Reflect③


 少女から大体の話を聞いた二人は、一旦彼女に席を外してもらい、 鏡をじっくり観察する事にした。外部の人間だけで部屋に残るのはあまり良くないだろうとは思ったのだが、この家の人間は彼女を含めて少なからず鏡に恐怖心を抱いているようだったので、いっそのこと二人だけにして貰った。

 鏡は何てことのない普通の鏡に見えた。装飾もない枠に囲われただけのシンプルなデザインの姿見。ただし、その大きさだけは普通では無かった。少女は普通より「少し」大きいと言っていたが、実際は普通より「かなり」大きい。広瀬は小学生の時に見た体育館の 鏡とどっちが大きいかな、などと呑気なことを考えていた。しかし、 本当に大きさ以外には違和感を感じない。

「…… そもそも、鏡に映る女の人ってのは実在する人間なのかな。 それとも怪奇的な類の存在なのか」

「でもその人、なんか憧れるよね」

「え?」

「だってそんなによく見ていなくても記憶に残る綺麗な黒髪ストレートさんなんでしょ?俺は憧れる!」

「…… 髪は人間の部位でも記憶に残りやすい方だと思うけど」

 珍獣、広瀬の着眼点は相変わらずズレている。茅野はひっそりと溜息を吐いた。


 広瀬の栗色の髪は父親譲りの癖毛である。どれだけまとめようと思ってもどうにもならない厄介な代物だ。髪だけで父親を判別された事もあるという。同じく癖毛の祖父曰く、曾祖父も癖毛だったというから、 これは広瀬家男児に生まれた者の宿命なのかもしれない…… だなんて思っている。といっても、代々大雑把で呑気な性格までもが揃って遺伝しているようで、実は口で言うほど本人たちは気にしていない。実際、癖毛であろうとなかろうと広瀬は自分の容姿にさほど興味は無いのだ。広瀬の言う憧れの言葉は、嫉みも妬みもない純粋なものだ。ただ、自分には無いものだから憧れる。その感情は嫉妬より、賞賛に近い。たとえその対象が『この世の者では無いかもしれない女性』であっても。

 一方、茅野の容姿といえば金色に限りなく近い明るい髪に琥珀色の瞳という、どう見ても日本人離れした特徴を持っている。茅野は日本人の父親とイギリス人の母親を持つ日本国籍の子供として育った。髪色は正真正銘の天然物なのだが、偏見に満ちた世界に置いて、幼少期から彼の容姿は異端そのものだった。悪目立ちすることに嫌気が差し、学生時代、一度黒く染めてみた事もあったが、中途半端に異国じみた顔立ちに似合わず、逆に悪目立ちしてしまったのですぐに止めた。広瀬を美青年とした時に、自身もそれと同等に置かれる容姿を持っている事を茅野は知っている。しかし、茅野が自分の容姿を好んだことはない。容姿に関するコンプレックスならば、広瀬よりよっぽど茅野の方が根強い。少なくとも、軽々しく「憧れ」を口に出来ない程度には。

 こういう時、茅野は広瀬と自分の違いを実感する。広瀬の思考回路は汚れを知らない純真なままの子供のようで、けれど、彼が汚いものを何も見ずに育ったのではない事も茅野は知っている。純心を持ったままでも大人になれた広瀬という存在が茅野は苦手だったのだ。そして、きっと本当の意味で「憧れ」ている。


 茅野の内心の事など知りようもない広瀬は、鏡をもっとよく観察しようと、鏡を覆う残りの布を外し…… そこである違和感に気付いた。

「ねえ、茅野……やっぱり全然普通じゃなかった。見てよ…… この鏡、俺たちが映らない」

 そう言って、背後の茅野を振り返る。大きな鏡の一部分、右側の人一人分のスペース。その場所から対角に映る古びた鏡。現実の部屋には存在していない、鏡超しにのみ映されたもう一つの鏡だけが、二人の姿をその中に映していなかった。

「これ、どういう事だと思う?」

「…… ああ、だから」

 尋ねる広瀬に、茅野は逆に納得したといった顔をして言った。

「彼女さ、言ってたよね。『それまで誰も映っていなかった』って。件の現象が起こる前から鏡の前にいたはずの彼女もずっとあっちの鏡の中には映っていなかった。彼女が……この家の人間たちが問題にしていたのは、この大きな姿見の方じゃない。鏡は二つ在ったんだ。鏡越しにしか存在しない本物の異質が……鏡としての役割を果たさないアレを鏡と呼び続けてもいいものならね」


 突如ガシャンと何かが割れたような音が部屋中に響いた。しかし、目の前の大きな鏡には何も起きていない。その代わり、鏡の向こう側に見えていたもう一つの古びた鏡には、一筋のヒビが入り、その奥には話に聞いていた通りの黒髪の姿が映し出されていた。

「鏡が割れると、悪魔が出るとか言わなかったっけ?」

「さあ? そういう話って馬鹿みたいにたくさんあるからね。どれがどこまで本当の話か俺は知らないけど…… 少なくとも、この和室に悪魔は似合わないんじゃない?」

「ああ、確かに。どっちかというと幽霊さんの方が似合いそう。着物着た髪の長い女の人の幽霊とかさ」

「…… 広瀬さぁ、ちょっと楽しんでるでしょ?」

「ホラーゲームみたいで正直ちょっとワクワクしてるかも」

「…… お望み通り、黒髪ストレートの幽霊さんと仲良く会話してきたら? ほらちょうどそこにいるみたいだし。命の保証はしないけど」

「それについては心配ないかな。だって俺自慢だけど、ホラーゲームでゲームオーバーになったこと一回もないんだよ?」

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