龍、香る

exa(疋田あたる)

第1話 あなたと出会い世界が変わる

 暗闇を照らす優しい緑の光。

 あんまりきれいな光景に私はうっとり見とれていた。

 室内を満たす光の主に触れようと、幼い私は手を伸ばして……。


 ※※※


 うららか、って言葉の響きがとってもかわいい。

 はじめて耳にしたときから何度も思っていることだけど、あらためてそう思うのは暖かな日差しがうれしかったから。


 持ち上げたスタンド黒板が心なしか軽く感じる。寒くないってほんとうにありがたい。 

 冬の間は毎日、お店の前に看板を出しに行くたびすくめていた肩をぐうっと伸ばす。


「あ~、お花見にぴったりの洋菓子ってなんだろ。お花見用の洋菓子ミニバスケットとか欲しいかも」


 季節は春。

 寒々しかった街がぽつりぽつりと色づき始め、お店の商品も春めいてくる。

 個人的にはお花見団子が食べたいところだけど、勤務時間中くらいは和菓子の名前は禁句にしておく。


 だって、洋菓子屋さんなんだもの。

 私がカウンターのなかで「お団子たべた~い」って言ったって、涼ちゃんも航くんも怒ったりしないだろうけど、そこはね。自制しますとも。


 お昼どき前の微妙な時間。人通りがないことを確かめた私がひとり頷いているとき。

 その人は音もなく私の前に降り立った。


「見つけた。この香りだ」


 濡れたような黒髪と鼻から下を覆い隠すくちばしめいた黒のお面。それよりなにより目を引くのは、背中に広がる漆黒の大きな翼。

 濡れ羽色っていうやつかな、つやつやで手触りが良さそうな黒色をしたのは。


「……カラスさん?」

「ちがう、天狗だ」


 ぶっきらぼうな低い声。鋭い視線によく似合ってる。だけど、にらまれてるようには感じないから、怖くはない。

 

「天狗さん」


 はじめて見た。妖なんて、そうそう目にするものじゃない。

 特別に見えやすい神霊スポットに行けば、見られるとは聞いていたけれど。


 今はそんなことは置いといて、と気を取り直して背筋を伸ばす。


「いらっしゃいませ。当店へははじめてですよね? 天狗さんはアレルギー……食べられないものはありますか?」

「は?」

 

 きょとん、と目を丸くした天狗さんは若く見えた。目元しか見えないけれど、ちょっとかわいい。

 もしかして私と同じくらいの年齢なのかしら、なんて思いながら言葉を変えてもう一度たずねる。


「当店のケーキや焼き菓子は新鮮な食材を厳選しています。ですが、天狗さんが人と同じものを食べても問題ないか、不勉強なものでお答えできないんです。ですからお客さまのほうで把握されている物があれば、それを参考にさせていただこうかと……」

「待て。俺は客ではない」

「あら。違うんですか」


 ケーキ屋さんの前。

 チェックの襟付きシャツにエプロンをして、キャスケットを被った私はどう見ても販売員。

 あたりに漂うのはお菓子の焼ける、甘くて香ばしい良い匂い。

 そこへきて「この香りだ」って言うのなら。


「お客さまかと思ったのに」

「違う」


 違うらしい。


「では、店長のお知り合い? 妖と人の交流は申請制だったと思うのだけど」


 人の世界と不可視の膜をへだてて妖の暮らす世界がある。だけれどふたつの世界の住人が交わることは推奨されてはいないから、必要に応じて許可申請がいるのだと、義務教育で習った覚えがあった。

 十年くらい前の記憶だから、とってもあやふやだけれど。


 店長を呼んでくればわかるかしら、とお店に戻りかけた私を呼び止めたのは天狗さん。


「待て。話を聞け。用があるのはあんただ」

「私?」

「ああ」

「天狗さんの知り合いはいないと思うのだけど。あ、もしかして実は幼いころに遊んだとか? 無邪気に過ごした日々、住む世界のちがいのせいでふたりは離れ離れに。だけど大きくなった彼が力をつけて探しにくるの。そしてふたりの友情は愛に変わり……定番よね!」

「俺じゃない」


 わくわくして言った私に、天狗さんは短くすぱり。


「あなたじゃない?」


 短すぎて何のことだかわからなくて、私は首をこてり。


「すこし前……人の時間で言えば十数年ほどになるか。龍に会っただろう」

「ああ〜。会った会った」


 言われてよみがえるのは、十九年前の記憶。

 あれは私が五歳のころ。


 お母さんの実家でお泊りをした翌朝、私はひとりお家探検に繰り出した。

 百年以上前に建てられた日本家屋なんて、アパートで生まれ育った私には未知の建物。お母さんがおばあちゃんとおしゃべりしてる隙にどこでも覗いちゃうのが子どもってもの。


 そうして色んな部屋を見て回っていたとき、あの緑色の光に出会ったの。

 陽の射さない部屋を満たす神秘的な光。その発信源は部屋の半ばに浮かぶ、手のひら大の緑の球体だった。


「でも、あれが龍だったかって言われると私にはわからないんだけど。正直、ただの緑の光の玉としか」

「いや」


 首をかしげる私に顔を寄せて、天狗さんはすうっと息を吸い込んだ。


「この匂い、間違いない。かすかだが、龍の残り香だ」


 きりっとした顔で言ってくれてるけど、いまこの人、ううん。この天狗さん、私の匂いをかいだよね。

 匂いを! かいだ!


「か、嗅ぐならお菓子の香りにしてちょうだい!」


 びしっとお店を指さして言えば、天狗さんは「いらん」とひと言。

 背中の翼を広げて私から一歩遠ざかる。


「龍と会った家の場所はどこだ」

「え、えっと。となり町にあるイシガキモチ山、わかる? あのちっちゃい山のふもとの古い家なんだけど。というか、龍を探して何をするの?」

「人の身には関わりのないこと。しかし、鎮守の丘のひざ元か。なるほど、闇雲に探しても見つからないわけだ」


 質問には答えずにひとり納得したらしい天狗さんがぐっと膝に力を入れたのが見えて、私はとっさに飛びついていた。


「龍を探すなら私も連れてって!」

「なっ」


 恥じらいなんて捨てて浮き上がりかけた天狗さんの腰にしがみつく。そんな行動に出るとは思ってなかったんだと思う。

 びっくりした顔で私を見下ろした天狗さんの身体が、急に熱と質量を持って私の腕のなかに感じられた。

 同時に、ばさり。天狗さんの翼が動く音が耳に聞こえて、気が付いた。


 天狗さんの声と姿しか、私には届いてなかったんだってこと。


「あっ……んたは、もう……!」


 私が発見の喜びをこっそり噛みしめていると、地面に降りた天狗さんがなんだかもだえてる。

 いつまでもしがみついてるのも悪いから、そうっと離れて。でも、逃げられたらショックだから、天狗さんの羽根の先っちょを握らせてもらって。


「せっかくこちらが最低限の接触で済ませようとしていたというのに、台無しだ!」

「と言いますと?」

「俺の匂いがつけばあんたは妖界と縁ができてしまうだろう! 不要な縁は災いを招きかねん。それを見越して姿と声だけでの接触をはかったというのに……」


 イライラしてるみたいな顔をしてるけど、言ってることは人間わたしに配慮してくれてた、っていう話。

 そうとわかれば、怖いくらいのしかめ面もかっこいいイケメンにしか見えなくなっちゃうから不思議なもの。


「えっと、なんかごめんね」

「まったくだ! 人の間に知識を流布せぬのは勝手だが、慎みと警戒心くらいは成長過程で身に着けるべきだろう」


 ぷりぷり怒ってる天狗さんは、やっぱり私のことを心配して怒ってくれてるみたい。そんな天狗さんにこんなこと言ったら怒るかな、なんて思いながらも、私は「でもさ」と言ってしまう。


「私、気になることは知りたくなっちゃう質なの。あの緑の玉、龍のことを知れるならやっぱり知りたい」


 緑の玉、天狗さん曰くの龍を見たのはずいぶん昔。

 だけどあの時の光がどれだけきれいだったかは、今でも簡単に思い出せる。

 焼きついちゃってるの、私の心に。

 だからもしもまたあの光を見られるなら。見られないとしても、あの光のことを知れるなら、多少の危険は壁になんてならない。


 そんな思いを込めて天狗さんの目をじいっと見つめていたら、天狗さんはため息をついた。


「龍に魅入られたか。まあ、一度縁づいたものをとやかく言っても仕方あるまい」

「そうそう。人間、諦めが肝心だもの」

「…………」


 呆れたような視線を感じる気がするけど、細かいことは気にしない気にしない。

 それよりも、と私は両手を合わせて天狗さんを見上げた。


「それじゃあ、これからよろしくね。私は佐伯ミヅキ。ミツキじゃなくてミヅキ、ね!」


 にこっと笑顔を添えて自己紹介したのに、天狗さんから返ってきたのは信じられないものを見るような視線。


「あ、あんた……今、名を」

「うん。名乗ったよ」

「……感覚に変化はないか」

「感覚?」

 

 がっくりとうなだれた天狗さんの言葉に首をかしげつつ、あたりをきょろり。

 そしたら、なんだろう。なんとなく、なにかがいつもと違う。


「なんだか、ぼんやり動いてるものがある?」


 いつもの街並みと重なって、淡く見えるなにかの影がある。それもひとつじゃない、いくつもいくつも、ざわざわしてる。

 耳をすませばそれらが立てる音も聞こえるようで、いつもの景色がざらざらしているよう。


 目がおかしくなったのかしら、と瞬きをする私の前で、天狗さんが手のひらで目元を覆って、はあーっと深いため息をつく。手、大きいなあ。


「いらぬ縁を増やさぬように、話しをしたばかりだと思ったが。名を教えるなど縁を深める行為そのものだろう。まったく、妖に名を教えるなど……」

「天狗さんのお名前は?」

「…………」


 わあとっても苦そうな顔。

 くちばしのお面のせいで目元しか見えないのに天狗さんは案外、表情豊か。


「せっかくできた縁だもの。深めてしまいたいと思わない?」


 ね、と言ってみれば、天狗さんはじーーーーっくり悩んでぼそりと答えてくれた。


「……シャクマ」

「シャクマさん?」

「敬称は不要。こちらもミヅキと呼ぶ」


 私が天狗さん、シャクマの名前を呼んで、シャクマも私の名前を呼んだ瞬間。

 私の世界はがらりと変わった。


 見える。見える。

 あっちにもこっちにも不思議な妖の姿がゆらり、ひらり。


「わあ……なあに、これ……」


 私のいる場所は変わらないまま、世界に妖たちが透けて見えてる。

 半透明なのにとってもリアルでおどろおどろしい妖たち。思わず目で追う私の前で、シャクマが腕組みして呆れ顔をする。

 

「なんだ、知らずに申し出たのか。妖と名を交わせば人界と妖界のとばりなど、あって無いようなものだろう」

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