4 貴様の願いを叶えてやると言っているんだ

 魔術協会長の執務室の扉の前まで辿り着いたアイリスは、そこで違和感に眉をひそめた。

 扉を挟むようにして騎士が二人、直立姿勢で待機している。彼らはアイリスに気が付くと、さらに背筋を引き延ばして敬礼をする。


「え、と……その、今は入ったら駄目です、か?」

「いえ! 『虹色の魔女』様ならば通すよう仰せつかっております!」

「そんな……」


 この部屋の主たる『流星の射手』――コルヴァイ・バレットは、自身の炎魔法があるため、護衛を付けていない。式典の際などに形式として、カルパディアら他の『賢者』を控えさせる程度だ。

 この国で護衛を連れて歩くのは、名のある貴族か、王家の者しかいない。

 どうしようもなく嫌な予感が込み上げてくる。クレアに助けを求めようと振り返ったが、彼女はいつの間に手前の角のところまで下がっていて、にこやかに手を振っている。ぱくぱくと動く唇を読み解けば「がんばれ」だそうだ。


「うう……」


 アイリスはクレアと護衛騎士を何度か交互に見やってから、意を決して、扉をノックした。


「あ、アイリス・フェルデレーヴでひゅっ!!」


 声が裏返ってしまう。騎士の二人は失笑さえしてくれない。それが余計に、アイリスの羞恥心を煽った。


「――入れ」


 中からコルヴァイの声がした。アイリスはぎゅっと目を瞑り、おそるおそる扉を開ける。

 背後で鳴った扉の閉まる音を合図に顔を上げたところで、アイリスは持参していた杖を取り落とした。

 そこには、蒼紅ふたりの雄がいた。

 不遜な態度で机に肘を突いている魔術協会長・コルヴァイの、燃えるような紅の髪はいつものこととして。問題はもう一人である。

 執務机の側面に寄り掛かって冷たい視線を向けてくる、氷雪のごとき青髪の男性。アイリスは数えるほどだけ、それも遠くからしか見たことがなかった人物が、十数歩の距離にいた。


「アレイスター殿下……」


 王太子アレイスター・ヴェストリア。グランスタ―王の次代を担う要人である。

 慌ててその場に跪き、頭を下げたアイリスに、アレイスターは鼻を鳴らす。


「よい。忍びで来ている。面を上げろ」

「……はい」

「貴様が『虹色の魔女』か。一度会ってみたかったんだ」


 つかつかと歩み寄ってきたアレイスターは、アイリスのあごを指で持ち上げて、上から下までくまなく観察を始めてきた。


「な、な、なっ……!?」

「ふうん、思っていたよりも凡な女だな。顔立ちは悪くないが、体が駄目だ。貧相過ぎる」

「な――」


 彼は不要な書類を投げるような杜撰な手つきでアイリスを開放すると、執務机の方へと戻って行った。それをコルヴァイは呆れた顔で迎える。


「君の周囲と比べてもらっては困るな、アレイスター。魔術師と騎士は違うんだ」


 コルヴァイの口調はかなり砕けたものだった。名家の出で、かつ幼い頃から『賢者』の片鱗を見せていたこともあり、王太子とも旧知の仲であるというのは聞いたことがある。


「それに、君のお眼鏡に適ったところで、こいつはやれんぞ」

「(こ、コルヴァイさあん!)」


 アイリスは心中で拝んだ。今日だけは鬼上司も優しく映る。

 だが、それは甘い認識だった。


「ああ、そうだった。の嫁になる女だったな」

「……は?」


 アレイスターの言葉に、アイリスは耳を疑った。

 てっきり、また戦に出ることを命じられるのだろうと思っていたアイリスは、頭からさあっと血の気が引くのを感じた。


「今、何と……?」

「ちょうどいい。今日お前を呼んだ理由を伝える」


 上司の表情に戻ったコルヴァイに、アイリスは固唾を飲む。


「アイリス・フェルデレーヴ。お前には、クティノスの新元首ヴィジェル・ヴィトニルへ嫁ぐことを命じる。これは王命だ」

「えっ……?」


 にわかに咀嚼できず、アイリスは何度か目を瞬かせた後で、ようやく事態を飲み込み、ぶんぶんと首を振った。


「むむむ、無理ですっ! それに、どうして私なんですか!? 獣人国の元首様を相手に、そんな……!!」

「馬鹿か貴様は。姉上たちを亜人にくれてやれるわけがないだろうが」


 アレイスターのひと睨みで、アイリスはびくっと背を震わせた。


「かといって、またとない機会だ。クティノスとの同盟が成れば、忌々しいウェンカムイへも攻め易くなる。そこで貴様だ。貴様ならば、『賢者』の一人として箔も付く」


 人間は、しばしば獣人や魔人のことを指して『亜人』と呼ぶ。半獣・半魔の種族とはことなり、人間こそが純粋なるヒトなのだという誇りがあるためだ。

 その一方で、人間は他二種族に比べて脆い。獣人は『完全獣化ライカンスロウプ』によって人間を遥かに凌ぐ身体能力を得るし、魔人たちは素の膂力が高く、奇怪で禍々しい術を用いる。

 そこで人間たちが編み出したのが、魔法だ。

 そうした歴史的背景もあり、ヴェストリア――ひいては人間にとって、魔法というものは絶対的な権威だった。


「聞くところによれば、貴様は魔術師としての務めを果たさず、辺境に引きこもっているそうだな」

「それは……」

「『魔法は人の笑顔のためにあるべき』だったか」

「――っ!?」


 どうしてそれを、というのは言葉にならなかった。したくなかった。考えたくなかった。何故なら、その絵空事を話したことがあるのは、この世界にたった一人だけなのだから。

 アレイスターは床に転がっていたままの杖を拾い上げ、嘲るように、その杖の先でアイリスの額を押し上げてくる。


「貴様の願いを叶えてやると言っているんだ。貴様が輿入れし、ヴェストリアとクティノスの和平が成れば、国民は皆、喜んで貴様を讃えてくれるだろうよ」

「ち、ちが……」


 讃えられたくてそうしているわけじゃないのに。アイリスは首を振ろうとしたが、錆び付いてしまったかのように上手く動いてくれなかった。


「なあコルヴァイ。他に伝えることはあったか?」

「ないな。後は君の号令だけだ」

「そうか――連れていけ!」


 アレイスターが声を上げると、即座に扉が開き、騎士たちが駆け込んできた。

 アイリスは背中から蹴り押さえられ、後ろ手に錠をかけられる。


「抵抗するなよ? 尤も、貴様の杖がこちらにある状況で、何ができるとも思えぬが」


 冷笑を浮かべたアレイスターが、歯を剥いて耳打ちしてくる。王都の女性がみなうっとりと溜め息を漏らす御尊顔は、今や獰猛に目を見開き、愉悦に歪められている。

 騎士から乱暴に引き起こされて、アイリスは執務室から連れ出された。人目を避けるように、裏門へ続く回廊へ誘導される。

 一度だけ振り返ることのできた向こう側には、クレアの姿はなかった。

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