最終話 私は魔導匠エルミーヌ

 とまあ、そんなことがありまして、話はお屋敷前でイオニス様に叱られている私へ戻ります。



□□□□□□



 こうなっては致し方ありません。私はイオニス様へすべてを話す覚悟を決めました。


「イ、イオニス様。もし、私の言い分をお聞きいただけるのであれば」


 震える声しか出ない自分が情けない気持ちでいっぱいです。濃紫色の瞳は変わらず冷徹に、私を見下ろしていました。


「前置きはいい、話せ」

「はい……実は」


 秘密を思い切って、言葉にしてみると——なんだか単純な、そしてとんでもないことでした。


魔導匠マギストーンとして、働いていたのでございます」


 私の告白に、イオニス様は表情こそ変えていないものの、明らかに当惑の雰囲気をまとっておられました。赤い尻尾の先がくるんと巻いています。


 イオニス様がおっしゃりたいことは分かります、はい。こうおっしゃりたいのでしょう。


「竜爵の妻があろうことか……職人として秘密裏に働いていたと?」


 イオニス様も言葉にして初めて、その意味をじんわりと理解してしまわれた様子です。


 竜爵、他国では王族や公爵にも相当する身分であり、一国を統べる君主として君臨する方の妻が、まるで市井で汗水垂らして働く手工業の職人のように金を稼いでいたとなると、竜爵の権威丸潰れです。


 竜爵夫人という働かずとも屋敷にいて、竜爵の家族としての務めを果たせばいい安穏とした身分である私が、なぜそんなことをしたのか。高貴で尊敬を集める者としての矜持にかけて、端金のために民草と肩を並べて働くなど言語道断である。ええ、そうおっしゃりたい気持ちは分かります。


 それでも、私は正直に弁解するしかないのです。


「私は……あなたに嫁いできてからご迷惑をおかけしてしまった分をどうにか取り返そうと、唯一得意な魔……ゴニョゴニョ、を使って角の薬代や、屋敷の弁償のお金を貯めていたのです。その……身分をわきまえぬ行いであると承知の上で、私にはそれしかできることがないと覚悟して、そうしたのです」


 イオニス様は呆気に取られたとばかりに、あるいは嘆きが言葉を遮っているかのように、黙っておられます。


 チラリと視線を向けると、遠くで使用人たちがこちらの様子を見守っていました。ああ、馬鹿な人間の娘を笑いたいのでしょう、などと拗ねた気持ちが湧いてくる自分を張り倒したい。自分が悪いのに、どうして他人の嘲笑を甘んじて受け入れられないのでしょうか。


 もうこうなっては、どうしようもありません。誠心誠意、謝るほかないのです。


 私は、深々と頭を下げました。


「申し訳ございませんでした。こんなご迷惑をかける愚鈍な私は、離縁されても致し方ないと思っています」


 そう、本当にそう。そうとしか思えない。私は本当に、馬鹿です。


 こんなにも素敵な殿方を旦那様として迎えられるだけでも幸せだったはずなのに、それを全部壊してしまったのは私です。あのときああすれば、なんて思うだけ無駄です。あまりにもこれまでのしでかしが多すぎますから。


 悲しみや惨めさといった気持ちは、何もかもを諦めて空虚になった心にはありません。職人になって働いて、上達して、作品を作ったりして、なんて夢物語は幻で、もうないのです。


 このままリトス王国に送り返されて、今度こそ国中の笑い者になった私は、どこかに謹慎されるのでしょう。何なら、修道院送りかもしれません。少なくとも、実家には入れてもらえないでしょう。ここまで不出来な娘だったとはと嘆く父の姿も、あまりの出来事に言葉が出ない母の姿も見たくありません。


(そういえば、イオニス様に触れたことだってたった二回だけ。まあ、元々いきなり結婚を決められて、大慌てで送り出されただけだし……また荷物のように送り返されるだけだわ。ひょっとすると結婚式もまだだから籍も入れていないのかしら、だったらいいのだけれど)


 私は落ち込みすぎて、逆に頭が冴えていました。心と頭が分離しているとはこのことですね、このまま何の感情もなくなってしまえば楽です。余生がどうなろうと、何も感じずに生きていければいいのに。


 そうやってすっかり現実逃避している私に、特大のビンタを食らわせるように現実へと引き戻したのは、イオニス様の至極落ち着いた声でした。


「オルトリンデ」

「はい」

「私はエルミーヌと話がある。あとのことは任せた」


 そう言って、私の右手を強引に引っ張って、イオニス様は進みます。戸惑う私を叱咤しながら。


「来い。まだ私の妻である自覚があるのなら」


 そんなものありません、と言えそうにはなかったですし、私にはもうそんな気力もありません。


 たった数歩、幽霊か亡霊のように生気なく歩く私に業を煮やしたイオニス様は、ついには私をひょいと抱き上げてしまいました。


「きゃっ!」

「とぼとぼと歩くな。まったく」


 はい、私はこののち数秒間、まったく記憶がありません。


 気付けば私はイオニス様の胸の前に抱えられて、屋敷の廊下を運ばれていました。自分の顔の前に精悍な男性の横顔がある、そんな体験は初めてです。あと、前も思いましたが、イオニス様の胸板ってものすごく頼り甲斐があります。力を抜いてもたれたってどっしりと包み込んでくれる安心感、よくよく背中の感覚を感じ取ってみれば両腕も筋骨隆々で何があっても落とされそうにありません。


(こ、これが、殿方に抱き抱えられるということなの……? えぇ!? すごく、これ、嬉しい? 恥ずかしい? 両方だわ!)


 今はそれどころではない、という冷静な視点は、今の私にはありません。ええ。陰鬱で空虚な気持ちはいつかのイオニス様のようにどこかへ吹き飛んでいきました。


 浮かれた私へ、イオニス様の声が耳元のすぐ近くからかけられます。


「角は治った。安心しろ」

「へ!? え、あ、はい! それは、よかったです」

「元々放っておけば治るものだ。それなのに、高価な薬などわざわざ調達して」


 ——そうだったのですか? え? 本当?


(私、金貨一千枚を……薬のために……あれ? 無駄だったのかしら?)


 しかし、突きつけられた真実は、私の考えの足りなさを叱責するものではありませんでした。


 イオニス様はまるで、しょうがないやつだ、とばかりの呆れ半分、喜び半分といった口調だったのです。


 一体どういうことなのか。そんな疑問を口に出す機会は、イオニス様がある部屋に入室したことで永久に失われます。


 そこは、応接間でした。私がこのお屋敷に来た日に招かれた、あの応接間です。すっかり穴は塞がれ、調度品も元どおりになっていました。すごい。それに、のは、気のせいではないでしょう。


 私はゆっくりとソファに降ろされ、イオニス様はその隣に座ります。あの抱かれ心地は名残惜しいですが、それどころではありませんよ、私。


 イオニス様はこんなことをおっしゃったのですから。


「この部屋の中では、魔力は一切使えないようになっている。試してみろ」


 イオニス様がそうおっしゃるなら。半信半疑でしたが、そういえば修繕のとき、イオニス様は老大工へ魔法防壁の改良を指示されていましたから、もしかして。


 ちょっと期待しつつ、私は——えい、と手のひらにある魔力を開放してみました。そういうイメージで放ってみたわけですが、その瞬間応接間の隅に置かれていた飾りの空の花瓶が破裂しました。ついでに焦げ臭い匂いもしました、どうやら陶器なのに破片が黒く焦げています。破裂ではなく爆発ですね、はい。粉々になった花瓶を見下ろすイオニス様が、苦い表情をなさっています。


「あの……花瓶が爆発しました」

「改良の余地ありだな……だが、威力は抑えられたはずだ」


 あ、それはそうですね。確かに。前と同じであれば、部屋のどこかに大穴が空いているところでしたが、花瓶以外何事もありません。新鮮な気持ちです。


 私たちは横並びに座って、何となく顔を見合わせることなく、訥々と話しはじめました。


「エルミーヌ」

「は、はい、何でしょうか、イオニス様」

「もっと早くに尋ねるべきだった。私との結婚は嫌か?」


 即座に、私は首を横に振りました。


「いいえ。ただ、心の準備ができていない上に、私は馬鹿ですから、イオニス様にご迷惑をかけるばかりです。お屋敷を破壊してしまったり、角にヒビを入れてしまったり」


 それは私の正直な、今の気持ちです。


 私はイオニス様にはきっと釣り合わない、それに怪我をさせてしまう。何なら、住居まで壊してしまう。そんな妻は、必要とされるはずなんてない。


 ところがです、イオニス様はその意見に同調しませんでした。それどころか、怒りもせず、神妙な口調になられてしまいました。


「どうやらこれは、きちんと話し合いをする必要がありそうだな。言うべきことが山ほどあるし、お前にも言いたいことがあるだろう」


 両肘をそれぞれ膝に突き、手を組んで甲に顎を乗せるポーズがとても決まっているイオニス様は、本当に格好がおよろしいのですが……私、離縁されるとしても、言っておかなくてはならないことを思い出してしまいました。


 では、言ってみます。勇気を出して——今後のためにも——言うのです。


「そう、ですけれども、その、イオニス様」

「何だ?」

「な、舐めるのは、おやめください! びっくりします!」


 今思えば、初日の大穴を開けた事件の発端は、間違いなくイオニス様ではないでしょうか。


 しかしです、よくよく思い返してみれば冷たい感触がしただけで、舐められたわけではないのでは? ラッセルが余計な入れ知恵をしたから、私は舐められたと勘違いしてイオニス様を吹き飛ばしてしまったのでは?


 いえ、どうやら正解だったようです。イオニス様が心なしか、しゅんとしています。


「……そうだったのか」


 何でしょう、これは。あらら?


 今、私の胸に去来したのはそう、これは……凛々しい殿方が見せる、叱られた子犬のような雰囲気に、えも言われぬ新境地が開拓された気分です。


(見間違いかしら。でも今の表情は、すごくお可愛らしいわ……もう一度見たいと思うくらい。でも舐められるのは嫌だわ、やっぱり)


 はい、とてもしょうもないことを思っていますね、私。さっきまで離縁やむなしと覚悟を決めていたくせして、イオニス様に惹かれているではありませんか。


 そうなのですが、何かが引っ掛かりました。


 そして、私はこう推測したのです。


(……私は恋をしたことがなかったけれど、こういうことはきっと、いわゆる一目惚れに近いものなのかもしれないわ。私だけかしら。イオニス様は、私のことをどう思ってらっしゃるか、知りたいわ)


 だから、私は——イオニス様と、もっと話をしたいと願いました。それは、顔を上げたイオニス様も同じだったようです。


「なら、こうしよう。エルミーヌ、結婚を続ける意思はあるか? 私はもう一度、お前と向き合いたいのだ」

「……よろしいのですか? だって私は、イオニス様を吹き飛ばしたり、お屋敷を倒壊させたりするようなことばかり」

「それはかまわない。竜生人ドラゴニュートの住む家は大抵そういうものだ」

「そ、そうなのですか?」

「ああ。お前が私を吹き飛ばすことはあっても、逆はないから安心しろ。それだけはしない」


 うんうん、とイオニス様は頷いてらっしゃいますが、竜生人ドラゴニュートの家庭事情は人間とはやはり異なるようです。文化の違いでしょうか。


「それに、竜生人ドラゴニュートの角にヒビを入れ、翌日にはあれほど貴重な薬を持ってくるような人間の娘は、大陸広しと言えどお前以外いないぞ」

「へ?」

「街の魔法薬品を取り扱う薬局で買ったのだろう。いくら支払った?」

「えっと、ドラゴニア金貨一千枚でした」


 どうも、この言葉がイオニス様にとってはハートを射止めるほどの効果があった模様です。


 イオニス様は、実に愉快そうに笑い出したのです。


「はあっはっは! この屋敷を建て替えて余りあるほどの大金だな。そうか、それを一日で稼いだのか。職人として大した腕だ!」


 今の言葉にそこまで効果があると思っていなかった引きこもりの私は、あとで知るのです。


 金貨一千枚という額は、低い爵位さえ買い取ってしまえるほどの大金であり、そんなお金を誰かのために、ましてや夫のためにと即決して費やす人間はいないのだ、と。


 竜生人ドラゴニュートには自分よりも力の強い者を認めて敬う文化があり、イオニス様は私に一目置いて、なおかつその私がイオニス様のためにと高価な薬を持ってきたことは——もはやイオニス様側から即座に求愛すべき案件なのだと。


 イオニス様はそれらを確かめ終えて、納得したようでした。


「誇れ、エルミーヌ。お前は望まずしてやってきておきながら、異郷の地で目も眩むほどの大金を稼ぎ、夫の傷を治すためにとすべてを費やした。お前が今まで編んだレースを売ったことも知っている、あの古着商に聞いたからな」


 ラッセルが師匠の工房に来たほどですもの、そこまで筒抜けでもおかしくはありません。何だかんだとイオニス様は私を心配し、そして敬意を表して——その言い方が正しいかどうかは分かりませんが——三ヶ月もの間、何もせず黙っていてくれたのです。とはいえ私の行き先の情報くらいは仕入れていた、そんな感じでしょう。


 もはや最高に機嫌のいいイオニス様は、やっとのことでこの機会を得たとばかりに、私の意思確認へと押し進みます。私の手を取り、顔の高さまで上げて、一言。


「それとも、それは私への愛ゆえの行動ではなかったのか?」


 どう答えるべきか、迷った末に私は——イオニス様の左の角に手を添えます。


 冷たくもなく、骨のようで、それでいて分厚い革のような、後頭部の後ろまで伸びる金色の角です。竜生人ドラゴニュートにとって大事な体の一部であり、権威の象徴にもなるそれは、すっかり何の傷もなく、熟練の職人によって金箔を焼き付けられた陶磁器のようです。


「治ったならよかった、本当に」


 私は、素直ではありません。馬鹿で、引きこもりで、迷惑ばかりかける娘です。


 でも、愛してもいないものが治って、嬉しく思ったりはしません。


 その気持ちが伝わったのかどうか、イオニス様が私へ覆い被さるように抱きついてきたことで色々考えは吹き飛びました。


「エルミーヌ、少し我慢してほしい」

「ひゃっ!? ま、また舐め」

「いや、これは竜生人ドラゴニュートとして、生涯をともにする伴侶への契約を結ぶマーキング行為だ。本来ならキスでいいのだが、嫌だろうからと思ってだな、首筋に」

「キスのほうがいいです!」


 そう叫んでから、私は赤面します。


「はしたない……恥ずかしい……!」


 まるでキスをしてくれと言ったようではありませんか、私。いえそうではなくてですね、首筋を舐められるくらいならキスのほうがいいという意思表示なのです本当に。私はそう生娘ですから、キスもしたことがないのですよ、イオニス様。どうか伝わってほしいこの気持ち。


 そんな葛藤は、機嫌のいいイオニス様にはどうでもよかったのかもしれません。


「遠慮するな。お前が示した愛に、私は全力で応える」


 そんな決め台詞を耳元で囁かれた日には、卒倒します。


 でも、卒倒しかねない衝撃の出来事があっても、私の魔力は暴走しませんでした。部屋に仕組まれた魔法防壁のおかげなのか、あるいは……。



 

 よく考えなくても、夫婦なのだからキスは当たり前では。抱きついたイオニス様が私の頭にスリスリ猫のようにじゃれている最中、冷静になった私は堂々巡りな気持ちになるのです。


 最初からイオニス様がキスをすると宣言してくれれば問題なかったのでは。それは言わないでおきましょう。はい。





□□□□□□





 それから何日か経って、私はアラデルの店を訪れました。今までの事情を話し、私の身分も明らかにします。


 アラデルは大きな大きなため息を吐いて、煙管を吸い込み、愚痴を漏らしました。


「はあー、竜爵閣下の部下が乗り込んできたときは、肝を冷やしたよ」

「申し訳ございません。黙っていたほうがいいかと思って」

「今度から言うように! まったくもう!」


 それは今度があれば、ということで。


 今後とも私はアラデルとアフディージャ師匠の下で魔導匠マギストーンとして働きます。イオニス様は許してくださいましたし、何より私には新しくやらなければならないことができました。


「それで、魔導匠マギストーンとして働くことは許してもらったのかい?」

「ええ。腕が上達したら、イオニス様からの注文をこなすことを約束して」

「へえ、どんな注文を?」

「これです」


 私は自分の左手薬指にはまった銀色の指輪を、アラデルへ見せました。そこには、小さな深紅のガーネットが一つだけ輝いています。


「結婚指輪、これが永劫残るように魔力を込めて加工を、って」






 やがて魔導匠マギストーンエルミーヌ、竜爵夫人の工房はひっそりと開店を迎え、正式に職人ギルドへの加盟も果たします。


 その先は、また別の話。エルミーヌが織姫蜘蛛の糸のレースを作るそのとき、またお話ししましょう。





おしまい。

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あなたのためにこっそり内職中です〜魔導匠見習いになって働きます!〜 ルーシャオ @aitetsu

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