が涙を流す番だった。

 ようやくわかった、お母様が何を想っているのか。それは私だったのだ。でも実感が湧かない。あんなに勇ましい姿まで見たのに。


 自分で自分の感情が迷子になっていた。だけど、私がお母様にそう言われて一番最初に涙と共に出た言葉は喜びの言葉ではなかった。


「…………そうすれば、お母様は生きてくださいますか?」

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