第5話 護符の願いは成就しました

 客間に案内され、夜着に着替えたときだった。ポケットの中の護符が真っ二つに割れていることに気づいた。

「え?」

 ハッとして割れた護符を握りしめる。あの老婆は「願いが成就したら割れてしまう」と言っていた。確かに嫌な縁を断ち切れた。

 まさか、これのせい? 偶然よね?

 でも成就したら「惜しまず捨てなされ」とも言っていた。とにかく夫との縁は切れたのだから、明日にでも捨てておこう。


 今の状況はものすごくラッキーだ。一体、どうすればいいか今のうちに考えなきゃ。

 まずは帰り方を探す? でもそんなの誰も知るわけない。

 じゃあ次に必要なのは?

 この世界で生きていく方法? こっちが現実的よね。

 ぶつぶつと呟きながら、問題点を整理する。


 何より必要なのは家と仕事。だけど家を借りるのはきっと難しい。この時代に女ができる仕事って何があるんだろ?

「どうしました、お嬢様?」

 ベッドを整えてくれていたトナが栄華の側にやって来た。手には香油と櫛を持っている。


「ねえ、ここで私ができる仕事ってあるかな?」

 トナは面食らった顔をした。

「お嬢様がそんな心配をする必要はないと思いますけど」

「例えばの話よ。家族が見つからなかったら働かなきゃいけないでしょ? 仕事ってあるのかな?」

「仕事ですか? そうですね、良家のお嬢様なら手芸がお得意でしょう? 仕立てや絹糸の刺繍ができれば重宝されますよ」

「そうなの? 刺繍は大の得意よ」


 刺繍のレッスンではいつも褒められた。講師からはアシスタントにならないかと誘われたくらいだが、仕事を持つことにいい顔をしない夫に反対されて実現しなかった。

 編み込んだ髪をほぐしながらトナはくすくす笑った。

「それよりもご家族が探していますよ。お嬢様は大事に育てられた貴族でしょうから」

「どうしてそんなことがわかるの?」


「お顔立ちや振る舞いが上品ですし、お肌が白くて滑らかでしみひとつなくて、手も爪もお綺麗ですもの。この爪は何を塗っておりますの? それに黒髪のつややかなことといったら。大体、こんないい生地の衣裳や装飾品は滅多にありません」

 この服装とラピスラズリのアクセサリーのおかげか。

 でもなおさら困る。高貴な家の娘なのに誰も名乗りを挙げなかったら怪しまれそうだ。

「そうかなあ。自分ではあんまり良家の育ちって気がしないんだけど」

「きっとすぐに家族が見つかります。ゆっくりお待ちくださいませ」

 トナはにっこり笑うと、べっこうの櫛で栄華の髪を梳いてくれた。



 それから一週間、栄華改め宵黎は大人の館でゆっくり療養した。おかげで捻挫は治った。延太太はとても親切に面倒を見てくれた。

 一緒にお茶をして刺繍をしたり琵琶を演奏したりするのは楽しく、延太太は宵黎の腕前に驚いていた。

 手芸と音楽、舞踊が上流階級のたしなみなのは現代と変わらないらしい。詩作や書画が入らないのは辺境だからか、それともこの時代はまだ本や紙が貴重だから?


「本当に何でもできるのね。驚いたわ」

 実はここまでのレベルに達したのは結婚後だ。資格取得やビジネス関連のスクールは一切許可が下りなかったが、貴族らしい教養を身に着けるものなら好きなだけ通えたからだ。

 自宅にいる時間を減らしたかったのが最大の理由だが、頑張っていてよかった。

 趣味の習い事がこんなに役立つ日が来るなんて。


「宵黎は明るくていい子ね。ちょっと風変わりだけれど」

 たびたびそう言われてドキッとする。何かこちらの習慣に合わないことをしたのかな?

「風変わりですか?」

「ええ。顔は娘に似ているのだけど、でも全然違ったわ」

「娘さんはいくつだったんですか?」

「あなたと同じくらいよ、十六歳だったわ」

 困ったな、ずいぶんと若く見られている。本当の年齢は言わない方がいいかも。

 現代で特に童顔というわけではなかったけど、きっとスキンケアや生活習慣の違いで老化が早いのね。いつ帰れるかわからないし、お肌に気をつけなきゃ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る