8 俺とお前の婚姻を記念する一枚が先だ

 当代の元首が住まうことを許された木造邸宅『ユグドラシル』は、外見の見事な装飾とは対照的に、内装は意外にも簡素だった。通路からお手洗いに至るまで豪奢な贅を究めたヴェストリア城とは大違いで、どちらかといえば、貴族らが所有する避暑地の別荘のようである。

 ヴィジェルによれば「面倒だから」とのことだった。元首の任期は四年。次の選挙で落選すれば、この元首邸からは退去する必要がある。そのため歴代の元首たちはみな、故郷の自宅にほとんどの家財を置いたまま、必要最低限のものだけ運び入れるらしい。

 しかし唯一、華美に彩られた区域が存在する。元首邸の敷地内に構えられた迎賓館だ。

 要人を歓待するその建物に入れば、通路にずらりと並んだ歴史的な調度品に出迎えられる。年代ごとに整理されたそれらを順番に眺めて歩くのは、まるで美術館にいるようだった。

 通路を抜ければ、大広間に出る。各種催事場として用いられるこの場所は、ここだけで元首邸に匹敵するほど広いのではないかと思うほどだった。当然内装も、ヴェストリアのそれと遜色ない優雅な輝きを放っている。



 そんな大広間で、いくつもの黄色い声がシャンデリアを揺らした。


「きゃー!! サファグ様が、こちらを見ていらっしゃるわ!!」

「ねえ見て、ガルダ様の御体のしなやかさ!」

「肉眼で見るよりも筋肉が際立って見えない!?」


 輪になった女中たちが、頬を赤く染めながら、興奮気味に感想を述べ合っている。

 彼女たちが囲んでいるのは、自分たちの使える主が転写された板である。

 広間の中央で転写魔道具の光源装置を構えたアイリスは、サファグに指示を出した。


「もう一枚行きますね。今度は少し振り返るような姿勢でこっちを見てください」

「こう……でしょうか? 公的な肖像としてはどうなのでしょう」

「いえもうばっちりです! 二枚目の方は趣味なので!」


 アイリスはぐっと親指を立てる。

 ヴィジェルやガルダと比べれば一見痩せ型に見えるサファグにも、人間と比べれば十二分に体格が優れている。しなやかな長髪と片眼鏡モノクルの理知的な雰囲気と、衣の内に秘めた肉体美のコントラストは、また違った味わいがあった。


「あのう、奥様……?」


 一人の女中が、進み出てきた。彼女はサファグに仕えており、彼と同じ魚の獣人だと紹介されたのは記憶に新しい。

 女中はサファグの様子をちらちらと窺いながら、アイリスに耳打ちする。


「サファグ様の髪をかき上げていただくことは可能でしょうか?」

「髪、ですか?」

「はい。実はサファグ様のうなじには楯鱗さめはだがあるのですが。私たち魚人族の間では、殿方のそれは、もうたまらなく魅力的なものでして……!」

「わかりました、やりましょう! ――ということでサファグ様、髪を、こうっ! お願いします!」


 サファグがポーズを真似てくれたところで、魔道具に魔力を通す。

 数拍の間を置いて、サファグの妖艶な流し目が板に転写された。

 それを先ほどの女中へ渡すと、彼女はわなわなと手を震わせ、唇を噛み締める。


「奥様っ!」

「は、はいっ!?」

「一生付いていきます……!」

「えっ、ああ、ありがとう、ございます?」


 鼻血を流しながら咽び泣く顔は軽く恐怖でしかなかったが、それだけ彼女の期待に応えられたのだと思うと、アイリスは少し誇らしかった。


「何だ、もう始めていたのか」


 溜まっていた政務の確認に席を外していたヴィジェルが、黒ずくめの獣人を供に引き連れてやってきた。


「はい。この魔道具は一度作ったことがありますから、材料さえ揃えば、後は組むだけでしたので」

「へえ、これがその転写装置か」


 ヴィジェルはアイリスの傍らにある魔道具を眺めてから、女中たちが盛り上がっている輪へと忍び寄り、背後から中を覗き込んだ。


「こいつは……すごいな。クティノスにも姿絵や似顔絵を専門とする絵師はいるが、これは絵というより、そのもの……いや、光を当てることで、より一層映えて見えるようだ」

「わかりますか!?」


 アイリスはずいっ、とヴィジェルに詰め寄った。


「少し調整が大変だったんですけどね、でも光の当て方を変えると、ガルダさんの翼の色の変化がより鮮明に捉えられて美しく見えるんですよ! それで、さっきこちらの方から教えていただいたんですけど、サファグさんの綺麗な翠色の鱗がもうきらきらとしてて!」

「わかった、わかったから……少し落ち着け」


 ヴィジェルに手で押しとどめられ、アイリスは我に返った。


「ご、ごめんなさいっ、つい……」

「いや、少し驚いたが、気にするな。むしろ、アイリスが俺たち獣人に対して悪い色眼鏡を持たないでいてくれることが、嬉しく思う」

「悪くなんて思いません。大きくて、優しくて、温かくて。私、皆さんのことが好きですよ」

「お、おう。そうか」


 ヴィジェルは少し照れくさそうに鼻の頭を掻いた。

 そこで一度話に区切りがついたと判断したのだろう。ヴィジェルの傍に控えていた黒ずくめの小柄な獣人が、主の袖を引く。


「……元首。奥方様に、ご挨拶をしても?」

「ああ悪い、そうだったな。――アイリス、こいつがさっき紹介しきれなかったもう一人だ」

「ビァン・フーと申します。懐刀です。お見知りおきを」


 声はガルダよりも若く、少年のようにも聞こえる。しかしビァンは、アイリスがローブで身を隠す時よりもずっと深く衣服で体を覆っており、年齢はおろか、種族さえ判断ができない。


「アイリス・フェルデレーヴです。ええと……その、お顔を拝見することはできないんでしょうか?」

「……っ」

「ああいえ、懐刀ということでしたし、お仕事に差し障るのでしたら、無理にとは!」

「……申し訳、ありません」


 ビァンは首元の布を引き上げて、さらに隠すようにして後ずさり、そのまま一瞬で姿を消してしまった。

 残ったヴィジェルがくつくつと肩を震わせている。


「極度の照れ屋なんだよ、あいつ。まあいずれ、顔を見ることもあるだろう」

「そうなんですね。楽しみに待っています」

「うし、それじゃあ、俺たちも転写するか!」

「そうですね。では、あちらの方へどうぞ」

「何言ってんだよ。俺っつったろ」

「へっ――わわわっ!?」


 急に抱えあげられて、アイリスは叫んだ。

 ヴィジェルは軽々とアイリスを持ち上げたまま、ガルダの示した立ち位置へ向かう。


「げ、元首の肖像とするものなので、私は不要かと思うんですが!」

「んなもん後だ後。俺とお前の婚姻を記念する一枚が先だ」


 立ち位置についたヴィジェルは、アイリスを抱きかかえたままで続ける。


「アレの操作方法は?」

「えと、その前に下ろして――」

「操作方法は?」

「……転写装置の上部に付いているスイッチを押し込むだけです」

「よし。ガルダ、頼む!」

「かっしこまりっすー!」


 意を得たりといわんばかりに元気な返事をして、ガルダがいそいそと転写装置の後ろに立つ。


「ほ、ほんとにこのまま撮るんですか!?」

「何だ、足りないか? なんなら口付けでもしようか」

「や、あの、十分、足りて、てえ……!」

「それじゃいくっすよー。三、二――」


 ガルダのカウントダウンが始まってしまい、アイリスはわたわたと前髪を直した。


「一! パシャッ!」


 かくして、元首邸の居間に、顔を真っ赤にした奥様と、それを姫君のように抱えるだんな様との転写板が飾られることとなるのだった。

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