魔の一端

 シャクロ運転手の馬車でヘリオス北門まで送ってもらった後、歩き続けることしばらく。ほどなくして見えてきた大森林は、一見ありきたりな風貌だ。

 しかしここは間違いなく危険等級スケールワン魔獣領域テリトリーである『隠然の社』である。

 まずオレたちは資料にあった死体の分布図を基に現場の視察に赴くことにした。

 オレが同行させてもらう側ということもあり、シルヴァの目的を優先する方向で話がまとまったのだ。

 まぁそうでなくても、わざわざ討伐対象を探す必要はないらしい。


一角獣ホーンであれば調査がてらに適当に歩いているだけで遭遇するだろう」


 と言うのはシルヴァの談だ。


 そうして足を踏み入れた隠然の社は、鳥の囀りと木の葉のさざめきがなんとも耳に心地いい。

 人の多い都市に疲れた者からすれば癒しにすらなるだろう。


「……キキュルッ!」


 えらく鋭利な角を持った小動物さえ居なければ。

 シルヴァの言った通り、ものの数分で遭遇と相成った。

 兎型の一角獣ホーンは持ち前の俊敏性を活かし、木から木へと飛び移りながらこちらの様子を窺っている。

 この持ち前の人間への敵愾心こそが魔獣ビースト最大の特徴だ。攻撃性と殺傷力に振り切った身体的特徴――一角獣ホーンであればその角——を容赦なく敵対する者に向ける闘争心の権化である。


「さて、お手並み拝見といこうかな?」


 白銀の髪を揺らしながら、シルヴァは腕組で見物の構えだ。

 もとより助力を求めるつもりもなかったが、なんだか落ち着かない。


「見ていて面白いものでもないと思うぞ」


 そう言っても彼女は「どうぞ」と言わんばかりに顎でくいっと一角獣ホーンを指す。一向に興味を逸らす様子はない。


 やり辛いが、仕方ないか。


 そうして視線を一角獣ホーンに戻した時。


 バキンッ! 

 その音が耳朶を打った。

 それは、超常的な脚力による踏切の音だ。

 木の幹が折れるほどの踏切を披露した一角獣ホーンは、目にも止まらない超高速の突貫でオレの目前に迫っていた。


 蒼白狼ライトウルフなど比ではない速さに、角の殺傷力。

 明らかに危険等級スケールワンのそれから逸脱している。 


 やはりこの森は――異常だ。

 





■     ■     ■     ■







「————ッ」


 間に合わない。


 私とオロチ殿の距離は数歩分しかない。

 しかし、一角獣ホーンと彼の距離はもうない。

 そして彼は、まだ抜刀すらできていない。かなりの業物であることが窺える大太刀も、鞘に収まったままでは何の効果ももたらさないだろう。


「オロチ殿ッ!」


 次の瞬間、私は彼の身体が貫かれる幻覚を見た。


 ——パンッ。


 砕ける肉体、蒼の粒子。

 鈍く輝く、大太刀の煌き。


 私が見たのは、神速に達した居合斬り。

 角を残して消滅した一角獣ホーンは断末魔の叫びを上げる暇すらなかった。


「すまない。油断した」


 頬に付いた一筋の傷を触りながら、オロチ殿はこともなげにこちらを振り返る。


「……ぶ、無事で……なにより……」


 反射的に剣に伸びていた右手を下ろす。

 私が剣に手を伸ばし柄に手を掛けている時間で、大太刀を抜き去り、角を躱し、小さな身体を的確に切り裂く。


 ……なにが新人冒険者だ。笑わせる。


 頬が引き攣るのを感じる。口角が上がり、息が震える。

 

 強い。

 予想や希望的観測ではない。

 見つかっていなかった未知の強者に他ならない。


「オ、オロチ殿……もしや名の知れた剣士であったりしないか?」


「オレの人生で二体目の戦果だ。それにしてはなかなか強敵だがな。明らかに危険等級スケールワンではないだろう。やはり調査は必須だな」


 冗談であった方がまだ納得できる。

 魔獣ビーストの異常に関しては彼の言うとおりだが、今私の興味はそこにない。


 彼が大太刀を抜いた瞬間、確実に目で追えていたはずだ。

 彼が柄に手を掛け、一人で抜くこともままならない馬鹿げたリーチを誇る太刀を引き抜いた。

 確かに彼の挙動は洗練され、無駄がなく、速度も埒外だ。


 とは言っても――などあり得ない!


 私が大太刀を注視していたからか、彼は私の視線を追って大太刀を見やると「ああ」と納得したように頷いた。


「この大太刀が気になるか?」


「いやっ……すまない。不躾だったな」


「そんなことはない。初見では無理もないだろう」


 オロチ殿はどこか誇らしそうに大太刀の刃を返すと、その刀身は――


 正確には消えたのではなく、縮んでいた。

 その後、見せつけるように大太刀は長さを取り戻した。


「期待させてすまない。オレの居合の速さを可能にするのはこの大太刀の性能あってのものだ。この大太刀はいわゆる魔遺物アーティファクトと呼ばれるものでな。刀身が伸縮自在なんだ。最大で鞘に収まる長さ、最小で切っ先のみ、と言う具合にな。だから、オレが居合の達人と言うわけではない。……育ての親がオレに授けてくれたものでな、この世に一つの愛刀と言うヤツだ」


 彼の言葉に、違和感の一つは消え去った。

 私が刀身を目視出来なかったのも彼の説明で理解できた。


 彼が申し訳なさそうな顔をしているのは、魔遺物アーティファクトでの成果を自分の力だと誤解させたと思っているからだろうか。


 ああ、わかった。わかったとも。

 ここまでは、辛うじて理解できた。


 彼は常識がないと自称していたが、この瞬間から、私の常識からも彼の存在は消え去った。


 魔遺物アーティファクト

 古代のオーパーツにしてロストテクノロジー。再現不可能な人類の宝。

 希少価値レアリティはどんなものでもファイブを超え、その値段は庶民の高級家宅一個分に相当する。


 魔力マナ操作を行えるものなら誰でも扱える。効果はピンからキリまで様々だが、最上級の物はそれを持つだけでただの人間を兵器並みにまで押し上げることもできる。


 彼が持つ伸縮自在の武器。

 これは、決して珍しいものではない。

 見つかる魔遺物アーティファクトの中でもその名を聞くことが多く、機能も単純明快。

 さらに言えばその単純さゆえ、現代魔術の応用と魔道具マナクラフトを制作する魔工技師たちの尽力により、限りなく性能の近い物の複製にも成功した例がある。


 そしてそれらが受ける評価は――――粗大ゴミである。

 これは魔遺物アーティファクト複製品レプリカ問わず、両方に共通した見解だ。

 魔遺物アーティファクトという付加価値以外に特筆することが無く、好事家の蒐集癖を満たすためのものでしかない。


 理由も単純。戦闘に用いることができないからだ。


 戦闘中に刀身に魔力マナを流し長さを調節し、必要な時に伸ばし、縮ませ、敵の攻撃に対応してそれらを瞬時に切り替える。

 仲間の位置も把握しながら誤爆も避ける。

 簡単だ。口で言うなら。


 ここまで理想を語れば、誰もが鼻で笑うだろう。


 そもそも第一段階でこの理論は一笑に付されるのだ。


 魔力マナを扱う際、人間であるなら必ずラグが発生する。

 身体の中の魔力マナを操作し、魔遺物アーティファクトに流し込み、流し込んだ魔力マナをさらに操作する。

 これは人類が扱う『魔術』の工程と寸分違わず同様。複雑な工程を踏んでようやく伸縮が可能になるのだ。

 どんなに優秀な魔術師であっても一秒はかかる。ヘリオス最強魔術師であってもそれは変わらない。

 自分が操作した数秒後に伸びたり、数分後に縮んだりする武器を誰が使うだろうか。

 

 しかも魔術を連発できる者は多くない。大抵一回の伸縮で根を上げるらしい。

 魔術師であっても数回が限度で、第十二星団グランドクランの団長たちも、数回の行使の末に自分で好きな武器を使った方が強いという結論に至ったらしい。


 つまり、万全の行使は机上の空論に成り下がった粗大ゴミ……と言うわけだ。



 そして、一人の魔工技師がこう言った。



『これを扱えんのは、身体中の魔力マナを操作して、流し込んで、さらに魔遺物アーティファクト魔力マナを操作する奴じゃねぇ。息をするように魔力マナを扱える奴だけだ。つまり――魔獣ビーストなら、使えるかもな?』




 それがとどめとなり、この魔遺物アーティファクトはあえなく大外れ認定を受けることとなった。


「さて、シルヴァ。気を引き締めて、調査開始と行こう」


「……あ、ああ……そうしようか」


 当たり前のように刃を縮ませ太刀を鞘に戻したオロチ殿。


 確かに彼は、常識を知らないようだった。





 

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