家に帰るまでが遠足
「ごちそうさまでした」
「おう。喜んでもらえてよかったよ」
格好つけて食事代をおごったノボルは、これまた格好つけてカード払いにし、総額でいくらかかったのかをソーハに教えなかった。
が、
(結構かかったなぁ。いや、まあ俺も調子に乗っていろいろ頼みすぎたけども)
何を食べさせてもソーハが美味しそうに食べるものだから、ついあれもこれもといった具合に、自分のオススメを片っ端から食べさせてしまった。
カッコイイ大人ぶるには相応の覚悟が必要なのだと、ノボルは今日ようやく学習した。
帰り道は、来た時と違う道を通る。これもノボルが今回考えたプランだった。
来た時は峠を越えたが、帰りは山そのものを大きく迂回。その山の裏手は、とても大きな田んぼが広がる。
「すごいですね。どこまでも広くて、遠くの山まで見えますよ」
「ああ。この辺はもともと広い平地だったらしくてな。加えてあの湖から水を引けるから、水源に困らない。だから昔からたくさんの米がとれたんだとさ」
「へぇ。ノボルさん、物知りなんですね」
「いや、このあたりに親戚の家があるだけ。この話だって爺さんから聞いただけさ」
どこまでも広がる、真っ暗な田んぼ。ぽつぽつと立っている街路灯が、遠くまで並んで見える。その向こうには暗い空と、そこに薄く影を落とす山の稜線。
「本当は明るい時間に来ると、もっと綺麗な景色が見られたんだがな」
お互いに学生で、会えるのはいつも放課後。土日はノボルがバイトを外せないので、この時間になってしまうのも仕方ない。
「いつか、お昼にも来たいですね」
「ま、そうだな。都合が合えばまた来ようぜ」
少しずつ、この田んぼにも終わりが見える。トンネルを超えると、また森だ。
その森もすぐに抜ける。すると湖が見えるはずだ。そこで今日の散歩は終わりである。
(少し、さびしいな)
ノボルは、ソーハと一緒に歩くこの時間を、自分でも驚くほど気に入ってしまった。
会話があってもなくても、何となく安心する。ソーハが何かを見つけた時は、自分も胸が躍る。何もない時でも、隣でソーハが何を見ているのか、考えるだけで退屈しない。
でも、そんな時間ももう少しで終わってしまう。
――そのはずだった。
(ここ、どこだ?)
端的に言うなら、道に迷ってしまった。
(トンネルを抜けたところまでは間違ってないはずだ。森の中で道を間違えたか? いや、そこも一本道だった……よな?)
確認のため、来た道を戻ってみたのだが、結果としてさらに迷うだけだった。そもそもどっちから来たのかさえ、今となっては分からない。
「すまん。ソーハさん」
「いえ、その……気にしてません。まだボク、元気ですから」
「でも、すっかり遅い時間になっちまったし、さすがにまずいだろ」
「うちの両親、そういうので心配しませんから」
スマホの電波も圏外である。そんな場所がこの令和にあるのかと、さすがにノボルも不安になる。
(とにかく、打開策を探さないと――)
こういうとき、山であれば『山頂を目指せ』とはよく言われる。裾野を目指して下山すると、人里から離れた谷などにつく場合がある。しかし山頂は必ずひとつなので、ひたすら登れば知っている場所に出られるはずなのだ。
それでは、ただの森だった場合はどうだろう? 近くには高いところも低いところもなく、どこまでも平坦な道が続いている。
(落ち着け。別に遭難したってほどの大ごとじゃないはずだ。いくら俺たちでも、わずか小一時間で何キロメートルも移動するほどの速度はない。それにここは山奥の秘境なんかじゃないし、周辺はどこも人里だ)
そう考えて遠くを見れば、木々の隙間から向こうが見える。湖か田んぼか分からないが、何かしらの空間がある様だった。
(田んぼがあるなら、近くに民家もあるはずだ。そこを尋ねれば道が分かる。湖なら、その淵に沿って移動すれば知っている場所にたどり着くはずだ。……うん、割とイージーな問題だな)
暗い森なので、どうしても深い森だと勘違いしてしまうが、単純に夜だからだろう。昼ならそもそもこんな道で迷ったりしない。
「なんか、異世界転移みたいですね」
せっかくノボルが前向きになったのに、ソーハの冗談がそれを打ち破った。
「おいおい。異世界って、まさか」
「もちろん冗談ですよ。さ、先に進みましょう」
能天気なものである。ソーハにとっては、今だって散歩の途中程度の気分なのだろう。ただ1時間ほど予定より延長しているだけで、何なら迷う前より楽しそうな雰囲気さえある。
「やれやれ。大物だな」
もし本当に異世界にたどり着いたとしても、ソーハはへらへら笑ってるんじゃないかという疑いがある。いや、彼女はロードバイクを大切にしていた。さすがにそれを置いて異世界には行けないか。
歩き続けること、追加で30分。ついに道が開けてきて、その先には――
「湖だ」
「出られましたね」
ようやく安心できる材料が見つかる。とはいえ、知らない浜辺だ。どうやらノボルたちが目指した場所から、少しずれているらしい。
「さて、後は湖に沿って道が続いていると助かるんだがね。どっちに行けばいいと思う? ソーハさん」
「うーん……棒倒しで決めましょうか。ノボルさん」
「却下。まずは湖から見える景色で決めようぜ」
確か、遠くの山に風車が見えたはずだ。その風車がある山さえ発見できれば、そこからだいたいの感覚で現在地を特定できる。
「あ、誰かいますよ」
「ん?」
ソーハは目がいい。この暗い中でも、誰かの存在を察知したらしい。
「こっちに来ます」
「そりゃ好都合だな。その人に道を聞こう。最短ルートで帰れるかもしれない」
しかし、その人は異様な恰好をしていた。
長い緑の髪をもつ女性である。ここでいう緑の髪とは、黒髪が太陽を反射するときに緑に見える現象の事ではない。文字通り、どう見ても明るい発色の緑の髪だ。それが夜の暗さの中でも、わずかな光に反射してキラキラ輝いている。
胸元にフリルのついたブラウスは、とても丈が短く、胸をようやく覆い隠す程度の長さしかない。そこから伸びる細いウエスト。そしてこれまた短いミニスカート。脚を覆うのはサイハイ丈の編み上げブーツ。
そして、大雑把に羽織られたアカデミックローブと、頭の上にギリギリで乗っているベレー帽。
手に持っているのは、魔法の杖に見える。
(――異世界の、人?)
ノボルの脳裏に、さきほどの笑えない冗談がよぎる。
(俺たち、マジで異世界に来ちまったのか?)
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