第8話 王子様には不本意な結婚だったようです

「マーヴィ様、一体どうしたんです?」

 護衛隊の隊長が驚いた様子で近づいていく。

「親父が勝手に結婚を承諾したらしいな。俺は華人の嫁などいらん」

「そんなことを大きな声で言うものではありません」

「みなもそう思うだろ? 華人の女など青狼族には必要ない。とっとと送り返せ」

「マーヴィ様、無茶を言わないでください。王と延大人がお決めになったんですよ。互いに利益があると見込んでの婚姻です」


「そうですよ。花嫁はすでにここまで来ているんです。今さら白紙になんて無理ですよ」

 一緒に来た側近にも口々に言われて、マーヴィは眉を寄せてため息をついた。どうやら道中も同じようなやり取りをしてきたらしい。

「くそっ、あと一日早く聞いていれば出発に間に合ったものを」

「出発を止められたとしても、白紙にはできなかったと思いますよ」


 宵黎はチチェクの側で黙ってそれを聞いていた。

 これはまずいと思ったらしくチチェクは訳してくれないが、王子の雰囲気とこれまで習った青狼語から推測してほぼ意味は通じた。

 つまり王子自身は結婚したくなかったってことだよね? 政略結婚だものね。しかも華人と草原の民は対立関係だし、自分の知らないうちに勝手に結婚が決められてたら嫌だよね。


 自分が夫と初めて対面した時のことを思い出した。

 ある日突然、兄に呼ばれて行ったら「お前の結婚相手だ」と紹介されたのだ。はっきり言って不快だった。

 政略結婚は仕方ないにしても、せめて事前に相談が欲しかったと思ったものだ。

 王子もきっとそんな気分なんだろうな。思わず同情してしまう。


「とりあえず花嫁を迎えに来たことにしてご挨拶をしてください。驚いているようですから」

 護衛隊の隊長がちらりと宵黎を見て、王子に提案する。

「その女か?」

 マーヴィが宵黎に目を向けた。

「ふん。小さくて細くて子どもみたいだな。いくつなんだ」

「ショウレイ様は間もなく十七歳になるそうです」

 チチェクが返事をする。


 大柄な草原の民から見れば百六十五センチの宵黎は子どもみたいに見えるだろう。

ていうか、もうすぐ二十八歳なんですけどね、本当は。わざとじゃないけど十歳もサバ読んじゃって本当にごめんなさい。

 心の中で謝り倒しながら、馬を降りた王子と対面する。

 百八十センチは超えていそうだ。がっしりした肩に分厚い胸。草原の戦士という言葉がよく似合う。


「初めまして、延宵黎と申します。マーヴィ様には不本意な結婚のようですが、どうぞお気になさらず。私のことは放っておいていただいて構いません」

 チチェクが驚きの表情になって宵黎を振り向いた。

「いいからそのまま通訳して」

「は、はい」

 チチェクの通訳を聞いたマーヴィが目を丸くした。


「青狼語がわかるのか?」

「習いはじめたばかりなので簡単な言葉しか分かりませんし、まだ自分では話せません」

 華語の返事にマーヴィは少しばかり気まずそうな顔をした。

「悪かった。あなたは悪くないが失礼な言い方をした。だがトンファナに来ればもっと嫌な思いをするかもしれない。だから結婚を止めたかったんだが」

 出発前に止めようと思って急いでやって来たが、間に合わなかったらしい。


「どうしてですか?」

「華人との融和を進めているのはこの二十年ほどだ。華人を蔑視したり敵視したりする者もまだ多いんだ」

 ということは先代の王に嫁いだ公主はさぞ苦労しただろう。

「そうですか。でも両国のために青狼族に嫁いできたので、私ももう帰る場所はないんです」

 宵黎の訴えに王子は「それはそうだろうな」と同情する顔つきでうなずいた。どうやらこのまま嫁入りしてもよさそうだ。


「さあさあ、もうすぐ日暮れですよ。マーヴィ様も一緒に夕食をどうぞ」

 侍女たちが料理を運んできた。草原では暗くなったら寝るので、それまでに食事や片づけを済ませたいらしい。

 ノンと呼ぶパンと数種類のチーズに羊肉の煮込み、新鮮なブドウや甘瓜が出された。マーヴィたちは三日間、ほとんど一睡もせずに草原を駆けてきたそうで、驚くほどの食欲で料理を食べている。


「お口に合うといいのですが」

「羊肉は大好きよ。ノンもチーズもおいしいわ。香辛料が効いてるのね」

 クミンや胡椒が入った料理は、大人の館で食べていた料理とはまた違う味わいでおいしかった。

 宵黎がためらうことなく口をつけたので青狼族の人々はほっとしたようだ。現代人の宵黎は少数民族の料理が好きで何度も食べている。

 この時代だと華人は少数民族の料理に不慣れなんでしょうね。もしかしたら蛮族の料理と嫌がって食べないのかも。

 

 にこにこと料理を平らげる宵黎をマーヴィは不思議なものを見るように見ていた。

 想像と違っていてがっかりさせたかな。もっとたおやかでおとなしい少女が嫁に来ると思ってたのかも。

 でもまあ、結婚自体を喜んでないんだし、そのほうが気楽よね。

 トンファナに着いてもできるだけ放っておいてもらえますように。私は私の好きなファブリックに囲まれて手芸に励むんだから。


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