第4話 タイムトリップしたようです

 栄華は震える声で訊ねた。

「今の皇帝はどなたですか?」

「永亮帝よ。先月、代替わりしたばかりだから知らないかもしれないわね。前皇帝は病に倒れてあっという間に亡くなったの」

「そうですか」

 呆然とそう言うしかなかった。


 永亮帝は知っている。前皇帝を暗殺して帝位についた皇帝だ。歴史の教科書には「永亮の呪殺事件」と載っていた。

 それがひと月前? 千四百年前の出来事のはずだ。

 まさかタイムトリップした? そんなはずないよね?


「ところで、おうちはどちら? 使いを出してあげましょう」

「え、あの、私は……」

 栄華は混乱して、その先が言えなかった。何て言えばいいの? 

「どうしたの?」

 延太太は黙ってしまった栄華の顔を覗きこんだ。

「思い出せないの」

「え?」

「自分がどこの誰か、思い出せないんです」

 とっさに口から出たのはそんな言葉だった。


「まあ」

 延太太は口を押さえて目を瞬いた。

「失礼します」

 侍女が入ってきて卓の上に茶器を並べていく。延太太はじっと何か考えているようだ。

「先にお茶をどうぞ。私はちょっと失礼するわ。トナ、彼女の世話をお願いね」

 延太太はそう言うとさっと部屋を出て行ってしまった。


 どうしよう? このままここにいていいの?

 とにかくベッドから下りようと足を下ろした瞬間、栄華は床に崩れ落ちた。

「いったー」

「足ですか?」

「うん。ちょっと手を貸してくれます? 足首を痛めているみたい」

 捻挫しているらしく、体重をかけようとすると左の足首がひどく痛んだ。トナの肩を借りて椅子に座る。


 お茶は現代とあまり変わらない味ですこしほっとした。

「果物はどうですか?」

 トナが盆にのせたビワとブドウを勧めた。

「ありがとう、頂きます」

 落ち着け、とにかくよく考えて。本当にここが千四百年前なら、これからどうなる?

 夢かと思ったが果物はおいしかった。やっぱり現実?


「あの、何か?」

 トナがじっと自分を見つめているので、栄華は何かおかしかったのかと不安になった。

「いいえ、本当によく似ているなと思って。大人が思わず連れ帰ったのも無理はないですね。先日、亡くなったお嬢様に似ているんです」

 思いがけない言葉に目を瞬く。

「娘さんが亡くなったの? どうして?」

「流行り病で。高熱が出て、あっという間でした」

「そうなんですか。お気の毒に」

 きっとこの時代は簡単に人が死ぬのよね。流行り病って何だろう。高熱ならインフルエンザとかかな、気をつけないと。


 でもだから親切にしてもらえたのか。

 もう一杯、お茶を飲み終わった頃、延太太が延大人を連れて戻ってきた。大人は驚いた様子で栄華を見て「本当に記憶がないのか?」と訊いた。

「はい。私は草原にいたんですか? 何か持っていましたか?」

「いや、何もなかった。周囲に荒らされた様子もないし馬もいないし、護衛も連れずに若い娘が一人でどうしたのかと不思議に思って連れて来たんだ」

 バッグは無くしたらしい。つまり無一文でこの世界に来たのだ。


「もしかして草原の民に攫われる途中で馬から落ちたのでは?」

「そうかもしれんな」

 そんなことが起きる世界なのか。栄華はごくりと唾を飲んだ。

「何も覚えてないのか? 名前とか住んでいた場所とか?」

 しばらく考えるそぶりをしたあと、首を横に振った。

 二人はあれこれ意見を述べつつ質問したが、身元はわからなかった。当然だ、記憶喪失なんて嘘っぱちなのだ。


「顔だちや装飾品から見て貴族か官吏の娘さんかしら」

「ひとまず都城内の華人に行方不明の娘がいないか訊ねてみよう」

「きっと家族も探しているでしょう。見つかるまでここで過ごすといいわ。呼び名がないと不便だから宵黎(しょうれい)と呼んでもいいかしら」

 亡くなった娘の名らしい。

「構いません。お世話になります」

 すぐに見つかると気楽に構えている二人に頭を下げた。

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