第12話 私、職人になります

 彫刻導機ハラクス


 名前だけは聞いたことがあります。しかし、目の前にあるジュエリーボックスほどの大きさの円盤が、まさかそうだとは思いませんでした。


「これは……一体?」


 私はその円盤を指先でなぞってみます。古代文字、いえ、それよりももっと古く専門的な文字が一周刻まれ、中心にはいくつもの金の輪っかがくるくると不規則に、軸の角度を変えながら回っています。空洞の真ん中には、何もないのに吸い込まれるような感覚がありました。


 私の隣に並んだ店主と思しき女性が、について説明してくれました。


彫刻導機ハラクスさ。魔導匠マギストーンたちが使う、対象に魔力を込める専用の道具だ。魔導匠マギストーンというのは、あらゆる品物に魔力を込めて最終加工を施す専門家で、場合によっては職人として自ら作品制作を手がけることもあるが、基本的には加工の注文を受注してこの彫刻導機ハラクスで任意の加工を付与して仕上げる仕事を行なっている」


 はあ、と私は生返事をしました。果たしてどう使うのか、いまいちよく分かりませんが、とにかくこの倉庫の一番奥に鎮座するほどの品なのだ、ということは分かります。


魔導匠マギストーンはさまざまな物質、加工品の知識が必要な上に、生まれつき魔力の多い者しかなれない。だから竜生人ドラゴニュート妖精種エルフなんかが多いんだが、何せ数が少ない。このグラナティスにさえ数名しか魔導匠マギストーンとしてギルドに登録していないんだ。人間の魔導匠マギストーンはここ数百年在籍していないくらいだよ。腕のいい魔導匠マギストーンはそれこそ国宝級の代物を平然と作り上げる一方で、そこいらから注文を受けて日銭稼ぎもしているのさ」


 生まれつき魔力の多い者と言われれば、確かに私はその資格があるかもしれません。ただ、それだけですが。


 でも、私は思ったのです。


 これで何かを作れるのなら、何かができるのなら、やってみたい、と。純粋に、作品を作る者クリエイターの端くれとしてそう思ったのです。


 それを見抜かれたのでしょう。店主と思しき女性は満面の笑みで、ようやく自己紹介をしてくれました。


「私の名前はアラデル・ナディア。君は?」

「エルミーヌと申します」

「どこの家のお嬢さんだい?」

「それは……その、どうか秘密に」


 まさか竜爵の妻、この領の竜爵夫人ですと明らかにするわけにはいきません。王侯貴族が趣味ならまだしも、市井の職人の真似事をするなんて、という話になりかねないからです。身分をわきまえた行動をしなさいと小さいころから口を酸っぱくして躾けられてきたから、咄嗟にその判断ができました。


 アラデルは特にそれに疑問を持つこともなく、むしろアラデルは私を逃すまいとさらに進んだ提案をしてきます。


「分かった、私としては君が魔導匠マギストーンになって仕事を受けてさえくれれば、今すぐ必要なだけの金を貸そう。もちろん、これから働いて返してくれればいい。何なら、うちの専属魔導匠マギストーンになってくれ。そうすれば、私が後見人になるから素性は隠せる」


 一足飛びとはこのことです。


 私は悩まなかったわけではありませんが、アラデルを試す意味もあって、必要な金額——イオニス様の薬の代金、それが莫大な金額だとは私だって分かります——を出してみます。


「あの、金貨一千枚でも問題ないでしょうか?」


 もしアラデルが「それは無理だ」と言えば、まあそうですよね、で済む話です。しかし、「よし分かった」と言ってくれるのなら——。


 私にはもう、他に手段がありません。嫁いで数日で実家にお金を無心するなどもってのほか、働くにも私は非力で無能です。そもそも、私がまともに働いたって金貨一千枚を稼ぐのは何年も先になるでしょう。


 であれば、この私であっても大金を調達できてそれを返済できる、つまり稼げる手段を教えてくれているアラデルに賭けるしかありません。


 私を騙すつもりだとしても、この彫刻導機ハラクスは本物でしょう。わざわざ見せるのは、確かに私を魔導匠マギストーンにしたくて、それ以外の理由が思い浮かびません。第一、魔法について知っているのなら、人並外れた魔力を持つ者はたとえ魔法を封じられても抵抗する大きな力がある、と知っていて当然です。それこそ私はちゃぶ台返しで何もかもご破算にしてしまうことだって可能です。私がその気になれば、イオニス様を吹き飛ばしたように、この店ごとアラデルを吹き飛ばすことだってできます。だから、私を騙したってアラデルに利益はなく、むしろ危ないのです。


 だからこそ今まで恐れられてきたことを、私はしっかり理解しているのですから何とも複雑ですが。


 とまあ、私がひととおり頭を巡らせたころ、一度店に戻ったアラデルは結論を出しました。その手には、羊皮紙が二枚、羽ペンとインクもあります。


「額が額だから、借用書は作っておこう。ちゃんと読んで、サインをしてもらうからね」

「は、はい」


 なんと、アラデルはOKを出したのです。金貨一千枚をすぐに出す、と。


 夢かしら。いやいや、目の前にはシンプルながらも借用書があります。私はお金を貸します、そのうち返してください、という意味だけ書かれた羊皮紙に、私は棚を机にしてエルミーヌ・Sとサインをしておきました。そういえば結婚した私の姓名はどうなるのでしょう、そのあたりまだ聞いていませんでした。


 そうしてもう一枚、雇用契約と書かれた羊皮紙には、アラデルが次のように説明してくれた内容がすでに記されていました。


「よし。雇用契約はもっと簡単だ、彫刻導機ハラクスを貸すから受けた注文をこなして、出来上がったらここに持ってきてほしい。そうやってまた次の注文をこなしていく、と。指南書はそこにある、持っていきなさい。あと指導してくれる魔導匠マギストーンを探しておくから、習いに行くように」


 ポンポンとアラデルの口から今後についての指示が出てきますが、私は何とか復唱しつつ覚えます。とにかく、私を魔導匠マギストーンにしたい、仕事を頼みたいという意思は強く感じますから、多分、大丈夫です。……多分。


 契約を終えて、アラデルは即座に金貨一千枚の入った皮袋を用意してくれました。彫刻導機ハラクスと布表紙の指南書三冊もセットで、空になっていた私の鞄へと丁寧にしまい込みます。


「まずは指南書通りにやってみて、それから師匠となる魔導匠マギストーンに会いにいくという形かな」

「あの、実際にできるかどうかを試さなくてもいいのでしょうか?」

「さっきレースを何十枚も加工したのに?」

「それはまあ、はい」

彫刻導機ハラクスなしであれだけできるなら大丈夫だよ。まずは彫刻導機ハラクスの基本的な使い方を習得して、それから注文を取ろう。できると思ったらまた来てくれる? 明日でも全然かまわないからね」


 私は大きく頷きます。アラデルはそれに満足した様子で、私の肩を叩きました。


「エルミーヌ、君は才能がある。とんでもない魔力の原石だ。人間の世界では通用しないほどの高密度かつ膨大な魔力、これを活かさないなんてありえない! 元魔導教師として羨ましいかぎりさ! だから」


 アラデルは、本当に嬉しそうでした。このときになってもまだアラデルを疑う心を捨てきれない私が、少し申し訳なく思ってしまうくらいに。


「今から君は魔導匠マギストーン見習い、職人になるんだ。よろしく頼むよ」


 思わず私は、照れ笑いが溢れてしまいました。


 職人になる。その言葉は、とてもウキウキして、高揚して、希望で胸がいっぱいになる不思議なものです。私にだってできることがある、と言ってもらっているようです。


 ともかくも、私は金貨一千枚を手に入れました。


 これを持って、急いで薬局に戻って、イオニス様の角のヒビを治す魔法薬品を調合してもらうのです!

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