十三番目の星喰い

Sty

プロローグ

 在りし日の記憶。

 この世界で少年が初めて目にしたのは、白髪の男の不安げな表情だった。

 いかつい顔を歪めていた男は、少年が目覚めると同時に長いため息を吐いた。


『起きちまったか……もう引き返せねえな』


 少年に話しかけるのではなく、後悔から自身を戒めるかのような言葉。


『……お前、誰だ?』


『……っ。——ハハハハハハッ!』


 朧げに声を発した少年に、白髪の男は目を見開いた。まるでありえないものを目撃したかのようだ。

 しかし次の瞬間には、すべてを諦めたように笑いだす。

 男の顔に浮かんでいるのは驚愕と畏怖。そして微かな期待が見える。


 ただ、目の前に佇んでいる少年が言葉を発しただけで、男の覚悟は決まった。

 男の様子に不思議そうに首を傾げている少年に、男は頭髪と同色のひげが生えた顎をさすりながら問う。


『おい坊主。名前は?』


『……オロチ』


『あんのかよ。聞いといてなんだが、あると思ってなかったな……。誰が付けた名だ?』


『……わからない。ただ……オレはオロチだ』


『……なるほどな』


 そう呟いた男は、実のところ何もわかってなどいない。ただ、自分には理解できないことを理解したのだ。


『オロチ。これからどうすんだ?』


『……? これから……。……?』


 機械のように平坦に答えていた少年の声が初めて当惑に揺れる。

 目の前の男の真似をするように顎をさすると、一言。


『オレは————————————』


 少年の言葉を聞いた男は、手を叩いて笑った。

 腹を抱えて笑う男を訝し気に見つめる少年の目は、男の様子をくまなく観察するように男の動きを追っている。

 男は笑いつかれたようにため息を吐きながら踵を返し歩き出した。


『んじゃその前に、俺に付いてこい。世界について教えてやるよ』


 男が背負った大剣に目を奪われた少年は、少し遅れてその背を追う。

 それは雛が親鳥を追うように、目的を持ったものではなく本能からの行動だった。


 これは、今から十七年前。

 少年が生まれた日の、運命の邂逅の一幕。





 ■               ■




 陽の光が頂点に達した昼頃。

 木漏れ日が溢れる森の獣道を歩く青年は、自分の後ろ腰に携えた大太刀の柄を軽く撫でた。

 カチャッ。

 青年の挙動に合わせて大太刀の鞘が音を立てる。


『——グギャアアアアアァアァァァアッ!』


 瞬間、木陰から影が飛び出した。

 まるで音に反応したかのようなタイミングで姿を現したその影は、高速で青年へと距離を詰める。

 一瞬にして青年との距離をゼロにした影は、四つ足で地を蹴った。

 その姿は四足獣。しかし、ただの獣というにはあまりにも鋭利な爪と牙。そして、普通の獣ではありえない口内から漏れるあおの光。


 『魔獣ビースト』。

 世界中に跋扈し、闊歩する人類の天敵だ。

 体内と大気中に存在する魔力マナを併用する人類とは違い、自身の心臓部が魔力マナを生み出し、直接それを扱うことのできる魔のモノ。


 四足の肉食獣の形をした魔獣ビーストは体内の魔力マナを四足に回して大幅に加速し、その勢いのまま大口を開けて青年を喰らおうとしている。


「————」


 そしてそのまま、青年とすれ違った。


『————ギャッ……オオ゛オォォォォ……」


 魔獣ビーストは青年に飛びついた姿勢のまま地面に落下した。

 その身体には、口の端から尾の先まで真っ赤な線が一直線に横断し、次の瞬間、バクッと傷が開く。


『……ッ』


 パンッという破裂音と共に、魔獣ビーストは蒼の粒子に変わって霧散した。

 すれ違った青年の手にはいつの間にか抜き身になっている大太刀が握られていて、血を滴らせていた。

 青年は鞘から抜くだけでも一苦労しそうな長さの刀身を軽々と振るって、片刃の峰を肩に乗せた。


「……よし」

 

 魔獣ビーストとの接敵から討伐まで、一度も表情を変えずに作業のように易々とそれをこなした青年は初めて満足そうに口を開いた。

 感情を窺わせない起伏の無い表情にも、今ばかりはわかりやすい喜色が浮かんでいる。


 今しがた討伐した魔獣ビーストは、危険等級スケールワン蒼白狼ライトウルフ

 魔獣ビーストに定められるワンテンまでの十段階のスケールで見れば最弱の部類だ。

 青年が簡単に討伐できるのも頷けるほど弱く、ただの獣と大差のない脅威とも呼べないありふれた個体だ。現に、青年は無傷で、一瞬で、一太刀でその脅威を掻き消した。


 だというのに、


「……長かったな」


 青年がこの魔獣ビーストを討伐するのにかかった時間は——

 この世界に生まれ落ち、親代わりの人物に拾われ、様々なことを教わった。

 とりわけ武術についてのことを重点的に叩き込まれた青年にとって、この程度の相手など取るに足らない存在だ。


 なのに、今日に至るまで討伐できたことはなかった。

 それは、青年の——オロチの性質によるもの。


 しかし、彼は解き放たれた。

 世界に課された呪縛であるはずの性質を取り払い……魔獣ビーストを屠ることに成功したのだ。


「…………」


 オロチは心なしか軽い足取りで来た道を引き返す。

 彼の目指す先にはぽつりと建った小屋が一つ。小屋の中は生活感が無く、質素な寝床とうずだかく積まれた分厚い書物がいくつかあるだけ。

 オロチは床に散らばった硬貨と小さな封筒を拾って懐に入れる。荷物はこれだけだ。


『もし、魔獣ビーストを討伐できるようになったら……まぁいつになるかわかんねえけど。もしもそうなったら——を目指せ』


 親代わりの人物がそう言って姿を消したのはもう五年前。

 オロチは彼についてほとんど知らない。正体も、目的も、何もかもだ。

 だがオロチにとってそんなものは些事でしかない。

 彼から与えられたすべてが、今のオロチを形作っているのだ。今更彼を疑う理由はない。


「帝都か……——行こう」


 大陸一の大帝国ソルの都——帝都ヘリオス。

 様々な歴史書やお伽噺で聞かないことはない栄華の象徴。


 幼い子供が夢に目を輝かせるように。憧憬に胸を焼かれるように。

 オロチの心臓は強く、早く鼓動する。

 

「楽しみだな」


 オロチは口角を釣り上げると歩みを始めた。



 

 オロチは怪物である。脅威である。破壊者であり、終わりをもたらすものである。

 比喩でもなく、世界から見れば矮小すぎるその身体に、その可能性を秘めている。


 だが十七年前、彼を見つけた人物によって彼の形は歪められた。


 オロチの爪先は世界の終焉から人の繁栄へ向いた。

 オロチの関心は魔獣ビーストから人へ傾いた。

 オロチの性質は人類への失望から希望へと変容した。


 オロチが今、自らの手で魔獣ビーストを屠った瞬間に。

 


 世界にとっての劇的な転換は、密かな森の中で起こった。


 誰にも観測されることのなかった怪物は、人の道にその足を乗せた。



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