第2話 いつもの道は知らない道に

 妖と名前を教えあうだけで視界が妖まみれになるなんて、家でも学校でも教わってない。

 変わってしまった世界に驚いて私がぱちぱち瞬きをしていると、シャクマの顔が近づいてきた。


 え、近い近い。どアップになってるんだけど、なにこれズーム機能? これも名前を教えあった効果なの?


 なんて思ってたら、私の身体がふわっと浮かぶ。


「え」


 目と鼻の先に、シャクマの口元を覆うお面のくちばし。背中とお尻にがっしりした腕の感触。急に高くなった視界はシャクマの肩を越えたあたりにあって、これはつまり抱っこされている!


「えと、えと? シャクマ、さん……?」

「敬称はいらんと言ったはずだが」


 混乱する私をよそに、天狗さんは涼しい顔。

 驚きで腕のなかに固まったままの私がいるんですけど、そうだよね、気にして無いよね。無理して抱き上げてるわけじゃなくて、ものすごく安定感あるものね、シャクマさん。でもね、そう言うことじゃ無いのよ、シャクマさん!


「あの、なにゆえ私を抱えているのです?」


 意を決してたずねれば、イケメンの顔がものすごく近くできょとんって。

 そしてにやっと笑ったの!


「なんだ、ミヅキ。鼓動が早くなっているぞ。顔も赤い。先は予想だにしない発言の連続にしてやられたが、今度は俺がしてやったりというわけだ」

「……はい、してやられました」


 悪そうな顔で笑うシャクマに、私は顔を両手で隠して降参するので精一杯。

 だって顔がいいんだもの。しかも着物の襟がはだけてるものだから、がっしりした胸筋が私の顔のすぐそばに……!


 イケメンかつ細マッチョが悪い顔して笑ってるなんて、かっこよくないわけがない。しかもその腕にお姫さま抱っこされてて、笑いかけられてるなんてシチュエーションで、もだえない女子がいるだろうか、いやいない。


「ミヅキが縁者に同行するならば、山の主に伺いを立てる必要もないだろうというわけだ。よし、行こう」

「え、行かないよ」


 ご褒美タイムに浮かれていた私の耳にシャクマの声が飛び込んできて、一気に興奮が冷めた。

 シャクマの背中の羽根がバサッと広げられてるけど、行かないよ。


「む」

 

 不満そうな顔で私を見下ろすこの顔に騙されてはいけない。

 山の主って、妖のことだもの。

 お母さんの実家の裏山に主がいるなんて聞いたことなかったけど、話の流れからしてあの家に行くんだろう。

 妖の世界はアポ取りが基本なのかな。その土地の人について行けばアポ要らずって、なんだか交通規制の免除みたい。

 

 なんにせよ、私との縁がつながったこと、シャクマは開き直って有効活用しようと思ったみたいだけど。

 でも、ごめんね。


「私、いまからお仕事だもの。いっしょには行けません」

「むぅ」


 眉間にしわを寄せて、ちょっと怖い顔。

 もしかして妖らしく人の都合なんて考えずに連れ去られるかも、と思ったけど、シャクマは怖い顔のまま肩を落とした。


「……ならば仕方ない。出直そう」


 あっさりすんなり、ちょっぴりしょんぼり私の都合を汲んでくれるシャクマ。

 見えないお面の下では口を尖らせてたりして。

 ちらとでも見えないかな、とこっそり観察する私をそっと地面に下ろして、シャクマは着物のたもとに手を突っ込んだ。

 引っ張り出したのは、黒い塊。


 大きな手のひらのうえで塊がぼふんと広がったかと思えば、そこに居たのは小さなカラス……?


「あるジー! ご用ですカー!」


 ぱたた、と小さな羽を広げて飛び上がったのは、手のひらサイズのカラス。真っ黒い体に山伏の衣装をつけて、額にはちいさなちいさな頭襟がのっかってる。

 そんな子が、シャクマの顔の前で一生懸命に羽をぱたぱた。


「烏天狗、連絡係を務めろ。この人間、ミヅキに同行し俺からの連絡を待て」

「エッ! あるじから離れろト!?」

「わあ、かわいい鳥さん。烏天狗ちゃん、よろしくね〜」


 がびん、と羽毛を逆立ててる烏天狗ちゃんに手を振ってみるけど反応がない。

 というか『からすてんぐちゃん』って長くて呼びにくい。


「ねえ、シャクマ。この子、名前は?」


 名前を呼ぶのは仲良くなる第一歩でもありますし。ペットの名前は飼い主に聞くべし。と思ったんだけど、シャクマは怪訝そうに眉を歪めた。


「ただの連絡役に名持ちを置いていく必要はないだろう。いや、あんたのことだから見えるようになった途端、行き会った妖すべてに絡んで問題を起こさないとも限らない、か……?」

「あー、大丈夫大丈夫! 私は立派なおとなだもの。好奇心に駆られて危険に突っ込んだりしません」


 両手をあげて降参ポーズ。これって妖にも通じるのかな?

 シャクマが疑いの目を向けてきているから、私はあげた手を下ろすついでに鴉天狗ちゃんを抱きしめた。


「名前が無いと不便だから、テラちゃんなんてどう?」

「あっ」


 シャクマが声をあげた瞬間、私の腕のなかでちいさな烏がぽふんと音を立てる。

 驚いて閉じた目を開いてみたら、烏の代わりにそこにいたのは小さな子ども。両手に収まるくらいのお人形さんみたいな身体は、見覚えのある山伏の服装をして、その背中には黒い烏の羽根が。


「わア! やつがレ、名持ちです! テラです、名をもらいました、あるジ!」


 ぴょんぴょんぱたぱた、私の手のひらから宙へと飛び上がって喜ぶ姿はとってもかわいい。

 だけど、その笑顔の向こうで顔を覆ってるあなたのご主人が無言なの。たぶんこれ、私のせいなのよね、どうしましょ。


「えっと、ごめんね?」

「……もういい。あんたに名持ちを持たせるためと思えば、名づけ主というつながりがあるくらいのほうが安心だ」

「それってなんだか、私に問題があるみたいに聞こえるんだけど」


 いじけた気持ちでにらんでみるけど、シャクマは背中の黒い羽根を広げて今度こそ空へ飛びあがる。


「都合の良い折に龍と会った家に向かってくれ。着いたらテラに伝えてくれれば、あんた自身を目印に来る。神の許諾はこちらで得ておく」

「はーい」

「あるジ、しばしのお別れでス!」


 びし、と小さな身体を直立不動にしたテラに見送られて、シャクマはひと羽ばたき。途端にぐにゃんと空が歪んで、シャクマの姿は見えなくなった。


「いなくなっちゃった……」


 まばたきの間に空は元通り。

 だけどあちらこちらに透けて見える妖の姿は消えていないし、何より私の肩には黒い羽根を生やした小さな子、テラがいる。


 夢じゃない。

 本当のこと。

 あの日見たきれいな緑の玉も、やっぱり夢じゃなくて本物だった。本物の、龍だった。


「ぬシ? どうしましタ」


 うれしさを噛み締める私をテラちゃんが不思議そうな顔で見上げている。

 くりくりの黒い目をきょとんとさせるテラちゃんはとってもかわいくて、背中のちいさな羽根で浮いているのがとっても不思議。


「ううん、新しい縁がうれしいな、って思ってたの」

「テラも、名をいただけてとてもうれしいでス!」


 両手を伸ばしたテラちゃんがくるんと宙で一回転。うれしそうな笑顔につられて笑って、私は伸びをひとつ。


「それじゃ、私はお仕事なのでテラちゃんはどこかお店の外で待っていてね」


 妖とはいえ、お菓子屋さんのなかに羽根の生えた子を置いておくのは親がるお客さんもいるかもしれない。そう思って言ったのだけど。


「でしたラ、テラはおそばで控えておりまス」


 言うがはやいか、テラちゃんは私の服の袖に飛び込んだ。

 すぽん、と袖口から入って……消えちゃった?


「え、あれ? 今、たしかに入ってきたのに、ぺったんこ?」


 お菓子屋さんの制服の袖をぺたぺた触ってみるけど、そこにあるのは私の腕だけ。だったら胸元まで移動してるかも、と襟を引っ張り覗き込んでみるけど、そこにもいない。


「ぬシ。テラはちゃんとおりまス」

「わ! 声だけ聞こえる! どうなってるの?」


 いないのに、胸元から聞こえたのはテラの声。


「どウ……テラもむずかしいことはわかりませン。でもおそばにいますかラ」

「そっか。だったら、お仕事終わるまで静かにしててね。寝ててもいいからね」

「はイ」


 良いお返事をして、テラは静かになった。見えないし、黙ってしまうといなくなったように思えてしまうけど、でも、きっとそばにいるんだと思う。

 そばにいてくれるって約束したしね、と安心して、私は仕事に精を出すためお店に向かう。


 足取りがちょっと弾むのは、春だからってだけじゃない。

 夢物語ではなかったとわかった古い記憶と、新しい縁。ワクワクすることがきっと待ってる。そう思えたから。

 

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