5 少しの間、目を閉じているんだ

 魔術師以外の人間がクティノスへ渡るには、宿泊以外の時間を歩き詰めても一週間はかかる。ましてその後半はほとんどが野営を強いられるとあっては、わざわざそうする者は少ない。

 そこで活躍するのが、風魔法と水魔法を組み合わせた空中滑車だ。

 大気中の水分を集めてレールとし、荷台を安定させることで、風魔法が浮力に割いていたエネルギーを推進力に回すことができる。

 アイリスが乗せられていたのは、空中滑車の初期モデルだった。元々、戦場へ物資を効率よく運搬するために開発されたものであるため、荷台は窓もなく、無骨な木の箱も同然。それが今のアイリスの置かれた状況をより浮き彫りにしてしまう。


「(クレア……どうして)」


 わずかな光も入らない荷台の隅でじっと身を丸め、アイリスは鼻を啜った。

 あれからどれくらいの時間が経っただろうか。不安と緊張で目は冴え、腹時計も麻痺してしまっている。

 スカートに顔を押し付け、泣きはらした目を擦る。

 ヴェストリアの体制は理解していたから、いつもの魔道具開発も、表向きは御国のためということにしていた。朝にクレアへ見せた天秤型魔道具も、申請書類には「物資を均等に配分するため」と書く予定だった。転写装置を侵入者記録用と言い表したのも、あながち誤りではなかったのだ。

 だが、それらを作った意図が別にあることを、国に悟られてしまった。


――ほら、来月は村でお祭りがあるでしょう。その時にみんなを集めて、バシャッ!って。


――というわけで、お祭りにはアイリスも参加決定ね。


 あの時にはもう、彼女はこうなることを知っていたのだと思うと、ひどく胸がかき乱される。

 アイリスはまた鼻を啜った。


「(もうあの国に……私の居場所はないんだ)」


 そして、あの村にも。

 そう考えると、クティノスへ行くのも悪くないと思えるようになってきた。もっとも、自分は『虹色の魔女』。当然、戦で獣人たちを相手取ったこともある。


「(嫁ぐといっても、要は人質ってことなんだよね……)」


 もう寝てしまおう。すべてを諦めたアイリスは、床に身を投げ出した。

 何度も物資を積み下ろししたためか、床板は擦り切れ、ところどころささくれ立っている。

 痛くない位置を探してアイリスが身を捩っていると、突然、体が宙に浮く感覚に襲われた。


「なになに――へみゅっ!?」


 先ほどまで天井だったところへ、強かに頭を打ち付ける。

 壁の向こうから、護衛兼運転手の魔術師たちの、半狂乱に叫ぶ声が聞こえた。それが一度怒号に変わったかと思うと、悲鳴となって事切れる。

 アイリスは上半身を持ち上げて、後ずさった。しかしこの暗闇の中では、扉がどちらかもわからない。とにかく壁を求めて、闇雲に這った。

 しかし、ようやく肩が木の板に触れたかと思った矢先、アイリスの顔のすぐ隣に、バキッと音を立てて何かが飛び込んできた。

 衝撃に散った木片の隙間から光が差し込み、それが鎌のような、白く長い四本の刃物であることが視認できた。


「ひっ……!」


 アイリスは声を押し殺し、どうにか距離を取ろうともがく。

 刃物は壁をある程度引き裂くと、押しつぶすように挟んで砕いた。

 手だ。隙間から再び突き入れられた刃物――爪は、今度こそ扉を破壊し、引き剥がしてしまう。


「何だあ? 空っぽじゃねえか」


 トカゲのような面長の顔をした獣人の男が、荷台の中へ顔を突き入れて首を振る。その獣人の肩越しに、別の獣人がランタンをかざした。

 揺れる灯火の先を追うようにぎょろぎょろと動いた楕円の目が、ついにアイリスを捉えてしまう。


「……飯ではねえが、はあったようだ」


 ぬっと伸びてきた腕に掴まれて、アイリスは放り投げられるように荷台から下ろされた。

 空には、最後にアイリスが見た時から何周したのかしれない太陽が昇っていた。獣人の背後には樹林が広がっていて、アイリスが投げ出された地面は簡易な舗装がされた土との境目。

 しかし、十数人の蜥蜴族に囲まれては、ここがどの辺りだろうかと地図を思い浮かべる余裕もない。


「おい、こいつ手錠を付けているぞ」

「罪人ってことか? じゃあ、遠慮するこたねえってわけだ」

「ハッ、最初からそんなつもりもないくせに、よく言うぜ」

「ひ……いや……」


 向こう側では、矢や槍が胸に刺さって絶命している魔術師たちが引きずって集められ、身ぐるみを剥がれている。

 目を背けるアイリスに、舌なめずりをして顔を寄せて来た蜥蜴族は、そこでふと、首を傾げて眼球を回転させた。


「こいつ……どこかで見たことがあるな?」

「はあ? 人間の女だぞ。オレらみたいなごろつきが知ってるわけねえだろ」

「いや本当だって! ちょっと待て、もうすぐ思い出しそうなんだ――」


 ふるふると首を振るアイリスを映したまま、さらに眼球はぎょろぎょろと蠢いて、


「そうだ、思い出したぞ! こいつは――どいつぅ!?」


 アイリスの遥か頭上を見て止まった。


「――いい記憶力だな。じゃあ、俺の名前も言えるよなあ!?」


 地響きがするようながなり声に、蜥蜴族たちは一斉に飛び退いて、めいめいに武器を構えた。

 アイリスが振り仰ぐと、そこには、滑車の荷台を覆い隠さんばかりの巨体をした狼の姿があった。白銀しろがねの色をした体毛は陽の光を受けて煌めき、暈がかかっている。

 まるで地上に太陽が降りて来たかのようだった。それでいて、その芯から覗く琥珀色の双眸は一切ぼやけることなく、力強い眼光を放っていた。


「ど、どうして『銀狼王』がこんな所にいるんだよ!?」

「さあて、どうしてだろうなあ!」


 荷台の屋根から飛び降りた巨狼は、アイリスの前に立ちはだかると、こちらへ振り返った。


「少しの間、目を閉じているんだ」

「は、はい……」


 はじめの威嚇とは打って変わった優しげな声色。言われるままに、アイリスは首を縮こめる。


「それでいい」


 身を寄せてくれた巨狼の毛が、天日に干した後の毛布のように柔らかく包んでくれる。その奥にある胴の温もりが伝わってきて、安心感から緊張の糸が切れたアイリスは、急激に意識が遠のいていくのを感じた。


「ガルダ、サファグ、ビャン。やれ!」


 彼の吠える声すら遠くに聞こえる。そのまま、微睡みに沈んでいくのだった。

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