帝都ヘリオス

 ガタンッ!

 大きく馬車が揺れる音と振動で叩き起こされた。

 安い馬車だけあって硬い荷台で固まった身体の痛みに顔をしかめると、同じく荷台に乗っている数人の集団に鼻で笑われる。

 田舎者とでも思われたのだろうか。まあ、間違いなく田舎者であるから反論はない。


 オレは視線をよそに伸びを一つ。幌の隙間から荷台に入り込んでくるひんやりとした外気に目が覚めていく。

 それを見計らったかのように、隣に座っていた老人が柔らかい表情で笑いかけてきた。


「馬車は初めてかい?」


「……ああ」


「そうかい、そうかい。恰好を見るに、かなり遠くからの旅路かな?」


 老人がオレの身体に目を落とす。正確には身体ではなくオレが着ている服に、だ。

 俺が纏っているのは紺色の襦袢に灰の袴——“和服”と呼ばれる服装だ。広大な大陸において東洋、それも限られた極一部でしか用いられないかなり珍しい服装らしい。

 らしい、というのは、オレもこの服装についてはよくは知らない。この知識はすべて受け売りなのだ。

 ただ提示された中で最も着心地が良かったものを選んだだけ。

 しかし老人はオレの答えを待たずに、一人で納得したように何度も頷く。


「髪色もそうだし……まだ若いのにねぇ」


「……そうだな」


 結局面倒くさくなって適当に首肯した。

 オレの髪色が黒なのも相まって東洋人だと断定されたらしい。不都合はないので否定もしない。

 生まれてから十七年だ。若いという感想も間違いはないしな。


 だがこうしてみると、会話の難しさが身に染みる。

 生まれてこの方、誇張無しで人間と会話したことはほとんどない。あるのは親代わりの爺さんくらいのものだ。

 その爺さんからは会話のやり方など教わっていないため、一言吐き出すだけでも一苦労。

 だというのに、老人は楽しそうに話を続ける。


「終点の『ヘリオス』はもうすぐだけど……遥々東洋からどうして帝都に?」


 先ほどまでの質問より明らかに興味ありげにオレを覗きこんでくる。


 どうして……か。



『オロチ、お前は人を学べ。人として、生きてみろ』



 脳内で反芻される言葉に、オレは傍らに立て掛けていた鞘に入った太刀を手の甲で叩く。


「——を、探しに来た」


「……ぶふッ! くひひっ」


「おいやめとけって……っ」


「お前だって笑ってんじゃねえかよ!」


「だ、だってよぉ……いまどき自分探しって……くくっ」


「そう言う年頃なんだろ。ほっといてやれって」


 オレの言葉に反応したのは老人ではなく、先程オレを鼻で笑った集団だった。

 何が琴線に触れたのか、嘲笑ともとれる表情で顔を突き合わせている。

 男たちの行動に訳も分からず首を傾げるオレを老人は目を細めて見つめた。


「何者……。なるほどの」


 やがて柔らかく相好を崩すと、納得したように首を縦に振る。


「ならば、ヘリオスはうってつけの場所だ。あそこにはなんでもあるからな。本当に、なんでも」


 老人は嚙みしめ、思い返すように鷹揚に語る。


「夢も希望も、困難も絶望も。人も、物も、無いものを探す方が大変だ。——きっと、君の答えもそこにあろうて」


「……そうだろうか?」


「そうだろうとも。ああでも、も多いから気を付けるんだよ」


 老人は、笑い声を噛み殺している男たちを指しながら声を潜めて微笑む。

 その言葉で、オレは自分が馬鹿にされていたことに気付いた。あの男たちは恐らくオレの言葉を笑っていたのだと。


「……老人。あなたのような人間も多いのか?」


「うん? まあ、わしみたい老いぼれも五万といるだろうねえ」


「ならば、上手くやっていけそうだ」


「ほほ。それは重畳」


 ガタンッ……! ガラガラ……。

 馬車がもう一度大きく揺れると、その速度を落とし始める。

 気づけば人々の喧騒が馬車の中まで聞こえ始め、幌の隙間から入ってくる外気も熱を帯び始めてくる。

 幌を捲り外を覗けば、遠くからでも巨大だった外壁がより大きく、高く聳えていた。


 帝都ヘリオス。

 大帝国ソルの首都にして、世界最大の都。

 別名、『探究者の聖地』。


「到着だ」


 馬車が停車すると、御者が荷台を開く。

 オレを笑っていた男たちが我先にと馬車を降り、門の前にいくつも出来た長蛇の列に加わるために走り出した。


「では、ここでお別れだ。わしはもう少し中まで送ってもらえるよう金を払っているからの」


「そうか。では、忠言痛み入る」


 立ち上がり、立て掛けていた大太刀を後ろ腰に帯刀するオレを見ながら、老人は仕方なさそうに首を振った。


「かったいねぇ。ありがとうでいいよ」


「……ありがとう」


「うん。素直でいい子だ。名前を聞いてもいいかな?」


 老人からの問いに何とも言えない感覚に襲われる。

 ただ名前を聞かれただけだというのに、ここで名乗ることで『オレ』という存在の一端が赤の他人に広がっていくのは妙は気分だ。

 だが決して、悪い気分はしなかった。


「……オロチだ」


「オロチ……珍しいけど、良い名前だね」


「ありがとう」


 馬車を降り、門前に出来た列に並ぶ。

 普通の人間からすれば長い間立ち尽くす時間は苦痛かもしれないが、オレにとってはすべてが新鮮だった。

 武装で身を固めた集団や、豪奢な馬車を連れた商人。背丈の低い者に、異常なまでに高い者。獣の特徴を所々に見せる獣人じゅうじんに、身体の一部が機械で出来ている機人ヒューマノイドなど。それ以外にもたくさんの人々が織りなす光景。

 爺さんに読ませられた歴史書に乗っていた既知にして初見の種族にオレは時間を忘れていた。


 そうしていろいろなものに目を奪われること少し。


「次」


 門番をしている衛兵に呼ばれた。


「人数は?」


「一人だ」


「この都市に入ったことは?」


「初めてだ」


「身分を示すものなどは何かあるか?」


「ない」


「……な、なるほど」


 義務的に淡々と質問を行っていた衛兵が、少し戸惑ったように視線をオレに向ける。

 そこで、爺さんから持たされた封筒と数枚の硬貨の存在を思い出した。

 硬貨の内訳は金貨が三枚と銀貨が五枚。爺さんが言うには大陸内で価値の高い【ソル硬貨】と呼ばれるもので、帝都での流通は主にソル硬貨で成っているらしい。

 確か、衛兵にこれらを出せと言っていたな。

 無言で封筒を差し出すと、衛兵は安堵したようにため息を吐いた。


「ああなんだ、許可証があるのか。これを早く出してくれ。じゃあ、銀貨一枚を」


「すまない」


 言葉を共に銀貨を渡すと、衛兵の態度は先程より柔らかくなった。


「まあ、その恰好を見れば訳アリだとはわかるがな。帝都に来た目的は?」


 こちらを慮る衛兵の問いに、少し考える。

 人を学ぶため。人を知るため。

 無知なオレでもわかる。そんな答えを言う馬鹿はいない。怪しすぎる。


 ならば、言うのであればもう一つの目的の方だろう。


 帝都ヘリオスは探究者の聖地。

 探究者とは、【冒険者】【魔術師】【鍛冶師】【商人】【騎士】【薬師】【魔工師】…………挙げていけばキリがない、“何かを追い求める者たち”の総称だ。


 説明すると長すぎて自分が寿命を迎える、なんて言って爺さんは詳しくは教えてくれなかったが、この話をするときに爺さんはやけに上機嫌だったのを憶えている。

 そしてその中でも、


『もしヘリオスに着いてもやりたいことが見えてなかったら、そん時は【コレ】を選べ。お前にはうってつけだ。きっと——ドハマりすると思うぜ』


 彼が人生を捧げたモノ。


 そしてオレがこれから、生を捧げるモノ。


「冒険者に、なるためだ」


「——ようこそ、探究者の聖地ヘリオスへ。君の成功を祈っているよ」


 そんな言葉に背中を押され、オレはヘリオスに足を踏み入れた。







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