冒険者オロチ
カツカツカツ。
床を叩く硬質な音が回廊に反響する。
「
遠距離連絡に重きを置いた魔術の行使を終えると、彼女の耳元に男性の声が届く。
『……こちらの魔術は現在使われておりません。必要出力、接続先をお確かめのうえ』
「
制服に身を包んだ影——アリサは、魔術で繋がった男の言葉を一蹴する。
冗談を許さない固い雰囲気に、魔術先の男は『ごめんごめん……』と弱気に返した。
『で、どうしたのさ。君がこの魔術を使うなんて……なにか、あったのかな?』
半ば確信したような声音に、アリサは食えない男だと不満を口に含む。
不測の事態専用の回線に連絡が入ったのだから何かあったことは十分伝わっているのだろうが、それにしても余裕綽々な上司の態度に舌打ちでもしてしまいそうだった。
「……和服、黒髪、極東出身を名乗る男が現れました。ご指示通り、一通りの案内を終え、北区画へ送り出しましたよ」
『——おおっ! そっかそっか! ありがとうね!』
「……
『んー、いやいや僕も知らなくてさ。ただ僕も頼まれた側だから』
「は、ぁあ!?」
あっけらかんと言ってのける上司に、アリサは冷静の仮面を脱ぎ捨てて叫ぶ。
今までの不満を吐き出すようなアリサの声を聞いて男は申し訳なさそうに笑うだけだ。
『ごめんよアリサ。一カ月もお疲れ様』
「……はぁ……本当にそろそろ辞表だしますよ? 枢機卿補佐を諜報員まがいの使い方するのはあなたくらいです」
『と、当然、特別褒賞もあるから……ね? ね?』
「当たり前です。無かったらやってられません」
吐き捨てるとそのまま通話を切る。
そして一転、普通の職員の顔に戻り、笑みを張り付けながら南区画への道を再び歩き始めた。
■ ■ ■ ■
「はーい到着ニャ!」
速度を落とした馬車は、遠くから見えていた黒い屋根の建物の前に止まった。
足下に立つとよりその大きさに唖然となる。
「ありがとう。料金は?」
「銅貨七枚ニャよ~」
ふむ、銅貨か。
オレの懐には金貨三枚と都市に入るときに使って四枚に減った銀貨だけだ。
「銀貨で払えるか?」
「ニャ~、お釣りは銅貨三枚ニャ~」
「いや、釣りはいろいろ教えてくれた分として受け取ってくれ」
「ニャ~! いいのニャ~?」
「もちろんだ……にゃ」
「真似すんニャっ! あっ、それニャら……ほい!」
ネコの運転手が制服の中に手を突っ込むと、取り出されたのは一枚のカード。
それを差し出しながら、ネコはそのカードに肉球を押し当てた。
「ニャ~はシャクロって言うニャ。北区画を走ってることが多いから、他の区画に行きたいとか、移動の必要があれば呼ぶと言いニャ! このカードを指で弾くとニャ~の制服に通知がくるから、暇だったら連れてってやるニャ。もちろん割引もあるニャ!」
「ほう、そんなものを……いいのか?」
「ニャ! お客さん撫でるのめっちゃ上手だったからニャ~……うへへ。でも、ニャ~の他のメス
「……メスだったのか。すまなかった。気を付けよう」
「それがいいニャよ」
すると、シャクロの制服がリンリンと鈴の音を鳴らした。
「ニャ、お得意様からの依頼ニャ! それじゃ、ニャ~は行くニャよ~!」
「助かった。また頼りにさせてもらう、シャクロ運転手」
「ニャ~。御贔屓に~~」
走り去る馬車を見送ると、ギルドに振り返る。
大きな門戸は開かれており、オレ以外にも多くの人間が出入りしている。
すれ違う人の邪魔にならないよう後ろ腰の大太刀を背中に差し直すと、オレは冒険者ギルドに足を踏み入れた。
入る前から聞こえていた喧騒がより大きく耳に突き刺さり、活気を肌で感じる。
一階部分は酒場も併設されているようで、酒気を帯びた空気が独特の雰囲気を作り出しているように思う。
冒険者とは切っても切り離せないこの施設は、英雄譚でも度々登場するオレにとっては憧れの場所に他ならない
懐から
いくつかある窓口はそれぞれかなりの列を作っているが、一つだけ空いている列がある。オレは空いている列に目を付け、そこに足を向けた。
「すまない、冒険者登録と、身分証の発行を頼みたい」
「あっ、は、はは、はいっ!」
クリーム色の長髪と羊の耳と角を生やした女性は、ガチガチに固まりながら錆びた音が鳴りそうな挙動で声を発した。
「ぼうっ、冒険者ギルドへようこしょ!」
盛大に噛んだ彼女は徐々に赤面し、俯いてぷるぷると震えている。
緊張しているのだろうか……ふむ。
「……す、すすみませっ、ど、どうぞおかけくださ――――あぅっ」
「オロチデコピンだ」
「……はぇ?」
「……む?」
受付の彼女はオレが弾いた額を抑えながら茫然とこちらを見ている。
……ふむ、ステラがオレにやっていたこれは友好の証だと思ったのだが……もしや下手を打ったか……?
その証拠に、女性はどんどんと目に涙を溜めていく。
「……あ、あの……っ」
「すまない。極度の緊張をしていたようなので友好を証を、と思ったのだが……気を悪くしてしまったか?」
「ゆ、友好の……?」
「ああ。だが間違えていたようだな。どちらにせよ、まだ冒険者でもないオレに緊張する必要などない。……よろしく頼めるだろうか?」
そう言うと、はっ、と肩を跳ねさせた彼女はほんの少しだけ緊張を和らげた様子でぎこちない笑顔を努めて浮かべた。
「ぼ……冒険者ギルドへようこそ! どうぞおかけくださいっ!」
「ああ、失礼する」
オレが対面に座ったのを見届けると、ほっと柔らかい笑みを浮かべた彼女はオレから仮の身分証を受け取ると一枚の白紙のカードと共に機械のようなものに投入した。
「しょ、少々お待ちくだしゃいっ……!」
「ああ、ありがとう」
「え、えへへ……あっ、わたくしっ、モフリスと申しますっ!」
「オロチだ。よろしく頼む、モフリス」
「……オロチさん、ですねっ。お、おやさしいっ」
「そうだろうか」
頻りに頷く彼女は、思い出したようにマニュアルのようなものを引っ張り出し「えーっと……!」とページをめくる。
そして突然顔を跳ね上げた。
「み、身分証の発行ということは、オ、オロチさんはヘリオスは初めてなのですよねっ!」
「そうだな」
「でしたらっ、この都市で使われる十段階評価についてご存じでしょうか!?」
「……
十段階評価と言えば、
モフリスは、まさに! とばかりに首肯する。
「探究者やクランに付けられる
マニュアルに書いてあることだからか、どもることなくすらすらと解説するモフリス。
「で、ですが
「ああ、心得た」
「……よ、よかった……説明できたぁ……」
「助かった、モフリス」
「い、いえ! 呆れずに聞いていただいて……ありがとうございます……!」
そして一頻りの説明が終わると、ガチャッ、カウンター内から音が鳴った。
モフリスは慌てて動き出すと、その手にカードを取り、オレに差し出す。
「おっ、お待たせしました! こちらがオロチさんの身分証兼冒険者カードとなりますっ!」
受け取ると鉄製の手触りと仄かな重みを感じる。
オレの名前と冒険者の
「そ、それでは——冒険者オロチさん! これからのご活躍を期待しておりましゅっ!」
モフリスの言葉に、微かに鼓動が早くなる。
感謝の言葉を口にしようとしたその時。
「あれ~? モフリスちゃんの前に人いんじゃん! めずらしッ」
軽薄そうな声が聞こえた。
「あぁ新人君? 死神羊についに春……って感じぃ?」
振り返ると、軽装を身に纏った男がニヤニヤとこちらを見ている。
男はオレの怪訝そうな顔に気付くと、距離を詰め、オレに肩を組んだ。
「なぁ、悪いことは言わねぇ。この羊はやめとけ。担当した新人冒険者が全員死んでる。全員だぜ? 偶然にしてはおかしいよなぁ。こいつはな、死神女なんだよ……俺の仲間も同期も、こいつのせいで何人も死んじまってる」
男は確かな負の感情を乗せて言葉を吐き出す。
モフリスを振り返れば血の気を引かせた青い顔で弱弱しく口をパクパクと動かしている。
声を出したくても出せない、と言った顔だ。
「なぁ、マジなんだって。なのにこいつはまだのうのうと受付嬢なんて続けてやがって……胸糞悪ぃよなぁ!」
「ぁ……のっ……!」
「なんだぁ? 次の獲物はこの田舎もんか? さっさとやめちまえやッ!」
自分の仲間がモフリスのせいで死んだ。
彼の論調はこうだ。彼の首にぶら下がっている冒険者カードが鈍く光る度、オレの心は微かな失望を訴える。
「お前のなりを見ればわかる。冒険素人だろ? こけおどしだか何だか知らねえけど、そんな抜くのも一苦労な大太刀見せびらかして歩いてんだからな。だから、こいつはやめとけ、な?」
彼の目的は、自分の仲間を殺した彼女への復讐か嫌がらせか。
遠巻きにこちらを見つめる数々の視線を鑑みるに、彼女のことはかなり広まっているらしい。
なるほど。オレに対応した彼女の様子はこの扱いに起因するものなのだろう。
だからこそ――オレはこの男に失望する。
■ ■ ■ ■
「離してもらおう」
「あ?」
大声でモフリスの噂を喧伝する男の声に静まり返っていたギルド内に、オロチの声はやけに明瞭に響いた。
「離せと言った」
「おいおいおま――え?」
トンッ。
男は、自分がいつの間にかたたらを踏んでいることに気が付いた。
ドンッ。
次の瞬間には、男は無様に尻もちをついた。
「その首に掛かっている冒険者カードは、飾り以外の何物でもないな」
「……は?」
オロチに見下ろされる構図で呆けた声を出す男に、オロチは冷ややかな視線を寄越す。
「オレが言うのもなんだが……お前は本の読み過ぎだ。担当した受付いかんで、本当に人の生き死にが決まるとでも思っているのか?」
「なにを……」
「お前の仲間は運が無かっただけだ。それか、無謀だったのだろう。自分の力を過信し、格上相手に挑んだのかもしれない。そして彼女は、それを強く止められない人間であることは話していて分かった。たしかに、頼りなくはあるのだろう」
モフリスが懸命に
たしかに冒険者のアドバイザーの側面もある受付嬢としては、彼女は能力不足の面もあるだろう。
他人に強く出られない彼女の性格が災いし、新人冒険者たちの強行軍が後を絶たないのは想像に難くない。
だが、それはオロチが知っている冒険者の姿ではない。
彼が胸を焦がして追い求める者たちは――そんな卑怯者ではない。
「——冒険者ならば、危険を冒すことを生業とするなら、死の理由を他人に求めるな。お前の仲間は、自分の行動で、自分を殺した。……ただそれだけの話だろう」
冒険者を名乗るなら、自分の命は自分で殺せ。
これは、彼の育ての親の受け売りだ。
そして、これに反する者は――
「お前のような半端モノが名乗るには――【冒険者】は重いのではないか?」
まるで死を身近に知っているかのようなオロチの言葉に、男は言い返すことが出来ない。
そして――それだけではない。
このギルド内の視線は、もうとっくに男には向いていない。
誰も見えなかった。
誰も気づかなかった。
目の前の男でさえ、ソレがいつ抜かれたのかわからない。
オロチの手に握られているのは、抜き身の大太刀。
一人で扱うにはあまりに大きすぎるそれを、誰にも気づかれることなく、見られることのない速度で抜き放っていた。
「くだらない噂で命の所在を他人に擦り付けるのはやめろ。それでも言い続けるのなら——オレが証明しよう。彼女が決して死神ではないと、この冒険者オロチが証明して見せよう」
そしてまた一瞬。
すでに納刀された大太刀を背負いながら、オロチはモフリスに向き直った。
「初日からすまない。依頼を、受けたい」
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