第5話

「お話ですか。」


 俺は紅茶を一口啜る。濃い、美味い紅茶だ。どう見ても高級品。こいつらは俺の収入の半分を私欲のために使ってるっぽいな。こいつらがいい暮らしを出来るように俺たちは給料を捧げろと?あり得ない。そして許せない。


「私の収入を半分削られるという話でございましたが、その話、無しにしてもらえませんか?」

 グリュネを挑発しないように、精一杯の敬語を使う。交渉の時は、常に遜った態度をとることが重要なのだ。


 グリュネが偉そうに腕を組んで、考え込む様子を見せる。なんとか収入50%減は撤回してもらいたい所なのだが。


「えー?なんで撤回して欲しいのかしら?貴方の給料が半減してもたかが五十歩百歩じゃないの!」

 

 え、そうなの?と思ってしまったのだが、どちらにせよ、明らかに舐められている。悪びれもせず、淡々と煽り文句を述べていく。そしてその文句の数々にツボる中年の男、ゼス。まるで相手にされてない。


「しかし、私の一家は飢えております!半減をされたら、最悪死者が出てしまいます!」


「ええ、そうですよ!私たちは今飢えているのです!慈悲をお願いします!」

 先ほどまで静かだった紫髪の少女、フランシスが俺の訴えを肯定する。ナイスサポートだ。


 本来なら、可愛い女性二人の懇願に胸打たれ、撤回ーというシナリオのはずが、グリュネは動じない。彼女の決定が覆ることはなかった。


「そんなのあなた達の問題でしょ?私には関係ないわ。」


「しかし、あなた方がその決定を下されたと聞きました。ならば、あなた方がその決定を覆すことも可能なはずです。」


「いえいえ、それは公正な議会で議決を行ったものだから!私たちにはそんな力ないのよ?そんなことも知らない訳?」


「いいえ、グリュネ様、この決定はあなた方男爵級貴族が独断で決めたことだとたくさんの方々が口を揃えております。」


 そう言って、フランシスは署名がびっしりされた一枚の紙を取り出す。偉いな。俺と違って準備万端じゃないか。


「まあ、一度お待ちくださいよ。独断でやった貴族が私たちだという証拠はありませんよね。」


 さっきまでただクスクス笑っているだけだったゼスがついに口を開いた。

「確かにそうですが、あなた方は男爵級貴族と地位が同じな以上、議決を撤廃することも可能なはずです。」


 中々痛い所をこのフランシスは突くな。これを言われてしまってはもう素直に議決を撤廃するしかない。


 追い詰められたグリュネとゼスの顔が険しくなる。一方で喋り終わったフランシスは余裕の表情で紅茶を美味しそうに飲んでいる。そして、俺は自分の非力さを実感する。情けない。


 しかし、これは撤回してもらえそうだ、と安心したその瞬間ーーグリュネの顔をゼスが2回強打する。その衝撃でグリュネは椅子から転げ落ち、庭園の芝生に倒れる。


「ゼス様!何をしてるんですか!」

 フランシスが裏返った声で叫ぶ。


「何、簡単なことです。一発逆転ってやつですよ。」

 ゼスに余裕の表情が戻っている。否、あいつは俺たちを哀れんでいる。どういう風の吹き回しだ?


 意識が朦朧としているのか、ふらふらとグリュネは立ち上がるとー

「あ、貴方達なんてことを……私を殴るなんて……」


「はぁ?」

 思わず声が出てしまった。俺たちが殴った?いやいやそこにいるゼスならぬゲスがお前を2回殴っただろうが。


「今更シラを切る気なの?あり得ないわ!私の方が爵位は上なのに、酷すぎるわ!」

「そうですぞ!今殴っていたにも関わらず、『はぁ?』なんて、あり得ません!」


 ゼスとグリュネは俺たちを悪役に仕立て上げようとするが、テーブルを囲む使用人や執事など10人がゼスがグリュネを殴る所をはっきりと見ていたのだ。どれほど演技がうまくても、そんな嘘を押し通せる訳が無い。


「さっきゼス殿がグリュネ様を殴る所を使用人達は見ていました!貴方達こそ、シラを切ろうとしているじゃないですか!」


 うんうんと力強くフランシスが俺の言葉に頷く。とても力強い気分だ。


「じゃあ、使用人達に聞いてみましょう。私がグリュネ様を殴った所を見た者は挙手しなさい。」


 そうゼスは宣言すると、アレクサンダーと、フランシスの執事のみが挙手をしていた。他の8名は挙手をしていなかったのだ。


「「ッー!」」

 俺とフランシスは絶句する。この結果はすなわち、ここにいる8割以上の人は俺たちが悪役だと思っているということなのか。

「あらあら、結果が証明してますね、貴方達が殴ったって。」

 グリュネは鼻血を垂らしながら、満面の笑みを作ってこちらに笑いかけた。


「買収しているわ!絶対に!」

 フランシスが信じられないように叫ぶ。さっきまでの余裕は消え失せ、まるで狂ったような甲高い声で叫んでいる。


「そんなことした証拠はある訳?」

 

 ない。証明できない。俺とフランシスは黙り込んでしまう。


「なら、この二人の不細工を、傷害罪で投獄しといてね。」

 そう言い放つと、ゼス達二人は庭園から立ち去ろうと、優雅に出口へと向かう。それと同時に使用人に取り囲まれ、俺たちは拘束される。


「離せッー!」

「離しなさいッー!」


 バタバタと抵抗するものの、屈強な使用人達には歯が立たない。アレクサンダーとフランシスの執事が助けに入ろうとするが、彼らも使用人数人がかりで抑え込まれてしまう。


「エルナ様ッー!」

 しかし、アレクサンダーの叫びもお構いなしに、使用人達は俺を担いでどこかへと連れて行く。


「グリュネッ!俺を離しやがれッ!」

 男の口調になっていることにも気づかない程激昂して叫んだ。もう何がなんでもグリュネを一度殴らないと気が済まない。


「黙なさいッ、不細工!底辺令嬢如きが私の視界に入るな!」


 グリュネがなぜか俺に逆ギレする。もう許せない。転生して楽しい人生を歩めるかと思いきや、いきなり嵌められ、投獄される羽目だ。ふざけるな。


「殺してやる……」


「え?今なんて?」


「殺してやるッ!お前をブチ殺してやるッ!」


「エルナッ!やめて!」

 フランシスが俺を宥めようとするが、止める気など毛頭ない。


「この糞汚職ババアがッ!殺してやるッ!」


「もういいわッ!この最低令嬢を連れて行きなさい!」

 グリュネがそう唱えると同時に、俺はついにどこかへ連れていかれる。俺は必死に抵抗する一方で、フランシスは諦めたように静かである。彼女の目には先ほどまでの闘志の炎が点っていない。


「さようなら、エルナ、フランシス。もうあなた達のことは二度と見ないでしょう。」

 グリュネの声が遠ざかっていく。もう俺には成す術なく、俺は投獄されるまで待つことしかできなかった。

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