第6話 閉じた世界に終わりがきて

 ばさり、シャクマが羽根を広げて姫から距離を取る。

 宙に浮いている不安定さはまったくなくて、がっしりした腕に身体を預けたまま地上を見下ろしてみた。


 そしたらびっくり。地上でこっちを見上げる姫のまわりの景色が、パキパキと音を立ててひび割れてる。


「わあ、景色が割れてく!」

「ああ。俺が境目をぶち壊したからな」

「境目って?」


 当然のように言われたって、私にはわからない。妖用語ならちゃんと教えてよ、とシャクマを見上げれば彼は片眉をあげてめんどくさそうな顔。

 だけど説明してくれるつもりはあるみたい。


「あの桜の木の主の領域ってことだ。主が認めたものだけを招き入れるために囲いをしていると思えばいい」

「ふうん。あ、もしかして、それでテラちゃん消えちゃったの? 私だけがお招きされたってことだ」


 納得、納得。

 ひとりうなずく私に、シャクマは呆れた視線を寄こす。 


「そんなこともわからず、妖の領域にのこのこ入っていくやつがあるか」

「だって桜がきれいだったんだもの」

「まったく……」


 疲れたように息を吐くシャクマを放って、姫に目をやる。

 どんどん割れていく景色を見回す彼女はおろおろしているようだった。

 人で例えるなら、家の壁がどんどん崩れているようなものなのかな? だとしたら、悪いことをしたのかも。


 そう思ったとき、響いた声。


「姫!」


 叫んで、割れた景色の向こうから飛び込んできたのは、ひとつ目。

 慌てて駆けこんできたんだろう、転びそうになりながらも駆け寄った彼が、不安げな姫のそばに寄る。

 守るように腕を伸ばし、だけどひとつ目は姫の肩に触れられずに動きを止めた。


 そこでためらうかなあ、ふつう。

 ほら、姫が不安げにしてるじゃない。そこはがばっと、ぐぐっといくべきところ!


 バラバラと崩れ落ちた記憶の世界。その外にあったらしい、ひとつ目と桜の大木のある丘のまわりの景色もまた、ヒビが入ってその向こうに夜の闇が見える。


「いけ、そこだ! ぎゅうっと抱きしめて愛を叫ぶ! 姫のピンチなんだ、男を見せて!」

「暴れるな、落ちる!」


 プロレスの観戦さながら、ひとりで盛り上がってこっそり野次を飛ばしていると、シャクマが慌てて声をあげた。

 けど、ちょっと遅かったみたい。


「あら?」

「おいっ」


 乗り出しすぎたシャクマの腕から、私はころり。

 落ちる私を見上げて、姫がうれしそうに両腕を広げて地上で待ってる。


「ああ、わたくしを満たすもの!」

「いいええ! 私なんてそんな大層なものじゃあ!」


 大歓迎でお迎えしてくれようとしてるのはうれしいけど、でもさ。

 夢現から覚めた今ならわかる。姫を満たすって、つまり姫の栄養になるってことでしょ。

 人だったころのひとつ目さんが血と命でもって姫を育てたように。私を取り込んで育つつもりなのよ、あのきれいなお姫さまは。


 待ち構える姫に向かって落ちる、寸前。

 お腹に巻き付いた腕。がくんと落下が止まって、私はシャクマの腕に抱き締められた。


「あり、がとっ」


 血の気が失せた頭でどうにかお礼を言った私はぐるんと回され、シャクマと向かい合う。


「あんた、ミズキって」

「うん。ミズキです」


 なになに、真剣な顔でのぞきこんできて。今確認すること? っていうか、私の鼻とあなたのくちばしがぶつかりそうなんですけど。


「水にまつわる名ではないのか」

「漢字のはなし? だったら満ちる月。満月の日に生まれたから」


 安直なネーミング。でもミツキと読み間違えられてしまうかもしれないから、って表記はカタカナでミヅキ。


 でもそんなこと、今必要?

 妖が足元で待ち構えてて、まわりの景色がバラバラ崩れ落ちてるこの状況で。


 そう思ってしまったけど、シャクマ的には重要だったみたい。

 

「満ちたる月の気を宿しているだと……ええい、くそ。先にそう言っておけ!」


 すっごく顔をしかめられてしまった。忌々しい、って検索したらトップに表示されそうなくらいのしかめっ面。


 よくわからないけど、怒られそうな気配を感じて私は慌てて眼下を指差した。


「あ、ねえねえ見て。姫の様子が変じゃ無い? ほら、景色の割れ目からなにか流れ込んでるみたいな」


 はっきりと何かが見えるわけでは無いけど、ひび割れた景色の向こうの夜闇から姫に向かって流れるゆらぎのようなものがある。

 川のように風のように流れるそれを受けて、姫の儚さはそのままに艶やかさがぐんと増していくのが見て取れる。

 よく見れば、大木の桜のつぼみもさわさわとふくらんでいってる。


 明らかに変化していく姫が、シャクマにもひとつ目にもわかったみたい。

 

「そういうことか。ならば!」


 ひとり納得したらしいシャクマが羽ばたいて、景色の端までひとっ飛び。

 ひび割れかけたあたりでぴたりと停まったかと思うと、私をひょいと左手だけで抱えて、軽く握った右手を突き出した。


 どっ、と吹きだした突風がひび割れにぶつかり、ばりばりと景色を壊していく。

 連鎖するようにあちらこちらで景色の崩壊が起きた。


 あっという間にあたりは夜闇に包まれて、暗がりの向こうに広がるビル、ビル、ビル。

 流れ込んだ空気は排気ガスやなんやかんやが混ざってるんだろう。さっきまで空間を満たしていた清純で温かな空気がさあっと遠ざかり、冷ややかな春の夜風が頬を撫でた。


「木が……!」


 景色の変容に目をうばわれていた私が、聞こえた声に目を向けたときには足が地面についていた。

 いっしょに降りてきたシャクマとふたり、並んで見上げた大木の枝で可憐な花びらが次々と音もなく開いていく。


 夜空を背に、淡く光りを放つかのような桜の花びら。

 四方に伸びる枝を覆い隠さんばかりに咲き乱れる花々のただなかに、いつしか姫が腰かけていた。


「ひとつ目さん」


 おっとりと声をかけた彼女はもう空を見上げてはいない。

 地上に立ち、自分を見上げるひとつ目だけをうっとりとその目に映す。


「ありがとう。あなたの温もり、ずっと感じてた」

「いえ、俺こそ……いや、俺が……」


 ふわり、舞い降りた姫の指先に頬を包まれて、ひとつ目が取り乱してる。

 後ろから見える耳が真っ赤っかだから、きっと彼の顔も真っ赤なんだろうな。お面で見えないのが残念。

 

「あなたも」

「あら」


 野次馬してた私に姫の視線が向けられた。

 やんわりと細められた瞳が夜空の星みたいにキラキラ輝いて、吸い込まれそう。


「満たす者。あなたを食べてしまわなくって良かった」

「あ、はは。それは、うん。ほんと良かった」


 にっこり笑う姫の笑顔に後退り。

 そんな私の肩を抱き止めたのは、シャクマだった。

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