六芒星に、その周りを荊の形の丸い輪郭が包み込み、円環を形成する。そして、何よりも歪で、存在感を放っているのは、その周囲へと広がっている、地肌に直接彫り込まれたかのような、深い創のような跡。

 それは、鱗のあるなにかの翼だった。

 彼は振り返り、服を着て言う。

「……これは、呪いの一種でね。まあ、生まれついた時からあるんだけど。……ゆいと、龍って知ってるだろう?」

「……龍?」

 給食の時にいきなり聞かれた、あの、よく分からなかった質問。

(『龍』って居ると思うか?)

 彼は、翠色のパーカーを羽織りつつ、ぼくを見て、緊張を滲ませながら言った。

「実は、僕は『龍』の家系なんだ。これは、その呪いの証。継承の証ってやつさ」

 気付けば、言葉を失っていた。

 頭の中で出てきた言葉は、愚かにも鸚鵡返しでしかなかった。

「お前が、……龍。一体、いつから?」

 いつから……? 何を、馬鹿なことを。今、生まれた時から、言ったばかりじゃないか。

 彼は、本棚にもたれかかりながら座る。

 疲れた口調で、彼は続ける。

「君を呼び出したのは、話をする為なんだ。それをしよう」

 彼は話し始めた。

 生まれて初めて、多分、ぼくの前でその事を話した。

 彼とぼくとは、幼稚園の頃から一緒だった。すぐに仲良くなって、色んな場所で、色んな遊びをした。

 だが、お互いの家で遊ぶことだけは何故かなかった。そこに深い理由はあっただろうか? ぼくには、ただただそういう発想が全く出てこなかっただけで、当時のぼくは、そのことを少しも不思議とは思わなかった。

 彼は話す。

「呪いというのは、生まれつき持っているものだ。

 龍族という存在は、人間でいう若い時にだけ、龍に姿を変える権利を得る、そういう決まりなんだ。『龍の落とし子』とも呼ばれている。……人間と、龍との間に位置する、どちらでもない生き物、そういう存在だ」

 彼は尚も続ける。

「僕らは、生まれながらに世界から許されない『存在』の宿命を背負う」

 彼はぼくの表情から何かを察したように、さらに続ける。

「まず、この世界には、許容出来る「現実」の姿と、そうでない『現実』の姿がある。人間の世界で言えば、ノンフィクションと呼ばれる「現実」の姿と、フィクションと呼ばれる『現実』の姿。主にこの二つなんだ」

 現実。ぼくらが息をしている、「この」世界としての「現実」と、ぼくがよく読むような、小説の世界のようなフィクションの『現実』?

 表裏一体の物なんだけれど、と彼は続ける。

「最近になって、これらのバランスが崩れてきている。人々がフィクションと呼ぶーー「現実」とは呼びたがらない方の『現実』ーーの存在を、忘れたがっているんだ。より、即効性があって、理解がし易い「現実」ばかりを、重宝するようになっているんだ。そうなると、統合する世界から『世界の隙間』とでも言うものが、なくなっていく。

 ……僕らみたいな存在が、かろうじて生きていけるような、『世界の隙間』が」

 返事をするだけでぼくは、精一杯だった。

「世界の、隙間?」

 そう、隙間。と彼は言い、立ち上がり、部屋の中央へ向かって歩き始める。彼の声が、少しだけ遠くなる。

 何をするつもりだ? と、ぼくの中の誰かが囁く。

「世界は、そうして段々と、目に見えない形で、小さく、狭く、息苦しいものになってきている。総体として、そしてそうなると、僕らは生きていける世界を能動的に選ばなければならなくなる。そして、それが、今年の夏なんだ」

 彼は部屋の中央で、いつか見た水飲み場でそうしていたように、両手を天井に掲げた。すると、鋭い翠色の閃光が、一瞬走る。

 再び目を向けた時、そこにいたのは、彼の雰囲気をそのままにした、巨大な一頭の龍だった。

 翠色の瞳。柔らかく、しなやかなそうな鱗に覆われた、逞しい身体。四肢の鉤爪は、まるで鋼のように鈍く光り、牙は鰐のように鋭かった。

(怖いか? 僕のことが)

 頭の中に彼の声がこだまする。ぼくは息を飲んで、それから、ゆっくりと胸を上下させた。

 彼は待っているんだ。そんな気がする。

 理由は定かではない。だが、彼はそうするような気がする。

 勇気を出して、言った。

「背中に?」

(もしも君が望むのなら)

 彼は、首をゆっくりともたげ、背中に乗れるだけの頭を下げた。彼の鱗が、部屋の灯りに反射して、桃色に淡く光っている。

 ぼくは彼に近づき、何も言わずに背中へと跨った。すると鎧戸が突然、突風に吹かれでもしたように、次々と勢い良く開け放たれる。

 夏の新鮮な空気と風、それに日差しが、一気にカーテンを通り抜けて部屋の中に飛び込んでくる。彼は重い口調で言った。

(僕らは、龍になることができる。でも、今年がその最後なんだ。だから、最後には、君を背中に乗せて、空を飛んでみたかった)

 ぼくは、彼の背中を優しく撫でつつ、言う。

「それが今日、呼んだ理由なのか?」

(そうだよ)

 答えた彼は、窓の間を滑らかな動きで通り抜け、遮るもののない遙かな大空へと向けて、勢いよく泳ぎ始めた。

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