2 村外れの魔道具工房
――アイリスとヴィジェルの邂逅より、遡ること数日。
ベッドの上まで散らかした本や試作魔道具の隙間を縫うように、両手両足をちぐはぐに投げ出した体勢で寝息を立てていたアイリスは、家の外から聞こえてきた短い悲鳴に飛び起きた。
しかし意図しない寝覚めは、アイリスにとって悲惨な連鎖の始まりである。
まず、勢いよく上半身を起こした際、腕に巻き込まれた天秤型魔道具が飛んできて、側頭部を直撃。アイリスはねぼけ顔をさらに歪めて痛みを堪えつつ、倒れそうになる体を支えるべく手を突いた。
しかしそこは積み上げていた本であったため、手を乗せた途端に横滑りをし、アイリスは床目掛けて頭から落ちていく。
「わ、わわっ!?」
眼前に迫る蝋燭型魔道具から逃れるべく、アイリスは慌てて体を捩った。しかし彼女の体は今、先ほど崩れた本がなだらかな蛇腹の坂を形成している、その上にある。
結果、つるり滑った軽い体はベッドから投げ出され、空中で二回転半のきりもみをしたのちに墜落した。
「へみゅっ!!」
強かにあごを打ち付けたせいで、舌を噛みそうになる。
へっぴり腰のままどうにか体を起こしたアイリスが、まずどこを擦ればいいか悩んでいると、カチャカチャと玄関の鍵が回される音がした。
「もう、眩しー! まだ目がチカチカするう……」
この家の合鍵を持っている人物はただ一人。非常事態ではなかったことに、アイリスは安堵からまたぐでっと体を床に這わせた。
「アイリス、生きてるー? 開けるよー?」
その呼びかけにアイリスがあくび混じりの返事を返すと、扉が開いて、赤毛を頭の左右で結った少女が顔をのぞかせた。
彼女はクレア。アイリスとは幼馴染で、並んで立てばおでこ一つ分彼女の方が背が高いが、歳は同じ十八だ。家にこもりがちなアイリスを心配して、少なくとも週に一度は様子を見に来てくれている。
「おはようアイリス。ちょっとあんたまた変なものを作ったでしょう――って、何やってるの」
「はは……おはよ。気にしないで。クレアは悪くないの。部屋を散らかしている私が悪いんだ」
「はあ?」
遠くを見て乾いた笑いを浮かべるアイリスに首を傾げながらも、クレアは足の踏み場を探りつつやってきて、助け起こしてくれた。
クレアはアイリスの頭に引っかかっている天秤型魔道具を丁寧に外すと、それを掲げてしげしげと眺める。
「これも初めての子ね。何をするの?」
「見たまま、秤だよ。何かを乗せた状態の姿を光魔法で記録して、それと同じように傾いてくれるの」
「……んん? その『何かを乗せた状態』で使えばいいんじゃないの?」
「残っているならね」
アイリスは、天秤の背面に取り付けたつまみをずらしてから、クレアに天秤を床へ置くよう促した。
すると、天秤の片方の皿にぽうっと青白い光が浮かび、そちら側へと傾いていく。
光の形にじいっと目を凝らしていたクレアが、ああ、と手のひらを打った。
「粉末の珈琲ね!」
「そう。前にクレアに叱られたでしょ。目分量はダメだって」
「や、あれは誰かさんがばかすか入れ過ぎているからよ。常識的な量であれば多少違っていても問題ないの」
「むう」
渾身の一品をため息に一蹴され、アイリスは拗ねる子供のように唇を尖らせた。
「じゃあ、あっちは?」
「あっち?」
「玄関先のやつ。なんかすっごく眩しい光がバシャッ! って。もうびっくりしたわよ」
「あー……」
悲鳴の原因に合点がいったアイリスは、のそのそとベッドに這い上ると、本を掻き分けて、一枚の板を探し当てた。
その表面に描かれている人物画の出来に満足げに頷いて、振り返る。
「あれは、侵入者記録用転写装置なんだよ」
転写板の上下をくるりと返して差し出すと、覗き込んだクレアは目を丸くした。
「やだ、これ私!?」
「そう。光は跳ね返る性質を持つから、あの魔道具から発された光と、返って来た光とを比べて、この転写板に描き出すの」
板には、斜め上から俯瞰したクレアの姿があった。屋外のために光にブレが生じたのか、全体的に色がぼけていたり、光が返って来ない遠くの景色はすっぽ抜けてしまっているなど、改良の余地はあるが、クレアを知る者ならば、誰が見てもこれを彼女と判別できるだろう上々の出来だ。
しかし、クレアは絵を見つめたまま、難しい顔をしている。
「……ご、ごめん、勝手に転写されて気分悪いよね。すぐ消すから!」
「ああ、違うの。すごいなあとは思ってるよ? ただ……村のみんなは、この魔道具たちがアイリスにしか扱えないことを知っているし、というかそうじゃなくても盗らないし。村の外から侵入者が来たとしても、そもそもこんな村外れに家があるとは思わないんじゃないかなって」
「…………あ」
「私の他に訪ねてくる友達がいるわけでもなし」
「うぐっ……」
手痛い事実を突かれ、アイリスは胸を押さえてよろめいた。
「昔なら、あんたを一目見ようと、男たちがひっきりなしだったのにねえ」
クレアはひとしきりけらけらと笑って、そうだ、と手のひらを合わせる。
「どうせなら、侵入者じゃなくて、もっと良い姿を記録しましょうよ!」
「良い、姿……?」
「ほら、来月は村でお祭りがあるでしょう。その時にみんなを集めて、バシャッ! って」
「あ……それ、いい。すごくいい。人のための魔法だ! ありがとうクレア!」
思わず飛びついて抱き締めると、クレアは「よーしよしよし」とアイリスの金色の髪をわしゃわしゃに掻き回して迎えてくれた。
「というわけで、お祭りにはアイリスも参加決定ね」
「え˝っ……」
硬直したアイリスの瞳が、みるみるうちに虚ろとなっていく。
人混みの中でさえ苦手なのに、そこに喧騒が加わる祭りなど、想像するだけで恐ろしい。
「こういう機会に、あんたの引っ込み思案を治さないと。私と、うちのお母さんの他に、まともに喋れる人はいる?
「……ご、ゴードンさんちのジェイドくん」
「犬でしょうが」
「マリーカさんちの案山子くん」
「もう案山子って言ってるじゃない。生き物ですらないじゃないの」
これは重症ね、とクレアは肩を落として嘆息をする。
「王都には行けるのに、どうして地元のお祭りが駄目なのよ」
「それは……一応、お仕事だから」
「お祭りも仕事みたいなもんでしょう。――ああ、仕事といえば。大切な用件を忘れるところだったわ」
そう言って、クレアはエプロンのポケットから一通の封書を取り出した。
ちらりと見えた緑の封蝋に、送り主を察したアイリスの頬が引き攣る。
王都ヴィクトリアの神話に伝わる風女神フロラの横顔を模した印は、この国の魔術師協会のもの。伝説において一番最初に魔法を振るい、怪物を打ち倒したとされる魔術師が風魔法の使い手だったことに由来するらしい。
「はいこれ。『虹色の魔女』宛ての手紙」
アイリスは後ずさりながら、ぶんぶんと首を振って受け取り拒否の意思を示したが、すぐに壁へと追い詰められ、胸元に封書を押し当てられた。
「いーーやーーだーー!!」
「私に言われても。『封蝋付き』に背くことは国家反逆とみなされるんでしょう?」
「うう……なりたくって『賢者』になったわけじゃないのに」
風女神の横顔から、嘲笑うような流し目を向けられているような気がして、アイリスは涙目で下唇を噛んだ。
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