第9話 草原では稼げる女がいい妻ですって?

 翌日も馬車に乗って草原を進んだ。前日と違うのは馬に乗ったマーヴィが馬車に並走していることだ。

 長旅のための馬車は広くて、夜には座席に布団を乗せてベッドにできた。昼間はたたんだ布団をクッション代わりにして快適に過ごせる。

 馬車の中で宵黎はチチェクに青狼語を習ったり、トンファナの話を聞いたりした。


 昼は川に寄って休憩する。馬も人も水を飲んでひと息つき、宵黎も馬車を降りて腰を伸ばした。

 川には多くの野生動物も水を飲みに来る。草原の民が連れた羊やヤギもいれば、隊商の駱駝や馬もいる。灌木地にはリスや野ウサギの姿も見かけた。

「わあ、あれは何?」

「毛の長いのはヤク、そっちの大きな角を持つのはヘラジカだ」

 隣から聞こえたのはチチェクではなく、マーヴィの声だった。流暢な華語だったので思わず見上げると、マーヴィはふいっと目線をそらしてヤクのほうを見た。

 あら意外と照れ屋? 


「そうなんですね。こんなにたくさんの動物が草原にいるって知らなかったわ、あ、知らなかったです」

「普通に話していい。春が出産期だから今は子連れの動物が多い時期なんだ」

「じゃあ、あの小さい子たちは今年の春に生まれたばかり?」

 水辺で飛び跳ねている姿がかわいい。

「そうだ。秋になれば狩猟地で狩りをするが、二、三年後には食べ頃になる」

「あんな大きな動物を狩るの? でもその弓はずいぶんと小さいようだけど」


 青狼族が背に負っている弓は一メートルもない。小ぶりで背負いやすそうだが、威力はなさそうだ。

「そう見えるだろう? でも飛距離はかなりある。きちんと引ければの話だが」

 弓の威力はあるらしい。慣れた動作で背中から弓矢を取り出したマーヴィは何の気負いもなくすっと矢をつがえて空に向かって放った。

 続けて三矢放つと、驚いたことに三羽の野鳥が落ちてきた。

「うっそ、すごいわ!」

 目を丸くする宵黎ににやっと笑うと、側近が馬で落ちた野鳥を拾いに行く。


「夕食にするといい」

「え、あ、ありがとう」

「ああ。干果もやろう。馬車で食べるといい」

 渡された巾着袋にはドライフルーツがつまっていた。ブドウにモモにイチジクなど東西交易路を旅する者が必ず持ち歩くという。

 狩りをして食べ物をくれるってまるで求愛行動ね? いやいや、そうじゃないわね。


「馬車は退屈じゃないか?」

「いいえ。チチェクのお話が楽しくて。それに午後からは刺繍を教えてもらうの」

「手芸が好きなのか?」

「とても! 繊細な絹刺繍も楽しいけど、少数民族の衣裳や壁掛けみたいなファブリックはすごく素敵でしょ?」

 勢いよくうなずく宵黎にマーヴィは目を瞬いた。


「よかったじゃないですか。手芸上手は美人の第一条件ですからね」

 横から声を掛けたのは昨日マーヴィとやって来た側近だ。茶色の髪に灰色の目をした彼も流暢な華語を話す。

「手芸が上手だと美人なの?」

「そうですよ。家畜の扱いが上手で手芸上手で稼げる女が美人でいい妻なんです」

「稼げる女?」

「ええ。放牧生活では夫が家畜の放牧をして羊や羊毛を売って食料や生活必需品を買います。妻は刈った羊毛を紡いで布にして刺繍する、これが上手だと高値がつく。娘を嫁に出すためにも息子の結婚相手を探すにも、妻の稼ぎが重要になるんですよ」


「へえ、知らなかったわ」

 稼げる女がいい妻? この時代にそんな価値観があるなんてびっくり。ずいぶんと合理的というか、先進的な考え方ね。

 華人なら「嫁入りすれば妻は夫の家に尽くすもの」だ。嫁ぎ先のために子を生み育てて、家事をして家に尽くすのだ。嫁が稼ぐなんて発想はない。

 それが草原では「稼げる妻がいい妻」だなんて。王子と結婚というから何となく時代劇の後宮を思い浮かべていたけれど、青狼族ではそんな生活ではなさそうだ。


「じゃあ、私も稼ぐ方法を考えた方がいいのかしら?」

 マーヴィを見上げると、彼は困惑顔で眉を寄せた。

「ショウレイは華人だし、無理してそんなことをしなくていいが」

「でも昨日の話では華人は蔑視されるんでしょ? 私、できればそういう目に遭いたくないし、自分で稼いでみたいわ」

 チチェクからどんな方法で稼ぐのか教えてもらわなきゃ。バリバリ稼いで楽しい生活を送りたいものね。

「やる気があって結構だ。青狼族のために頑張ってくれ」

 まるで本気ではない口調でマーヴィは言ったが、宵黎はもちろん本気だった。

 一体、何をすれば稼げるかしら? 青狼族に着いたら色々、確かめてみよう。

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