第11話 私にできること、それは……

 散々街中をあちこち走り回った結果、私は数軒の質屋を見つけたのですが、売り物がレースだと分かるとどこもこんな反応でした。


「レース? 服ならともかく、それだけはちょっとねぇ」

「うちは貴金属が中心でして」

「もしよろしければお家に伺わせていただいても」


 おそらく、私の身なりがそれなりにいいことからどの店でも門前払いこそされませんでしたが、やはりレースではお金にならないようです。レース自体を見てもらうことさえ叶わぬまま、住所を聞かれそうになった私はそそくさとお店を後にして、小規模な店が立ち並ぶ商店街に迷い込みました。


 帰るに帰れず、何か私では思いつかないようなチャンスはないか、と歩いてみたのですが、大きなお店ではきっと見向きもされないでしょう。活気に満ちた商店街には、大人から子どもまで楽しそうに日々の買い物を満喫している人々がたくさんいます。いっそのことたくさん人がいるここで露店を開いて売ってもいいかも、などと考えが迷走しはじめたとき、ある看板を目にしました。


「何でも買い取ります……? 本当かしら?」


 それはおそらく、質屋というよりも、不要になったものを買い取る古着商に近いお店なのでしょう。看板には人の手からコインが手渡しされる様子が描かれています。


 この際、それでもかまわないと思って、私はその看板の店へと突入しました。


「こ、こんにちは。今よろしいでしょうか?」


 重い木の扉を開くと、不意に明るい店内に目が眩みました。


 しかし、閉じた目をようやく開いても、店の中は特に明るくもなく、採光用の窓だってそれほど大きくありません。不思議に思いつつも、私は誰もいないカウンターへと歩いていきます。


 たくさんのガラスが嵌め込まれた木箱が、棚にずらりと並んでいました。箱の中には指輪やインク壺、純銀タイピンに錫製コップ……と何だか統一感のない品が一緒くたに飾られています。


(うーん、これらは少しだけれど気がする。もしかして、ここにある品物全部に?)


 だとすれば、私の目が眩んだことも納得がいきます。一個一個がわずかであっても、一カ所にこれだけの数、魔力を発するものが集積されていれば、パッと目に入った瞬間それらを一気に感じ取ってしまったのでしょう。なるほど、と私が独り頷いていると、店の奥から一人の女性がやってきました。


「いらっしゃいませ、お嬢さん。何をお売りになりたいんだい?」


 その方の年齢は三十代ほどでしょうか、妙に色気のある美しい女性です。服装も明らかにバストサイズが合っていませんね、服が弾けそうです。それ自体はしょうがないとしても脚線美を強調するズボンは確信犯です。おそらく人間だと思うのですが、一目見て分かるほど魔力を察知できるので、魔導師かあるいは他の種族の可能性もあります。


 店主と思しき女性に、私は鞄の中身を見せました。


「このレースを買い取っていただきたいのですが」

「レース? いやあ……ドラゴニアではあまり需要はないし、うーん」


 やっぱり、と私が肩を落とすと、店主と思しき女性は紙とインクと羽ペンを用意して、鞄の中のレースを一つ一つ鑑定しはじめました。


 あれは二年前に半年をかけて作ったピアノショール用のレースで、手前のものは去年仕上げたばかりのレースロール、と私は手に取られる品の思い出を噛み締めて、それらを手放さなければならない寂しさに気落ちしそうです。でも、仕方ありません。こうなっては、私にできることを何でもしなくてはならないのです。


 鞄の底がやっと見えて、最後のレースの値段であろう数字が店主と思しき女性の手により紙に書き入れられました。そして、合計の値段が記されます。


「このくらいだね」


 そこに書かれていたのは、ドラゴニア銀貨五十枚、という現実でした。


 あれだけ苦労して、全部を売り払っても、金貨にもなりません。私のしてきたこととは、金銭にしてみればその程度だったのでしょうか。リトス王国で私の作品を楽しみにして、譲ってほしいだとか買いたいとおっしゃってくれていた方々を思うと、涙が出そうです。


 いえいえ、涙なんか出している暇はありません。私は自分のためにも、何とか値段を上げてもらおうと必死になって、一言。


「せ、せめて金貨になりませんか……?」


 よほど私の表情が切迫していたのか、店主と思しき女性は羽ペンを手放し、どこからか取り出した煙管を手にしてこう言いました。


「お嬢さん、ひょっとしなくても他国から来たんだろう?」

「は、はい」

「ドラゴニアのあらゆる品物は、魔力がこもっているかどうかが価値を決める大きな要素になるんだよ。支配階級の竜生人ドラゴニュートはそういった財宝を好むし、芸術品だってただ綺麗なだけじゃだめだ。ドラゴニアの職人たちはみな優れた魔導師で、自らの魔力や媒介品の魔力を品物に込めることに長けている。むしろ、それが高値をつける商品の大前提と言ってもいい」


 この煙管もね、と店主と思しき女性は艶やかな所作で煙管を回します。


 確かに、女性の手にある煙管からは魔力が感知できます。それも、機能的な、回路のような高度かつ繊細なものです。


 魔力を付与する魔法道具、それ自体はこのゴドレ大陸のどこであっても使われています。しかしそれは魔法を修得し、同時に対象の道具について熟知している魔導師だからこそ生み出せるものです。煙の出ない煙管、消耗しない羽ペン、アミュレット代わりになる装飾品、それらは貴族階級に喜ばれる高級品として珍重され、ときに政治を揺るがすほどの凄まじいものもあるのだとか。


 どうやら、ドラゴニアではようです。となれば簡単、レースに魔力を付与すれば——という話になりますが、魔法も使えず制御もできない私にそれは難しそうです。


 しかし、難しいだけで、


 私は、店主と思しき女性へ尋ねます。


「魔力を込める。その方法は、何かの本に書いてあるのでしょうか?」


 店主と思しき女性は、くすくすと笑って紙に空いている手を当てました。


「そう身構えなくても、こうやるんだよ」


 私の視線が、カウンター上に置かれている紙へと注がれます。


 ほんの一瞬、女性の手がほのかに光りました。そして、手を離すと——手を置いていた部分だけが、はっきりと分かるほどつるつるになり、光さえ反射しています。


 私にとっては、それは画期的な手法でした。魔力を込めるだなんて、魔法でしかできない、そう思っていたからです。しかし女性は一言も魔法の言葉を発することなく、ただ魔力を紙へとだけです。それでも明らかに紙の質が変わり、保護膜のようなものが生成されていることが伺えます。


「こうやって耐久性を上げたり、コーティングしたり、職人が手がければ軽く百年二百年は保つようになる。それ以外にも色々あるが、まあ基本はそれだね。簡単だろう? やってみるかい?」


 私は、できるような気がしました。


 魔法も使えない私ですが、有り余る魔力の放出だけはできます。それこそ、イオニス様を吹き飛ばしたときのように、集中すればそのくらいはできるのです。


 私はレースの山の中から、ハンカチレースを手に取り、畳んで両手に挟みました。


(できる、できる。魔力の放出だけなら……難しい制御も何も必要ない、ただ魔力をレースへ込めればいいだけだもの。集中して、エルミーヌ。やるわ……!)


 やる気だけなら、魔力と同じく無尽蔵に私の胸の中から湧いて出てくるようです。


 レースに魔力を込める、そのイメージをしながら、私は目を閉じました。


 暗闇に、目に見えない大きな渦があります。それが私の手の中にあるレースへと、急速に回転しながら吸い込まれていく。レースの糸の一本一本にまで、隅々にまで、水が染み渡るように注がれ、ついに十分すぎるほど濡れてしまってもなお渦から魔力の水は滴り、私はそれを逃さないようレースの中へと押し込めようとします。


 ぎゅうぎゅう、ぎゅうぎゅう。糸の中に詰め込み、詰め込み。せっせと働く小人さんのように繰り返し、ハンカチレースは詰め込まれた魔力をしっかりと吸収していきます。


 そんな想像が楽しくなってきたとき、女性の制止する叫び声がしました。


「ストップ! 魔力を止めて!」


 ハッとして、私は目を開け、手の力を抜きました。


 おかしいですね、私の両手の付近だけ。魔力を止めると、やがてその変化も消え失せていきましたが、何だったのでしょう。


 私は店主と思しき女性の引きつった顔で、自分がやらかしたのだと初めて察しました。


「あ、危なかった……! 重力場ができるなんて、どんな魔力を持っているんだ!?」

「申し訳ございません、夢中になりすぎました」


 しおらしく謝ってみせますが、楽しいからとやりすぎたことは黙っておきましょう。ええ。また怖がられるのはごめんですもの。


 それで騙し通せたのかは分かりませんが、私は手の中にあったハンカチレースをカウンターへ置き、鑑定してもらいました。


 白い亜麻リネンのハンカチレースは、何でしょうこれ、絹糸のように細くつややかで、角度によって色合いを変えています。メッキネクタイのように滑らかな金属のように、あるいは鮮やかな上等なベルベット生地のように、初めて見るものになってしまっています。


 それは商品鑑定を生業としてきたであろう店主と思しき女性ですら、何物であるか判定できないようです。唸って首を傾げ、難しい顔をしています。


亜麻リネンが強い魔導性を帯びて、根本から性質変化しているね。これは、鑑定に時間がかかりそうだ」


 ああ、ダメそうです。またダメだった。


 私はしょんぼりします。


「何だか、ダメにしてしまったみたいですね」

「いや、まさか。これなら金貨二枚で買おう」

「え? ……え!? 金貨二枚!?」


 思わず聞き返してしまいましたが、店主と思しき女性はニヤリと笑って、二本の指を差し示します。


「レース一つに金貨二枚だ。他のレースにも魔力を込めてくれる?」


 これが金貨二枚? と私はすっかり変質してしまったハンカチレースと二本指を何度も交互に見つめ、やがて納得するしかないのです。


 これはお金になる。だからやるしかない。


 私は同じ要領で、残りのレースすべてに魔力を込める作業をその場で始めました。


 二回も三回もやれば、大体コツは掴めます。魔力をバッと出してキュッと絞る、そんな感覚です。一つ当たりものの数秒でできるようになり、テキパキやっていけばあら不思議。カウンターには私の魔力の込められたレースの山が出来上がりました。


 ただ魔力を込めただけなので、レースを編み上げたときのような満足感はありません。疲労だって特にありませんし、まだまだいけます。しかしレースが尽きましたので、これでおしまいです。


 店主と思しき女性は、上機嫌ですべてのレースを仕分け、新しい買取金額を提示してくれました。


「全部で百枚。毎度あり、驚かされたがいい品になってよかったよかった!」


 カウンターの下にある金庫から取り出された金貨百枚が、私の前にずらりと並びました。十枚ずつ十本の金貨の柱、それを数えて財布に入れていきます。


 ところが、買取金額が大幅アップしたにもかかわらず、人間とは欲が出るもので、喜びよりも足りない不安が先に立ちました。


「まだ足りないわ。うぅん……レースを編むのは、時間がかかりすぎるし」


 そんな私の独り言を、店主と思しき女性はちゃんと聞いていました。


 そのとき彼女は、私の運命を大きく変える提案をしたのです。


「お嬢さん、ちょっと奥へ。大丈夫、取って食いはしないよ。お金に困っているみたいだし、いい話があるんだ」

「は、はあ」


 買い取ったレースを片付けたのち、私は店主と思しき女性について、店の奥への扉をくぐりました。






 そこには、これまで見たこともないものが、そしてこれから私の愛機となるものが、私を待っていたのです。

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