その誤解は解けない

次の週末

 山ではいつも一人だ。

 ノボルはいつだって、山と共に過ごす時間を楽しみにしていた。

 人々の声も届かない、人里の喧騒も忘れられる場所で、木々のざわめきや風の通る音を聞き、静かに過ごす。

 それが、最高の贅沢だと思っていた。


 ただ、別に学校に友達がいないわけではなく、

「よう、ノボルー」

 普通に話をする仲は、それなりに多い。特に大学の友人とか、高校時代に仲が良かった友達とか、だ。

「どうした? ずいぶんご機嫌だな」

「いい知らせがあるんだ。聞いてくれ」

 ノボルの学友は、にやにやと笑みを浮かべながら近寄り、隣の椅子に座った。

「今度の日曜日、例の女学院の子たちと合コンするぞ」

「合コン? ああ、そりゃよかったな。楽しんできたらいいさ」

「おいおい。お前を差し置くわけないだろ。一緒に来るよな」

「あー……パス。今度の日曜日はバイトなんだ」

 山登りも金がかかる。新しいギアも欲しいし、自動車の維持費だけでも馬鹿にならない。20歳になったばかりの彼にとって、ガソリン代だけでも大変な痛手だ。

「なーんーだーよー。つーか、彼女とか欲しくねーの?」

「いらね。興味が無いっつーかさ」

「そっかー」

 そこで合コンの話はおしまい。会話が途切れると、相手は何となくスマホを開いた。それに習ってノボルもスマホを開く。話題を変えるための儀式みたいなものだ。

「ん?」

 何となくいつも使っているSMSを眺めると、そこにはこないだ知り合ったソーハの投稿があった。


『高校の制服。半ズボンも選べるの嬉しい。ロードバイク通学の強い味方』


 という文章と共に、ブレザーに半ズボンという謎の季節感を出したソーハの写真が添えられている。

「お、これ陵峰学園の制服じゃん」

 と、いつの間にか後ろに来ていた友人が、スマホを覗き込んでいた。

「いや、見るなよ」

「いいだろ別に。で、この子は誰? リアルで知り合い?」

「ああ、まあな。こないだ山で会って、SNSでもフォローし合ったんだよ。変な奴で、何か気になるっていうか、さ」

 と、肩をすくめつつ、気になったことを訊ねる。

「ところで、陵峰学園ってどこだ? お前、この制服を知ってるみたいだったな」

「知ってるも何も、俺の仲良かった先輩が進学したところだからな。あ、中学時代の先輩ね。ここの制服って面白いんだよ」

「面白い?」

「ジェンダーレス制服ってやつでさ。上着はブレザーなんだけど、下はスカートでもズボンでも半ズボンでも、好きなように選べるんだよ。他にもリボンタイかネクタイか紐タイか選べたり、結構バリエーションあるんだよね。衣替えの時期も決まってないし」

「それ、もう制服として成り立ってないだろ」

「それがさー。じつは制服着用の義務も無くて、私服登校も出来るらしいぜ」

「ふーん。ずいぶん進んでんだな」

 ひとまず、その投稿に『いいね』をつけておく。


 それから数分後に、ソーハから連絡が来た。SNSの個人メールだ。

『お散歩に行きたいです。日曜日あいてますか?』

 急な話だったが、ノボルも嫌な気持ちにはならない。ただ……

『その日はバイト入ってるんだ。あんまり時間取れないぞ』

 と返信するしかない。残念だ。

「おいおい。こっちが合コン誘った時はキッパリ断ったのに、その子からの誘いはギリギリで受けるのかよ」

 と、相変わらずスマホを覗き込んでいた友人が言う。

「そんなつもりはない。ただ散歩するくらいの時間は取れるだけだ。合コンの時間はないね」

「あーあ。そうかいそうかい。その女の子に夢中なのね。そりゃ合コンに来ないわけだ。失礼しましたー」

「そんな拗ね方するなよ。つーか、ソーハさんとはその気はないって」

 ノボルにとって、ソーハは最近できた友人である。それ以上でも何でもない。恋だとか夢中だとか、そんなの的外れな意見だ。


 ……まあ、そもそもソーハを女の子だと思っているのが的外れなのだが、それはノボルも指摘できない。何しろノボル自身がソーハを女の子だと信じっぱなしだからだ。

 そして、その誤解はノボルのせいだけではないらしい。むしろノボルの友人までソーハを女子だと思ったのだから、ソーハが悪いとさえ言える。紛らわしい見た目に加えて、紛らわしい制服まで着ているのだから余計に、だ。


「お、返信きてるぞ」

「だから、覗くなっての。俺のスマホ」

 別にやましいことはないが、ノボルはそっとスマホを隠しながら、ソーハからの返信を見る。

『いつなら空いてますか?』

 よほど一緒に散歩したいらしい。

『明日の夕方なら空いてる。たいした時間は取れないぞ』

『じゃあ、山登りは出来ない感じですか』

 その文章を見たときに、ソーハの寂しそうな表情が浮かぶ。実際に見たことはないのに、鮮明に想像がつく顔だ。

 そんな表情をさせたくないと、ノボルは何となく思ってしまった。もっとも、本当はソーハがどんな顔をしながら書いているのか、それは分からないが、

『それなら、山じゃなくても、どこか散歩に行くか? 湖畔とか』

 そう答える。

 ソーハはこのメッセージを見て、どんな表情をするだろう。それが気になったまま、次の返信を待っていた。

 幸いにして、そんな時間は数秒で終わった。ソッコーで返信が来た。

『どこでもいいです。よろしくお願いします』


(まったく、本当に自由な奴だな)

 どこでもいいと言われたノボルは、短時間で楽しめる散歩コースをあれこれ考える。

 どこに連れていったら、ソーハは喜ぶだろうか。そんなことを考えていたら、次のコマも内容が頭に入ってこなかった。

 まるで初デートのプランを立てるような気持ちだ。

「よし、これで行くか」

 考えた末に、最初に思いついた湖畔の散歩を提案する。時間が上手く重なれば、夕日を楽しめる最高のロケーションだ。

 人の少ないコースを選ぶのも重要だ。何しろ、ノボルは人混みが苦手だったりする。ソーハがどうかは知らないが、ここは単に自分の好みを優先させてもらおう。


 明日は金曜日だ。もしかしたら夕方から日暮れごろにかけて、人が多くなるかもしれない。

 ノボルが選んだのは、自分自身があまり慣れていない、地元民しか知らないような道だった。

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