怪物の親代わり
「待ってください
「急いで急いで! 許された時間は長くないよ~!」
飄々とした態度に見合わず歩調を速める青髪の男に、アリサは嘆息を隠さずに追随する。
『帝城アルファルム地下監獄』。
一般には公開どころか存在すら秘匿された超特級監獄に、男とアリサは足を踏み入れている。
ここに収監されるのは一級犯罪者のみ。具体的な罪状は――国家転覆罪。
さらに言うならば、最高権力者である皇族ならびに六人の現人神の勅命に故意、または悪意を持って背いた人間がここに収監されるのだ。
普通であるならこんな場所に用などありようがなく、好きで入る人間など皆無に等しい。
しかし監獄内を行く男の足取りは軽く、顔には張り付けたような笑みが不気味に浮かび続けている。まるでこれからの問答に心を浮つかせてでもいるかのようだ。
「アリサ。言わなくても承知してるだろうけど、これからのことは内密に。そうじゃなかったら」
「わかっています。……理由を知りたがったのは私ですから」
枢機卿からオロチの案内を命じられた彼女が理由を知りたがったのが、この監獄への同行の発端だ。
枢機卿補佐である彼女には監獄への侵入権限が与えられてはいるが、こんな機会が無ければ一生足を延ばすことなど無かったであろう陰鬱な空間に、嫌でも背筋が伸びる。
二人が目指すのはこの監獄の最奥。
武骨で堅牢な牢屋が並ぶ道の突き当りには、冷たく暗い監獄には似つかわしくない華美な大扉が立ちはだかっている。
「……まるで貴族の一室ですね。囚人にはまるで似合っていません」
「彼の希望でね。それに沿えば暴れずに収監されてくれるって言うんだ。そりゃ上層部も従うだろうさ」
「犯罪者一人に国がひよってどうするんですか……?」
「馬鹿言わないでよ。彼は――『都市最強』だった男だよ? いや、現在も恐らく……ね」
ギギギ……。
地面を扉が掻く耳障りな音が響く。
開かれた扉から部屋を覗けば、扉の装飾にも劣らない豪奢な内装が二人を出迎えた。
そして――――
「よぉ、アンベル。
座り心地のよさそうなソファーにふんぞり返った男が軽薄な薄ら笑いを浮かべている。
その身には一切の拘束具はなく、この姿を見て彼が囚人であることを信じる者はいないだろう。
「ケイロス先生、あなたからの依頼は僕が……と言うか、この彼女が完遂してくれましたよ。あなたの言っていた『彼』は無事に都市の中です」
「——おおっ! アイツ来たの!? いつ!?」
「ちょ、ちょうど先ほど、北区画へお送りいたしました……」
上司と囚人の気安いやり取りと近しい関係性が窺える呼称に眉を顰めていたアリサは、囚人の剣幕に思わず敬語で答えた。
返答を聞いた囚人の男はとても嬉しそうに何度も頷いて見せる。
「あー、五年か……予想的中、ってな」
してやったり、と指を弾いた男に、枢機卿アンベルは普段アリサがするような呆れ顔を見せた。
「先生。約束ですよ。完遂出来たら、彼が何者なのかを教える……と」
「あーあーしたっけ、そんな約束」
「しました」
「あ、そう。まぁお前は嘘つかないからな、したんだろうな」
よっと、と前傾姿勢になった囚人は、対面のソファーを指す。
「座りな。話そう。ただし」
「他言無用、ですよね」
「流石だ。嬢ちゃんも頼むぜ。守れる自信がないんなら、どうぞ。出口はあちらだ」
堂々と枢機卿に脅しをかける面の厚さも驚きだが、何よりもアリサを驚かせるのは囚人の所作一つ一つに秘められた凶暴性を肌で感じさせる彼の威圧感だ。
白髪、少しやつれた顔。しかし全盛期の片鱗を残しているであろう肉体と暴力性。
「……一か月も受付嬢の真似事をさせられたのです。ここで帰るのはこちらの気分が晴れません」
息を呑みながらもアンベルの隣に腰を下ろしたアリサに、囚人は意外そうに目を見開いてアンベルの顔を窺った。
「気ぃつえーな」
「自慢の部下です」
「そうでなければ、この上司の補佐は務まりませんので」
アリサの言葉にくつくつと喉を鳴らしながら笑った男は、「さて」と話を切り出した。
「あいつ……オロチはな、簡単に言えば、俺の息子だ」
「————」
「どこの誰に孕ませたかも覚えてねえけどな。ほら、俺ってモテるし」
したり顔でそういう囚人に、アンベルは表情を崩さない。
「そういうのはいいです。僕が誤魔化されないのはあなたが一番知ってるはずだ」
「ちっ、かわいくねーやつ」
「あなたの教えが活きましたね」
毅然とした態度のアンベルに溜息を吐いた囚人は再びソファーに背中を預ける。
数瞬空を仰いだ彼は――
「んじゃ、本題」
ギギギ、ガタンッッ!!
背後で鳴った物音にアリサが肩を跳ねさせる。
振り向けば、開いていたはずの大扉がその口を閉ざしていた。
もう戻ることはできない。ここを動かなかった時点で、彼女もまた彼の共犯者と化すしかないのだ。
「アンベル。俺がここに入れられたのは」
「十七年前。あなたはある
「……侮辱していますね。この都市のすべてを」
「神様のおつかいを忘れてただけで光も届かない監獄に収監だぜ? 命令を忘れてただけで国家転覆の疑いって……気が短ぇったらねぇよ」
囚人の反省の色も見えない態度に、アリサは若干青筋を立てながら鼻を鳴らす。
「あなたのような人間がかの『
「んなこと言っても事実だ。それに、そんなヤツを強いって理由だけで『都市最強』だなんて持ち上げてた民衆どもも見る目がねぇよな?」
「あなたっ」
「アリサ、よすんだ。……すみません先生、彼女は敬虔な星聖教の信徒です。煽るのはほどほどになさっていただけると」
肩を竦める囚人——ケイロスは「んで」と続ける。
「じゃあ、おさらいも済んだとこで……オロチが俺の息子ってのは本当だ。生まれたその日から俺が育てたんだ、ほとんど親みてぇなもんだろ?」
「それは」
「十七年前だな」
いまいち繋がらないケイロスの話に二人は訝し気に目を細める。
「じゃあ俺が現人神たちから受けた
二人に目配せをすると、それ以外しようが無いように二人は頷く。
「その
二人の鼓動がシンクロして跳ね上がる。
地上から隔絶された部屋で淡々と告げられる言葉はどこか浮世離れしたように感じられていまいち現実味が薄い。
だが、ケイロスの言葉は止まる気配がない。
「たった一人に荷が重い話だよな。何度逃げ出そうと迷ったことか……まぁ結局、逃げなかったわけだけど」
「逃げたから……ここに入れられたのでしょう?」
「いんや?」
アリサの質問に不敵に首を横に振った彼は、
「逃げなかったから、ここにいるんだよ」
そう言って手を打った。
一転、ケイロスは雰囲気を明るくしてアリサに問う。
「嬢ちゃん、
「なっ、なめないでください! 星聖教の信徒にとっては常識です!」
むっとするアリサに、促すように視線が送られる。
挑発に乗るように、彼女は言葉を引き継いだ。
「今より千年以上前、帝都の成立と共に、第一のクランが興りました。その理由は、人類の最終防衛戦としての役割を期待されてのことでした。そして見事に、その役割は果たされました。それから月日が過ぎるごとに、人類は何度も滅亡の危機に陥り、それを打破してきたのです。その中心に存在したのが、十二のクランです」
「おお、博識。優秀優秀」
子供を褒めるように手を叩くケイロス。
不満げに表情を歪ませるアリサに構うことなく、ケイロスは話を再開する。
「さてじゃあ、質問だ。この際アンベルでもいい。俺が受けた
「……?」
首を傾げるアリサとは対照的に、アンベルはどんどんと表情を曇らせていく。
緊迫した空気の中で、アンベルはアリサに向かって口を開いた。
「……アリサ、星聖教の神話は知っているね?」
「? ……ええ、『星守の神話』……ですよね?」
「ああ、人類の危機を救った人間を、人々は星守と仰ぎ崇め、讃えた。その名残が
「そ、そうですね、常識です。ですからっ、このような男が星守と呼ばれていることには納得いきませんけどね!」
興奮気味の彼女に、枢機卿は顔色一つ変えない。
彼の顔面は少し前から蒼白から色が変わっていない。
アンベルは、先ほどアリサがした説明の足りなかった部分を補足していく。
「……さっきアリサは、人類の危機の中心に十二のクランが存在したと言っていたけど、それじゃあ言葉が足りない。実際には、人類が危機に陥るたびに、新たにクランが立っていったんだ。それが
「危機に瀕した数……? そ、そんなこと」
「ほぼ神話の出来事だ、正確に知らされているのは現人神に謁見したことがあるやつぐらいだろうよ。恥じる事ねぇぜ嬢ちゃん」
今にもケイロスに食って掛かりそうな表情のアリサは必死に己を諫め、冷静に頭を回す。
この話とあの青年。一体どこに繋がりがあるのか。
「じゃあ、嬢ちゃん。改めて質問だ……俺が受けた
現人神直々。星守の役割。十二度の滅亡の危機。
ぐるぐると脳内を回る情報に、アリサはそれでも食らいつく。
「つ、つまり――十三度目の、滅亡の危機を食い止めろ……と?」
「そうっ! 正解! んじゃ、その滅亡ってのは、何を指してる? 当然、自然災害やら人災のことじゃねぇ。まぁ、これぐらいはわかるか?」
「だから馬鹿にしないでください! この世界で滅亡を指すモノはたった一つ――
時が止まる。
一瞬、ほんの一瞬だけ……アリサの脳内であり得ない線が結ばれた。
直結しかけた回答から目を背け、アリサは胸の内から沸き上がる不気味な感情を口から溢す。
彼はさっき言っていた。
その役割から逃げなかった、と。
「あ、あなたが受けた
不敵なケイロスの笑みに全身鳥肌を立てたアリサは、アンベルに縋るように視線を向けた。
しかしそこにあったのは期待していたような飄々とした顔ではなく、苦汁を飲まされたように歪んだ枢機卿の表情。
「あなたは
「そうだな」
「…………排除……したのですよね?」
ケイロスは答えず、嗤うだけ。
アンベルは腕を震わせ、項垂れた。
「なんて……なんてことを……!」
彼は理解したのだ。
ケイロスが
青年が記入した年齢は、十七歳。
この世界で人類の最大の危機とされる生物がいる。
それは――
過去、十二度この世界を絶望の淵に叩き落した理外の生命体。
「俺が、アイツを見つけたのはちょうど
「十二度目はもう数百年も前……だが、ちょうど十七年前に生まれたんだよ……その次が」
アリサは、男の言葉に膝を折る。
逃げようにも、扉は固く閉ざされ、退路はない。
聞くしか、無いのだ。続きを。
神話で語られるソレは、あまりにも理不尽で凶悪だ。
濃密な黒い
「アイツは……オロチは、十三回目の滅亡の可能性——十三番目の星喰いだよ」
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