魔獣領域と白騎士

「ぁ……え?」


「……モフリス、聞いているか?」


「っ! は、はいっ!」


 オレが呼びかけると、茫然としていたモフリスは勢いよく身体を跳ねさせあわあわと身体を右往左往させる。

 

「冒険者は依頼を受けるものなのだろう? 手配を頼みたい」


「か、かかっ、かしこまりました!」


 モフリスはちらちらとオレの背後で尻もちをついている男を気にしたように視線を彷徨わせながら、それでもオレの要望に応え何枚かの羊皮紙を取り出した。

 男に視線を寄越すと、彼は我を忘れたように口を半開きにしながら、他の冒険者に肩を揺すられている。


「オ、オロチさん! 準備出来ましたっ、どうぞ!」


 言葉に従い、モフリスの対面に再び腰を落ち着けた。


等級ランクワンの冒険者に推奨されている依頼は現在四つです! 危険等級スケールワン魔獣ビースト一角獣ホーンの討伐依頼。同じく緑猪デミボア痺蜥蜴パラリザードの討伐依頼っ……それと回復薬の素材の採取依頼になりますっ」


 机上に並べられた四枚の羊皮紙には討伐対象の絵が描かれているものと、採取対象の植物が描かれたものがある。

 

「こ、こちらの四つは、ヘリオスにほど近い“魔獣領域テリトリー”である『隠然いんぜんやしろ』と呼ばれる森林地帯での依頼ですっ。……魔獣領域テリトリーについての説明は……?」


「いや、それについては大丈夫だ」


 魔獣領域テリトリー

 魔獣ビーストの棲息地の総称で、膨大な魔力マナ密度を誇ることで知られる領域だ。

 生物、鉱石、素材など様々なものが膨大な魔力マナの恩恵を受けており、これらを回収するのは人類の発展に必要不可欠。

 そのため、【冒険者】という職業が台頭したのだと言われている。

 とりわけ古代の人類の生息域が変容した場所が多く、過去の人類が遺した物、『魔遺物アーティファクト』が掘り出されることもあり、現代では再現不可能な道具である魔遺物アーティファクトの発掘も人類の課題であるらしい。


 と、いう具合の知識は持っている。

 

「隠然の社の危険等級スケールワン。つまり危険等級スケールワンより強力な魔獣ビーストは出現しませんっ。……オロチさんは魔獣ビーストとの交戦経験は……?」


危険等級スケールワン魔獣ビーストは討伐したことがある」


「で、でしたら問題ないかと……! え、えっと……」


 説明を終えたモフリスは、歯切れが悪く言葉を詰まらせる。

 言いたいことがあるが、言い辛い、そんな雰囲気だ。


「モフリス、聞けることは聞いておきたい。頼めるか?」


「……っ、ぼ、冒険者資格を持つ方であれば、基本依頼受注の制限はありませんっ。つまり、極端な話、等級ランクワンの冒険者が危険等級スケールナイン魔獣ビーストに挑むことも、魔獣領域テリトリーに探索に行くことも禁止されていません……ですがっ……」


 無謀、無策、自信過剰。

 それが美徳とされる例も多く見てきたであろう彼女は、それと同時にそれが原因で命を落とした例を多く見たのだろう。

 彼女の助言を無下にするものが多くいたのは想像に難くない。

 そしてついたあだ名が死神と……まったくもって悪辣な噂だ。


「ああ、身の程は弁える。心配するな」


「……っ! あ、ありがとう、ございますっ」


 わかりやすい安堵を見せるモフリスは、さらに書棚から紙の束を引っ張り出し、顔の距離を近づけ捲し立てる。


「……そ、それとっ……これはわたしが纏めた依頼失敗に関する統計データなのですがっ、最近、隠然の社での依頼失敗が多発しているのですっ」


「ほう、詳しく頼む」


「は、はい! えと、えと……隠然の社での依頼を受ける方の約八割が等級ランクワン、残りがツースリーのいわゆる下級冒険者なのですが、ここ最近の依頼失敗件数が僅か三ヶ月で去年の年間失敗件数を越しているのですっ。そしてその中には……等級ランクスリーの冒険者も含まれていますっ。しかもそれは、……ただの失敗ではないのですっ」


「……なるほど」


「当然、冒険者ギルドはその事実を周知し徹底した準備を呼びかけているのですが……未だ原因はわかっていません。ですので、たかが危険等級スケールワンと侮ることは決してしないでください!」


 切実な懇願にも似た語気で言うモフリスにしっかりと頷いて見せれば、彼女は心底安心したように笑顔を浮かべた。

 

 しかし、危険等級スケールが最底辺の魔獣領域テリトリーで起きる不審な出来事……まるで英雄譚での一幕のようだな。

 だがこれは現実だ。何事も見誤れば簡単に命を落とす可能性は充分ある。

 そう思う反面、知的好奇心を刺激されるのも事実だ。とても興味を引かれる事案ではある。


 好奇心に浮つく己を自戒しながら、机上に並べられた羊皮紙から一枚を選んで取る。

 それは何種類かの小動物に鋭利な角が付いた絵が描かれているものだ。


「では一角獣ホーンの討伐依頼を受けよう」


「りょ、了解しましたっ。一角獣ホーンには兎型、仔馬型など種類がありますが指定はありません。魔獣ビースト討伐後、角は魔粒子に還らず残るので、それを討伐証としてお持ち帰りくださいっ。依頼数は三つなので三体討伐でも問題ありませんが、希望数は五つですので五つまでなら評価に加算されます。早急の昇級ランクアップを目指すのであれば五つが望ましいですっ!」


「ふむ。討伐証五つで依頼完遂の最高評価となるということか」


「なりますっ! それでは依頼委託を完了します! どうぞ気を付けて……気を付けていってらっしゃいませ!」


 モフリスの万感の思いが込もった言葉を受け取った――その時。


「——失礼する」


 凛然と通る声が、ギルド内に落とされた。


 その人物を認めた瞬間、冒険者ギルドは先ほどの比ではないほど騒然となる。

 銀に輝く軽装鎧、腰に携えられた二振りの長剣、靡く白銀の長髪。


「お、おい……あれ!」


「あいつが冒険者ギルドになんの用だ……?」


「いつ見てもいい女だなぁ……」


「まだ十六のガキじゃねぇか」


「それがいいんだろぉがっ!」


 反応は様々だが、概ね好意的なそれを向けられた彼女は一瞬顔を歪めたように見えた。

 その目が見据えるのは酒場の方だ。酒気を帯びた独特の空気に対する反応だろうか。


「モフリス、彼女は?」


「かっ、か彼女はっ、今都市でも大注目株の女性ですっ! 【騎士ギルド】の才媛、『白銀騎士』シルヴァさんですよ! 大陸最速の等級ランクフォーへの昇格や将来性抜群にも関わらず、数多のクランからの勧誘を袖にしている無所属フリーということも注目を集める一因ですっ!」


無所属フリーの探究者は珍しいのか?」


「えっ、えぇ? そこですか? ま、まぁそうですねっ! クランに加入するメリットはたくさんありますし……し、しかもっ、彼女を勧誘したクランの中にはあの『大十二星団グランドクラン』の名もあります! それぐらい、今有名な方です!」


「ほう」


 なるほど、クランに入るのはメリットがあるのか……しかし、オレは対人経験があまりにも少なすぎる。

 集団での行動などの経験は皆無だ。なかなかハードルが高そうだな。


 うんうんと頭を悩ませていると、シルヴァと呼ばれた白銀の騎士は、オレしか並んでいないモフリスの窓口にその足を向けた。


「失礼、騎士ギルドのシルヴァ・レバティだ。少々時間を貰えるだろうか?」


「へっ、えっ!? わたくしっ、ですか?」


 声を掛けられたモフリスはわかりやすく緊張して身を縮こませる。

 軽く頷いたシルヴァは十字と盾が刻印されたペンダントを一瞬見せ、続いて机上に広がっていた隠然の社での失敗率のデータに目を落とした。


「私は現在、隠然の社での不審死の調査をギルドに命じられ、その聞き込みに訪ねた次第だ。ちょうど関連資料を広げていたので、協力を仰ぎたく」


「っ、あ、は、はい! ど、どうぞ!」



 机上から資料を取り上げると、彼女は真剣に文字列を空色の目で追う。

 時折何かに気付いたように目端を上げては、没頭するようにページを捲り続けた。

 どうやら隠然の社での出来事の調査できたらしい女騎士は、一通り資料を確認すると、丁寧に資料を机上に戻した。


「協力感謝する。とても綺麗に纏められていて、大変わかりやすかった」


「ひ、ひえっ! 滅相もないですっ!」


 モフリスの様子に苦笑いを浮かべたシルヴァは一礼し、踵を返した。

 そしてオレは、去る背中に声を掛ける。


「すまない」


「ん?」


 振り返ったシルヴァは不思議そうに首を傾げた。


「私か?」


「ああ。これから隠然の社への調査に赴くのか?」


「……そのつもりだが……」


 懐疑的な声音でオレを訝しむ彼女に、オレは今しがた受けた依頼の羊皮紙を提示する。


「では、同行しても良いだろうか? 少々、気になる」


「オッ、オロチさんッ!?」


「…………」


 モフリスの驚愕の声を背後に受けながら、シルヴァの目から視線を逸らすことはしない。

 ギルド内からの痛ましいものを見るような視線を自覚しながら、それでも好奇心に突き動かされるまま言葉を発した。

 

「……クランの勧誘でもするつもりだろうか? すまないが」


「オレは今日冒険者になったばかりだ。クランにも入っていない」


 シルヴァがオレからモフリスに視線を切り替えると、オレの言葉を裏付けるようにモフリスはクリーム色の髪を振り乱しながら首肯した。

 顎に手をやり、大太刀、脚、掌、そして顔を矯めつ眇めつ見やったシルヴァは――


「————ッ!」


 オレの喉めがけた貫手を放った。それは、寸前で止められるはずだった一撃なのだろう。

 反射的にその貫手を掴んだオレの手の甲にある赤い剣の紋章に目を細めたシルヴァ。


「……魔獣ビーストとの交戦経験は?」


危険等級スケールワン蒼白狼ライトウルフを討伐したことがある」


「……な、なるほど? では、対人戦の経験は?」


「十二年間、それだけを教わった」


「——そうか。では、協力願おうか、新人冒険者殿」


 シルヴァは冷然とした表情のまま、面白そうに口角を上げた。


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