第5話 友人の助言です
その日の深夜のことです。
翌朝にはドラゴニアへ出立するとのことで、私はとりあえず身の回りのものをトランクに詰め込んでいました。嵩張るものは後日まとめて新居となるイオニス様のお屋敷に送ってもらうことになり、目下多少の着替えや趣味のレース編みの道具、母から譲られていたアクセサリやドレスを少々、あとは本や筆記具、化粧品などを荷造りし、大きな木製トランク二つ分の荷物が出来上がっていました。
「これは……嫁入り道具としては多いのかしら、少ないのかしら」
何とも悩ましい話ですが、年頃の令嬢が嫁ぐ際、何を持っていくものなのか、私は知りません。同年代の友人がほぼいないせいで、そのあたりの常識に疎いのです。
一応、私は貴族令嬢ではあります。サフィール家も他国で言えば侯爵くらいの権力や権威を持っていますが、領地はありません。魔導師として魔法研究にかかりきりになるため、領地経営などは手間がかかるし不必要、というわけです。
なので、私もサフィール家もお金に困ったことはないのですが——我が家は質素ではある、と風の噂で耳にしました。門下生たちが噂をしているのを耳に入れた程度で、実際のところはさておき、きっとそうなのでしょう。宝石を買ったりドレスをオーダーメイドしたり、そんなことはしませんものね。ええ。外に出ませんから。……分かっていたものの、自分にダメージが入ることを考えるのはよしましょう。
らしい、とか、らしくない、とか、そんなことはどうでもいいのです。
(きっとそう、だって……そうじゃなければ、イオニス様は私なんかを花嫁に選ばないはず。私を見て竜爵閣下の妻にふさわしい、なんて考えたわけではなくて、見ていらしたのは魔力だけ。ある意味では気楽だけれど、ある意味では憂鬱だわ)
考えれば考えるほど、泥沼に沈んでいく思考をどうにも引き上げられなくなってきました。私はそういうところがあるのです、自分で考えておきながらどんどんネガティブになっていく。考えすぎよ、と母に笑われたこともありますし、数少ない友人である門下生のラッセルにだって昔、鼻で笑われました。
そういえば、ラッセルに私がドラゴニアへ嫁ぐことを伝えなければ。時々、ラッセルには魔法の練習に付き合ってもらっています。いきなり挨拶もせずにいなくなれば、ラッセルはきっと拗ねて嫌味が止まらなくなってしまいます。
噂をすれば何とやら、部屋の扉が外からノックされました。
「はい、どなたでしょう?」
「エルミーヌ、俺だ」
扉の向こうからかけられた、まだ甲高い少年の特徴的な声は、すぐに誰だか分かってしまいます。
「ラッセル? ちょうどよかった、入って!」
私の招きに応じて、入ってきたのは——黒髪と側頭部の黒い二本角を持つ、中性的な
彼は、リトス王国では知将と知られるバラストル将軍の養子となった、
私は家族よりもよほど気心の知れたラッセルに、今日起きた出来事をすべて洗いざらい話してしまいたくて、ラッセルに勢いよく話しかけます。
「ラッセル。あのね」
「聞いてる。嫁入りするんだろ」
あら。肩透かしを喰らってしまいました。
ラッセルは堂々と、物が少なくなった私の部屋を見回して、ふん、と鼻を鳴らしました。気位の高い
ラッセルは私のトランクに腰を下ろし、こんなことを言い出しました。
「まあいい。
「舐める!?」
思わず、ピェっと悲鳴を上げてしまいそうになりました。
(あのイオニス様が、匂いをつけたり噛みついたり舐めたり? えぇ……犬じゃないのだから)
そんなことは、ちょっと想像できません。しかし、ラッセルは冗談など言いません。私だって
「俺はさ、そういうのどうかと思うけど。で、それに付き合わされちゃたまんないだろうと思って、
ああ、ラッセルは自分がそんな
困惑しきりの私へ、ラッセルは力強く『助言』をしてくれました。
「いいか、ルル。
「ぶん殴るって……それもどうかと」
「最初が肝心だぞ。それは人間の夫婦だって同じだろ」
ああ、まあ、そうですね。おそらく、メイビー。
そんなことは巷の噂か小説の中でしか聞いたことのない私は、とりあえず頷くしかありません。
「そうかもしれませんね」
「だろ。じゃ、幸運を祈るよ」
トランクから立ち上がり、ラッセルはスタスタと帰ろうとします。言うだけ言った、とばかりの素っ気ない態度ですが、ラッセルがわざわざやってきて助言するなど、滅多にないことです。
(心配して、私のために来てくれたのね……あ、そうだ)
私は急いで、その背に感謝の言葉を投げかけました。
「ありがとう、ラッセル。その、今まで、ありがとう。何か、お礼ができれば」
すると、ラッセルは足を止め、くるりと扉とは違う方向へ向き直りました。
その視線の先には、今まで編んできたレースを入れた木箱があります。失敗作もあれば、作ってみたものの出来に満足していないもの、流行遅れになってしまったもの、さまざまです。それはさすがに残していこうと思って、私がまとめてあったものでした。
ラッセルはその木箱をゴソゴソと探り、一枚の
そういえば、そのレースのことは、前にラッセルへ愚痴ったことがありました。これはダメなの、せっかく作ったけれど使えないわ、と言った覚えがあります。
「このレース、もらっていいか?」
躊躇なくその重たいレースを取り出したラッセルへ、私は断る術を知りません。快く、承諾しました。
「ええ、どれでも持っていってちょうだい」
「一つでいい。ジーナ義姉さんがお前のファンだからな、ふん」
照れ隠しに義理の姉ヴィオジーナの名前を出して、ローブの中にレースをしまって、ラッセルは今度こそ帰ろうとします。
私はもう一度、声をかけました。
「お姉様によろしくね。また、何か作品ができたらお送りするわ」
ラッセルは振り返りませんでした。小さく「ああ」と言ったきり、静かに私の部屋を後にします。
こうして私は、不器用な友人に別れの挨拶ができました。有益であろう助言ももらい……それは衝撃的すぎて、私は就寝しようとベッドに入ったものの、想像しきりで眠れません。
「やっぱり、舐められたりするのかしら……うぅ、嫌かも」
またまたネガティブにそんなことを考えていたのですが、「よく考えればどこを舐めるのかしら」という疑問にたどり着いてしまい、想像は行き止まってしまっていつの間にかぐっすり眠っていました。
私、意外と図太いのかしら。
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