急:巡り巡って大団円
第14話 竜爵閣下はお怒りです
あれから三ヶ月が経ちました。
イオニス様に会うのを避けているわけではないのですが、何となくお忙しそうなこともあって直接お目どおりはしていません。オルトリンデにちょくちょく近況を聞いているだけ、食事も完全に別です。
これって嫁いだと言えるのかしら、そんなふうに疑問を持ちつつも、今の私にとっては都合がよかったのです。
すっかりお屋敷から抜け出すことも慣れて、街の
手狭な工房で、何種類もの
アフディージャ師匠は、手にした大型の糸巻きを天井近くのランプの灯りからの光で反射させ、モノクル越しにその品質を確かめていました。
大型の糸巻きには、黄金色に輝く絹糸がしっかりと巻かれています。私が
やがて、アフディージャ師匠は糸巻きを私へ返してくれました。
「今のところ、糸の加工だけかな。他の品はダメダメだがね」
うっ、痛いところを突かれました。私はしょぼんとします。
「はい……構造の分かるもの、親しみのあるものしか加工できないって本当なのですね」
「まあ、本当なら質量保存、等価交換の原則さえ無視する古代魔法の一種だからねぇ。大丈夫大丈夫、エルミーヌはよくやっているよ。この糸の束の加工だけでもものすごいことだ、誇りなさい」
アフディージャ師匠は大笑いをして、私を励ましてくれました。
この三ヶ月、私は色々なものをマイ
なので、私が親しみを持つもの、よく知っているものと言えばレースです。レースのもととなる様々な種類の糸ならば何の問題もなくすんなりと加工でき、アフディージャ師匠も「まずは長所を伸ばすこと」と言ってくれたのでずっと糸の加工の仕事ばかりしていました。
それから少しずつ知識を増やそうと、まずはレース関連で服や布製品について本を読み始めました。お屋敷にある服にも触らせてもらい、どんなものがあるのか見聞をひたすら広めてきたのです。まだ失敗が怖くて加工に挑めていませんが、これなら将来的には衣服の加工という需要の大きそうな分野に入れるかもしれません。期待が膨らみます。
今のところ、アラデルと彼女の紹介してくれたアフディージャ師匠からの仕事を請け負っていますが、加工だけなのでちょこちょこ糸の保管庫に足を運んでは
これにはアフディージャ師匠も素直に褒めてくれます。
「それにしても、三ヶ月でこれほどの受注をこなすとは、もう見習いとは言えないな。十分に
「本当ですか? ふふっ、嬉しいです」
「店を構える予定はあるのかい? ギルドに正式に加入すれば、もっと仕事の幅が広がるだろうが」
「ああ、ええと、それはアラデルさんに相談しないと」
なーんて、冗談も交えつつにこやかに会話していたそのときでした。
工房のガラス戸が激しい音を立て、乱暴な来訪者を知らせます。
私とアフディージャ師匠が振り返ると、そこには——私にとっては、見慣れた黒い角と黒髪の
「ここにいたか!」
「へ!? ラ、ラッセル!?」
リトス王国にいるはずの旧友ラッセルが、なぜだかドラゴニアにいる。私は素っ頓狂な声を上げてしまい、それを恥ずかしがる間もなくなぜだか怒り心頭のラッセルに怒鳴られました。
「この馬鹿! 自分が何をしてるか、分かってんのか!」
きょとんと呆け半分、怒鳴られた恐怖半分で、私はラッセルを見つめるしかできません。
一体全体、ラッセルは何を怒っているのか。私が師匠の工房にいることをなぜ知っているのか。色々と考えてみますが、どこか辻褄が合いません。
そこへ、アフディージャ師匠が割って入ってくれました。
「まあまあ坊っちゃん、落ち着いて。エルミーヌは、こちらさんは知り合いかい?」
「は、はい。でも、ドラゴニアに来ていたなんて、一言も」
「当たり前だ、今来たばかりだ! お前の動向が怪しいから調べるよう、先生に頼まれてな!」
「お父様に……?」
「本っ当にこの馬鹿、心当たりがないのか」
ラッセル、私のことを馬鹿馬鹿連呼しすぎではないでしょうか? だんだん落ち着いてきた私はムカッとしましたが、ラッセルに強引に腕を掴まれ、工房から引き摺り出されます。
「来い、話は道すがらだ」
どうやら、「行ーかない」と断れる雰囲気ではありません。私はしぶしぶ、鞄を抱きしめて工房をあとにしました。
ラッセルは私の腕を掴んだまま、お屋敷への道を駆け足で辿っていきます。
ラッセルの怒りはまだ収まらず、ついには走りながらドラゴニアへ来訪した理由、本題に入りました。
「イオニス竜爵から先生に相談があったんだ。お前が嫁いで三ヶ月も経つのに自分を避けて、たびたび隠れて街に出ている、ってな。お前がそんなだから竜爵も無理に結婚式を挙げられず、様子を見ていたがついに、ってことだ」
しばし私は耳を疑いました。
——イオニス様から父へ相談、私が街に出ている、結婚式を挙げられない、様子を見ていた。
私からしてみれば、何ですかそれは、と声を大にして現状認識が噛み合っていないことを指摘したいのですが、ラッセルに言っても仕方がありません。イオニス様や父に言わねば。いえ、私だって今まで言えないことばかりしかなくって、互いに誤解を解く必要があるとは思います、はい。
ところで、それらの要素を抜き出してみても、ラッセルが来る理由にはなりそうもありません。私は首を傾げます。
「どうしてそれでラッセルが派遣されてくることに?」
「お前、竜爵を二回も吹っ飛ばしたらしいな」
「あ、はい、その、反省しました」
「お前を怖がって誰も無理に聞き出すことも、連れ帰ることもできなかったんだ! 竜爵はお前の気が済むようにと今まで放っておいてくれたんだぞ! それも堪忍袋の緒が切れたから、お前を説得なり抑え込める俺が呼ばれたんだ!」
私を三ヶ月も放っておいてくれたのですか、旦那様。いえそうではありません、私は今までそのイオニス様のご温情というべきでしょうか、それにまったく気付くどころか、ガン無視していたわけです。
それはイオニス様だってお怒りになりますし、父まで報告が行くでしょう。私もさすがにこの状況が芳しくないことを察します。
「え、あ、その……えっと……私、そんなつもりじゃ」
しどろもどろになりつつ、私は頭をぐるぐる回して何を言うべきか必死になって考えます。
じゃあどんなつもりだ、と言われても困りますが、ええと、どこから説明すべきでしょう。何を言っても言い訳にしかならず、ひょっとしてこれは離婚の危機では? とようやく深刻さを私は理解しはじめていました。
ラッセルはというと——冷たく私を突き放しました。当然です。
「言い訳は竜爵にしろ。俺にしたってしょうがないだろ」
まったくもってそのとおりです。私は口をつぐみ、お屋敷まで大急ぎで戻りました。
謝らなければ、説明しなければ、と私はまだ足掻いていたのですが、お屋敷の玄関で仁王立ちしているイオニス様を見て、こう思いました。
(あっ、これはダメそうですね。私の自業自得すぎてもう色々諦めたほうがよさそうです)
と思い、また同時にこういった感情も浮かびました。
イオニス様、魔力に遮られてあまりお姿を覚えていませんでしたが、もしかしてものすごく凛々しくて、いわゆる美男子というやつでは? ……と。
何だか私、余裕がありますね?
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