終日の激動
少しの時間を掛けヘリオス北門に辿り着いたオレたちは、出発と同様にシャクロ運転手の馬車を呼び出した。
待つこと数分、他の客を送迎中だった馬車が北門に停まる。
「ニャ~、二人とも無事で何よりニャ~」
のほほんと笑ったシャクロ運転手に、いつの間にか張りつめていた緊張の糸が切れたのか、力が抜けていく。
ギルドまでの道中、オレは初めて会った時のようにシャクロ運転手を撫でまわす許可を貰ったりもした。
そんな様子を羨ましそうに見ているシルヴァは意外とかわいいものが好きなようだ。
「シルヴァも撫でさせてもらえばいいのではないか? オレより仲がよさそうだが」
「む……シャクロちゃん、というか、
「ニャ、オロチは下心をまるで感じニャいし、なにより撫でるのがうまいニャ~」
説明にもなっていない言葉で心地よさそうに喉を鳴らしながら、シャクロ運転手は馬車を冒険者のギルド前につけた。
「オロチ~、またニャ~」
「私は騎士ギルドに報告に戻る。ここでお別れだな」
「……今日はオレのわがままを聞いてくれてありがとう。シルヴァも、シャクロ運転手も、いつかこの恩は返そう」
「かったいにゃ~」
「気にしないでくれ。今回はオロチ殿の協力があってかなり円滑にことが進んだしな……まぁ、私もこれで貴殿との縁が切れるのは惜しい。また何かあったら声を掛けさせてもらえるだろうか?」
「いつでも力になろう」
「……ふふ、即答か。貴殿とは、まだまだ縁がありそうだ」
確信を含んだシルヴァの言葉はどこか嬉しそうに感じる。
これが勘違いなのか何なのか。初めての奇妙なこの繋がりこそ、人間として生きるオレにとって大切なものなのかもな。
「そうだ、オロチ殿。貴殿は今日ヘリオスに入ったと言っていたが……宿や住居は決まっているのか?」
「……そうか……宿。完全に失念していた」
長年、自然と寝床を共にしてきた俺の頭には、都市での生活感などわかりようもない。
住居を買うために高額な硬貨が要求されるのは知識として持っているが、そんな金はないため、必然的に宿暮らしにはなるのだろう。
考え込んでいるオレを、シャクロ運転手は呆れたように、シルヴァは微笑ましいものでも見るような顔で見た。
「では……ここを使うと良い」
そう言ってシルヴァが差し出したのは、一枚のコインだ。
ソル硬貨より一回り小さいそれは金銭としての機能ではなく、別の意味を持っているようだ。
そのコインの表面には、『星の泉亭』との刻印が。
「北区でも人気の高い宿への紹介状のようなものだ。北区の宿屋は需要が高いからな、普通に行ってもなかなか入れないと思うぞ?」
「いいのか? こんなものを貰ってしまって」
「ああ、私は幸運にも自宅を持っているしな。その宿屋の店主に、贔屓の者に渡すといいと言われたはいいが、そういう人物は貴殿が初めてなのでな。今日のお礼と、新たな口実として渡しておきたい」
「……ふむ、また貸しが増えてしまった」
「では、別の機会に返してもらいに来るとしよう」
「ニャ~! じゃあ、シルヴァを騎士ギルドに送った後、馬車は開けておくニャよ。星の泉亭まで送ってやるから呼ぶといいニャ!」
……なるほど、これが人間の善性。
つまるところ、優しさというものなのだろうか。
ふわふわと落ち着かない心持ちで、二人に礼を言う。
「重ね重ねありがとう。……ありがとう」
なんでもないように笑う二人に、オレはまた新しい友人の形を知った。
「オロチさんっ」
冒険者ギルドに入った瞬間、モフリスが駆け寄ってくる。
不安げな表情は先ほど受け付けてくれた時とあまり変わっていない。
心配そうな顔でオレを見ると、頬に付いた傷を見てまた泣きそうに表情を変えた。
「心配するな。当然命に別状はない」
「依頼完遂だ。そして調査の結果、あの森での失敗件数の多さはただのお前の不運に過ぎない。つまり、モフリスは死神などではないことが近々証明できるはずだ」
「そ、そんな……私のことなんて……っ」
「いや、何も知らないオレに懇切丁寧な説明や身に余る心配をしてくれたモフリスの優しさに報いるためだ。親代わりの爺さんは、優しさには優しさを……とオレに教えてくれたのでな」
モフリスは肩を震わせ、それでも笑顔でオレを見上げた。
「……おっ、お疲れ様でしたっ……! これにて依頼完遂になりますっ」
そして、どこか誇らしそうにそう言うのだった。
その後、シャクロ運転手の馬車で辿り着いた宿屋『星の泉亭』は、想像以上の目を引く外装を誇っていた。
人気なのも頷ける、豪奢な造りがオレを出迎えた。
「おっ、それはシルヴァの嬢ちゃんに渡した優待硬貨! なるほど……将来有望の青年ってわけか」
店主の男性は興味深げにオレを見た後、二階部の客室に案内してくれた。
暖色の淡い光に、ふかふかの絨毯と寝具。朝と夜の二食付き。
聞くところによれば、初日の宿泊から七日間は無料だそうだ。この都市では横の繋がりが重要だという理由から、高位探究者の信頼の形をあの優待硬貨に変え、オレのように将来有望とみなされた探究者との繋がりを作るのだと言っていた。
「面白いな……ヘリオスは」
店主から受け取ったお湯と布巾で全身を拭いながら、まだ初日だというのにその感想に間違いはない。
襲い来る睡魔に抗うこともなく、オレは寝具に身を沈めた。
「————何者だ」
夜中、覚醒と同時にオレはその声を発した。
部屋の明かりはすでに消えており、真っ暗でほとんど何も見えない。
しかし、近くにある物——首元にあてがわれた短剣と、道化の仮面。そして真っ赤なずきんはハッキリとこの目に映っている。
横たわるオレを見下ろす、仮面の奥から覗いている、静かな殺意を持った双眸も。
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