信頼の傷跡

 途端、刃物を持った何者かの腕に力が籠った。

 反射的に腕を跳ねのけて寝具を転がり落ちれば、先程までオレの頭があった位置に短剣がざっくりと突き刺さり羽毛をまき散らしている。


「問答は――」


 一閃。

 オレとの会話の意思はないようだ。バネでもついているかのような跳躍で距離を一気に詰められる。身体を引いたオレの喉前で凶器の軌跡が空を裂いた。

 

 ——強く、速い。

 思考を瞬時に切り替え、回避から応戦へ。

 しかし、立てかけてあったはずの大太刀は事前に隠されたのか見当たらない。

 用意周到だ。突発的ではなく、間違いなく最初からオレを狙った凶行である。

 

 暗闇ではためく赤頭巾に気を取られることなく、ただただ短剣の切っ先に意識を向けた。数度のフェイントを織り交ぜながら突き出され、切り払われる短剣を持つ腕を弾き続けて反撃を試みる。


「——ッ!」


 そして、一瞬の隙を突いて相手の右腕を跳ね上げた。

 まず、骨を穿つッ!

 一息に突き出した貫手は、寸でのところで躱される。しかし、オレの爪先に軽く何かをひっかいたような感触が残った。

 肌を掠めたか……っ……速すぎるな……。


 暗闇、無手、狭い部屋。

 どれもこれもがオレの不利に働く環境での暗殺の敢行。何より、その赤い頭巾。

 シルヴァが言っていた赤頭巾レッドキャップであることは疑うべくもないだろう。


 どんっ!と詰まっていた距離を腹部への足蹴りで離された。


 ようやく暗所に慣れてきた目で相手の出方を窺う。

 こちらから動くのは準備のアドバンテージがある先方が有利。であるならばカウンター狙いでどうにか……。


 そこまで迫った命の危機に唸る思考で考えた時、


「——おいっ、大丈夫かっ!?」


 オレの部屋の扉がドンドンとけたたましく音を上げる。

 

「っ」


 その刹那、赤頭巾を翻しながら人影はガラス窓を破って部屋を飛び出した。

 表通りにガラスが散らばる音と月明かりが部屋に入り込む。

 先ほどから音を立てて揺れている扉を開ければ、そこには血相を変えた宿の店主が慌てた様子で立っていた。


「さっきからすげえが音なってたから見に来たん……なんだこりゃ!?」


「すまない店主……」


「い、いや……ってかその傷っ、どうした!?」


「何者かの襲撃を受けた。心当たりもある」


「そ、そか……いやそうじゃなくてっ! 騎士ギルド呼ぶから待ってろ!」


「ありがとう、騒がせてすまない」


 かなり心配そうな店主は数度安心させるように頷くと、「そうだ!」と傍に立てかけてあった大太刀を指した。


「これお前んだろ? 外から物音がしたと思ったらこれが落ちててな、これを届けるつもりだったんだ。じゃ、俺ぁ騎士ギルドに連絡入れるから!」


 去っていく店主の背を見送り、腕に付いた無数の傷跡に目を落とす。

 いつの間にか付けられていたそれらはどれも浅いが、躱しきれなかった己の未熟と、相手との差を見せつけられているようだ。


 通りから吹き込む冷たい風に、カーテンが揺らめき続けていた。




 駆け付けた騎士ギルドが部屋中を調査したが、取られたものもなく、侵入の際本来残るはずの痕跡すらも見つかることはなかった。

 オレが赤い頭巾をかぶっていたことを伝えると、数人の騎士は目の色を変えて朝になっても根掘り葉掘りと状況を聞き出してきたが、昼になる前には解放された。


「今回の件は騎士ギルド本部に通達済みだ。また何かあったら情報を頼みたい。望むのであれば護衛を出すこともできる」


「了解した。護衛は……遠慮しておこう」


「そうか……気が変わったらすぐに連絡を。それでは」


 かなり熱心にこの件に対応する騎士たちの様子から、赤頭巾レッドキャップがどんな印象を受けているかは想像に容易い。

 護衛を断りながらも彼らに感謝しながら近い場所にある冒険者ギルドに入ると、モフリスが待っていたとばかりにオレの前に躍り出た。


「オッ、オロチさんっ!!」


「どうしたモフリス」


「どっ、どどどうしたじゃないですよぉ! だだ、大丈夫ですかっ? お怪我は!?」


「ああ、大丈夫だ。傷もかすり傷が十数か所あるだけだ」


「大丈夫って言わないですぅぅう! どうぞ治癒師ギルドへッ!!」


 昨日の様子からは想像できない剣幕のモフリスに背中を押され、冒険者ギルドから追い出される。

 

「き、今日は水の日ですのでっ、『帝都の天使』と謳われる等級ランクセブンの治癒師様がいらっしゃいますっ! 依頼を受けるのは、ど、どうか施術を受けた後で……どうかっ」


 ここで頷かなければ泣きだしてしまいそうなモフリスの顔に、オレはどうにも首を横に振れなかった。


「……わかった。シャクロ運転手を呼ぼう」


「あっ、ありがとうございますぅ……」


 なぜ礼を言われたかわからないが、素直に受け取っておこう。彼女が浮かべる笑顔に免じて。



 

 ――――視界に入ったを、なぜか脳が受け付けない。


 オレの背中を押すモフリス。その腕には、昨日までなかった血の滲む絆創膏。


 覚えがあるはずだ。だが、脳はその事実から目を逸らし続ける。

 

 馬車が来るまでの間、未明に赤頭巾レッドキャップの肌を掠めた爪先が、その感触を思い出していた。









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