第9話 お久しぶりのロマンスグレー
「やっぱり寝ないのは体に良く無い」
「俺は人ではないのだから、一晩やふた晩寝なくとも支障はない」
夏花たちにおやすみのあいさつをらして、帰ってきました私のアパートの部屋。
ただいまは、ワンルームの室内と廊下兼キッチンを隔てる扉越しにシャクマと言葉を交わし中。
「支障がないのは大丈夫ってことじゃないと思う」
「あんたが外はやめろとうるさいから、同室に入っただろう。こちらは譲歩している。折れろ」
「そんなの当然でしょ。なんでベランダで一晩過ごさせると思ったのよ。非常識!」
そう、この天狗。私の部屋には入らずベランダに降り立ったのだ。
どうして? と思ったら。
「婚前の乙女が妖であろうと男のなりをした者を部屋に招くなど、外聞が悪いだろう」
ワンルームかつ同居家族がいないという情報は、太郎から聞き出したらしい。いつの間に。
「私のために考えてくれてるのはわかるけど、でも
」
廊下は通路でしかないから、板貼りの床は冷たいはず。せめて、と冬用の電気カーペットと羽毛布団や毛布を押し付けても「あんたが使え」と押し戻された。
だったらひとつきりのベッドを半分こしようと提案しても「同衾……!? するわけないだろう」と真顔で却下。
それからシャクマは廊下に座り込んで扉に背を向け、動こうとしない。
妖だから寝なくても良いのかもしれない。羽根があるからそんなに寒く無いのかもしれない。
でも、でもさ。
「やっぱり私が気になる!」
ドアを思い切り引っ張り、大きく開く。その向こうで目を見開いてるシャクマの腕を両手でつかんで全力で引っ張った。
「うお!?」
油断してたのかな、シャクマの体が私ごと部屋のなかへ倒れていく。
でもこれは、引っ張り込むのは成功したけど私が後ろ頭を打つパターン!
ぎゅっと目を閉じ衝撃にそなえた、けど。
ぽすん。
やわらかな感触を感じたきり、痛みも衝撃もやって来ない。
「???」
「まったく……」
どういうことなのと目を開けたら、ほんの鼻先にシャクマの顔。
彼の背中から広がる大きな羽根が、私と床との間でクッションになっているみたい。
ため息まじりの声とともに私の唇に触れる吐息がくすぐったい。ていうか、近いね? お面がなかったらぶつかってたよね、唇どうし。
「わかった。あんたの勝ちだ。だが、俺は部屋の隅にいる。あんたはその布団から出るなよ」
「おっけー、それで妥協する。助けてくれてありがとね」
シャクマは電気カーペット片手にそそくさと部屋のすみへ。
本当は広々と横になって寝て欲しかったけど、あんまり言うとまた廊下に逃げられちゃいそうだから我慢我慢。
「それじゃ、おやすみなさい」
ベッドに入って明かりを落とす。
「ああ」
部屋のすみでごそり、小さな物音といっしょに返ってきたのはシャクマの声。
暗い部屋のなか彼の姿は見えないけど、ほんのりと誰かのいる気配が感じられて安心して目を閉じた。
※※※
お母さんの実家は、私の暮らすアパートと同じ町にある。
仕事場であるお菓子屋さんまでバスで三十分くらい。
じゅうぶんに通える距離だけれど、私はアパートで暮らしてる。だけど別に、今の家の持ち主であるお母さんが住むことを許してくれないわけではない。
「おばあちゃんが、亡くなる前に言ってたんだって。ミヅキはこの家に近づき過ぎないほうが良い。この町に暮らすのは構わないけど、この家に住むのはミヅキのためにもやめた方が良い、って」
シャクマとふたり、バスを降りて歩きながら話す。
テラも朝食のときに出てきたからいっしょに行くのかと思ったけれど「あるジがおいでならそれがしの出番ではありませン」と姿を消してしまった。
朝一番のバス停で私と並んで待つものだから、乗る時どうするのかと思っていたら、バスが来るなり彼は飛んだ。
走る車と並走……並飛行? する天狗。
見える人が見たらどう思うんだろうと思ったけど、見かけたところでどうしようもないよね。車と同じ速さで移動してる相手なんて、追いかけようもないし。
「あんたの祖母とやらが妖界に通じるものであった可能性はないのか」
「うーん、ないと思う。おばあちゃん、お化けも怖い話しも大嫌いだったし」
「ならば近親者に心当たりは」
「どうだったかなあ」
おばあちゃんは私が小学校を卒業する前に亡くなってしまったから、交友関係だとかはよく知らない。お母さんに聞けばわかるのかもしれないけど、あの人は世界中どこを飛び回ってるかわからないから、聞いたところで返事がいつもらえるか。
何を聞かれてもいまいち答えられない私に、シャクマは呆れるかと思ったけど。
「まあ良い。行けば何かわかるだろう」
あっさり言って、最後の角を曲がる。
すると、ぽっこりしたお山のふもとに建つ純和風建築の一軒家が出迎えてくれる。ぐるりを囲む垣根は本物の竹製で風情がある。
落ち着いた色合いの壁に燻銀の瓦屋根。
どっしり構えたお家は、いつ見ても立派で格好がいい。
「あれ? 家の前に誰かいる」
そんな家に見合った立派な門の前、早朝にもかかわらず誰かの姿。
すらりと背筋の伸びた焦茶色のスリーピースのあの人は。
「田貫のおじさま!」
「やあ、ミヅキさん」
振り向いた老紳士がやさしく微笑む。たれぎみの目尻にきざまれたしわが、最高に色っぽい。
どうして忘れていたんだろう。おばあちゃんのお家のそばに住むロマンスグレー。
子どものころにこの道ばたで何度か会った、素敵なおじさまを!
懐かしさとうれしさで思わず駆け寄りかけた私の肩をぐ、と引き止めたのはシャクマの手。
「あ、シャクマ。あの人はね、田貫のおじさまって言って」
「……古狸の妖怪変化か」
知らない相手じゃない、と伝えようとした声が途切れてしまうほどシャクマは険しい顔。
どうしたの、と聞くのもためらわれるほど。
シャクマは戸惑う私を広い背中で隠し、それだけでは足りないとばかりに黒い翼を大きく広がる。
けれど覆い隠しきれなかった足元に、ちらりと見えた革靴を履いた足。
「おやおや。ミヅキさんにかけたまやかしの術、解けてしまったのですね」
「えっ」
すぐ耳元で聞こえた声に驚いて横を見れば、にこりと微笑むロマンスグレー。
「え? あれ、おじさま門のところにいたのに」
いつの間にこんなすぐそばに?
「術が解けただけでなく、このような天狗を連れているなんて。もしやとは思いますが、こちらは彼氏さんですかな?」
「え……おじさま、天狗って。シャクマが見えてる……?」
驚きに驚きが重なる。
妖のシャクマは彼自身がその気にならなければ、一般人には見えないはずなのに。
そういえば、さっきシャクマがおじさまを『古狸』って呼んでいなかった?
「ちっ。術をかけたのはあんたか」
舌打ちをひとつ、素早く身を翻したシャクマが私とおじさまの間に割って入る。
さっきみたいに羽根も広げて私を隠そうとした、その瞬間。
「おっと」
田貫のおじさまの手がするりと動き、シャクマの羽根を掴んで止めた。
そのせいで私とおじさまの視線は、シャクマの肩越しにまっすぐぶつかる。
「僕はミヅキさんにお話があるんですよ、天狗くん」
「こちらはこのあたりの主に話があってな」
笑顔のおじさまと不機嫌顔のシャクマがにらみ合い。
どうしよう、どうしようと考えて私はシャクマの背中に飛びついた。
高い位置にある肩から顔を出して、おじさまを見つめる。
「おじさま、このあたりの主だったの? だったら紹介します、こちらの天狗さん。私の彼氏なんです! 昨日は私の部屋にお泊まりしましたし!」
「おい!?」
「シャクマは黙ってて!」
嘘は言ってないもの。
目をむいたシャクマの口をぎゅっとおさえたとき、聞こえたのはくすくすと上品な笑い声。
「おやおやおや。ミヅキさんには僕が目をつけていたのですがね、天狗の青年に先を越されてしまいましたか」
すん、形のいい鼻をひくつかせたおじさまが細めた目でシャクマを見てる。口元は優雅に弧を描いてるのに、なんだかその目は笑っていないような。
「たしかに、互いの香りが混ざり合っていますね。ひと晩を共に過ごしたというのは本当のようだ。交わりの具合はそれほどではありませんが」
言って、おじさまがぽふんと煙に包まれた。
瞬く間に晴れた煙の向こう、現れたのはおじさまとよく似た美青年。
焦茶色のスリーピースも見覚えがある。
「悠長に構えておかずに、この姿でミヅキさんに会いに行けば良かった。今からでも間に合いませんか?」
やさしい笑顔とともにすいと差し出されたのは、一輪の花。
どこから出したんだろう。
ううん、そうじゃない。目の前のこの人はおじさまなの? 一瞬のうちにおじさまの姿が消えてこの人が現れたけど、やっぱりおじさまは妖だったの?
間近にせまるイケメンにどぎまぎ、頭が追いつかない状況におろおろ。
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